山の彼方の百武彗星
1.イントロダクション
天体写真から足を洗ってから久しくなる。 しかし、3年前に10cmEDレンズ望遠鏡を買ってから、少しずつ
再開。 初めは、6.5cmでは果たせなかった月を撮影していたが、一気に火がついたのはデビコ彗星から
である。幌別のグレージング遠征時、標準レンズで撮したが「しっかり写っている」。その後、10cmの直接
焦点で綺麗に写り、大いに燃え上がった。 折しも、1月31日に百武彗星(C1996B2)が発見され、ついに爆発。
2.百武彗星を追って
最初の出会いは、2月23日、日高門別の清畠であった。5cm双眼鏡では発見できず、10cmで確認。直接
焦点で撮影したがピンぼけに終わる。翌日も撮影したが、900mmのノータッチガイド10分は追尾不良で
星像が流れる。限度は3分とわかる。以降天気に恵まれず、「また、空振り」と女房に冷やかされたが、3月
19日天秤座の北に再発見。同行した15歳の息子は、生まれて初めて彗星を見た。3月23日は清畠まで行
くが、天候が悪いため帯広まで足を延ばした。往路の日勝峠は吹雪で、帯広に入っても雪は止まない。
諦めて帰途についた車中で、金星が見えだす。 雲のでた時間もあるが、20時半から3時まで「十勝晴れ」の
なか、納得のいくまで彗星を眺めることができた。大きくて青いコマと、吹き流しのような尾。双眼鏡で見ると、
中心核のような明るい部分も見える。写真は10cmの直接焦点で撮影したが、尾の方向を誤ってすべて失敗。
息子の写真レンズが、良く写った。
標準レンズの写真(239kB)
望遠レンズ(200mm)の写真(117kB)
彗星の移動が速いので、数分間隔で撮影した2枚の写真からステレオ写真を作ることができた。彗星が
恒星より近く見える。「彗星は太陽系の天体なのだ」と感心したが、右と左を入れ替えると、逆転するのは、
なぜか。
地球再接近の3月25日の天気は安定せず、苫東工業団地で少しだけ見たが、45°もある長い尾が美し
かった。3月27日は次女も連れて、3人で出る。天候が良くなかったので、初めから帯広へ向かう。車乗
から見える彗星は、やや傾きかけた上弦の月に負けず、不気味に浮かんでいる。息子は「彗星が空を
支配している」とつぶやいたが、不吉の前兆と信じられていた時代を彷彿させるには十分な、重々しさを
天から降り注いでいた。日勝峠はまたも雪である。今夜は視界が利かないほどの強い降りだが、時々
星空が見えるので、それを希望に車と走らせる。峠を下ると晴れていたが、猛烈な風が吹いている。写真
を写せるような状況ではない。月が沈んだ1時を過ぎても風を遮る場所が見つからない。ようやく、地形の
起伏を利用した場所を見つけ、機材をセットする。幸運にも撮影が始まる頃に、急速に風が弱まったようだ。
天頂を通り越して西に傾いた彗星の尾は、北斗七星の柄を横切り、髪の毛座まで達していて壮観である。
ベネット彗星のような明るい尾ではないが、淡くて消え入りそうで長く続いている。
標準レンズの写真(209kB)
望遠レンズ(200mm)の写真(219kB)
あっ!という間に夜が明けてしまい、帰途につく。自宅への到着は、前回同様午前9時であった。一休みして、
写真屋さんへ走る。前回23日はダストの尾、今回はイオンの尾。特徴がはっきり写っている。4月は7日に望来
で見た。一回り小さくなったが、コマは最盛期の面影を残している。尾は、薄いながらもカペラ付近まで延びて
いるようで、写真にも写っている。突然、200mm望遠レンズのピントが合わなくなった。車の震動で、ネジが緩ん
だのだろう。初めて会った男性に、135mmレンズを貸していただいた。お陰様で、貴重な一枚の記録を残
すことができた。「どうもありがとうございました」。 この後すっきりした日はなく、11日に撮影したものが事実上
の最後となった。 最後は4月29日19:30、双眼鏡で幌平橋付近から見た。街明かりの中に0.5°の尾が見えたが、
光度は不明であった。
百武彗星 撮影の記録
1996年 月 |
出向回数 |
成 功 回 数 | |
眼 視 | 写真 | ||
2 | 2 | 2 | 2 |
3 | 9 | 7 | 5 |
4 | 9 | 6 | 5 |
合計 | 20 | 15 | 12 |
撮影フイルム数:15本
撮影コマ数 : 160枚
3.おわりに
いつの間にやら写真屋さんに戻ってしまい、本稿に掲載する写真の処理など、仕事が残っている。FRO
(FM放送を利用した流星の電波観測)のデータ整理も1年以上滞っている。一方、ヘールボップ彗星は
6等級台に入ったとの情報がある。百武彗星のように明るくなればと期待しているが、これからの慌ただ
しさを考えると、突然軌道が変化して、再来年にやって来て欲しい、というのが本音である。
(札幌天文同好会会報「PLEIADES NO.31 1996」より)