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ボイラーゲーのシステム案その6(00.06.19)

 すでに新規の署名が途絶えて久しいこのコーナーをこれ以上更新してどうなるのか、という疑問をお持ちの 皆様、(たぶん)こんばんは。
 実は私、今まで100名という数字を完全にナメきっておりました。申し訳ありません。深く反省しております。 謝罪したい気持ちでいっぱいです。誰よりも、これまで更新を続けてきた自分に対して。
 すいません、俺。

 実はキチンと計算してみると、このようなマイナーサイトが100名の署名を集めることは数学的に極めて困難である ことが、容易に明らかになってしまうんですよね。
 例えば、この署名運動を知った人のうち、10人に1人が署名するとしましょうか。別に「10人に1人」という数字に まったく根拠はないのですが、まあたぶんこのぐらいだろうという憶測で話を進めてみます。
 この憶測を元に考えると、100名という署名を集めるためには1000人の方に署名運動を知ってもらわなくては なりません。この時点で、かなり無理があることが分かります。
 そして当ボイラー室に果たして1000人もの人がこれまでに訪れているのかというと、答えは明らかに「ノー」 でしょう。何しろ、1日20人しか来てませんし。
 つまり、実質的に20人しか当ボイラー室に訪れていないということは、いかなる希望的観測を持ってしても 100名の署名を集めるのは不可能ということになります。

 というわけで、これまで署名していただいた皆様、お疲れ様でした。今の私の心中は、このような無謀な 企画に賛同していただいたことに対する感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。




そんなわけにもいかないので

 さて、前置きが長くなりましたがこの辺で、本題のゲームシステムの考察に入りたいと思います。
 え? 今更そんなことをして何になるのか、ですって?
 私にも分かりません。
 分かりませんが、とりあえず未知のゲームシステムを考えるのはけっこう好きで、普段からよく考えてます。
 昔はポケコンでプログラムをやっていたので自分でゲームを作ったりしていたのですが、最近はそんな 根性もないのでこうして更新のネタにするのがせいぜいです。
 ただ、今は文章を書くのが一番の趣味になってますけど、文章を書くのに飽きてきたらまたプログラム でも始めるときが来るかもしれません。そのときはボイラーゲーを自分で形にしてみたいですね。
 もしこのコーナーを更新するのに理由があるとしたら、そのときのために今の自分の考えていることを 形にして残しておくこと、ぐらいなもんでしょうか。

 ああ、そんなことはもうどうでもいいです。とっとと始めましょう。
 まずは最も最近(1ヶ月以上前)に署名していただいた、とりやんさんのコメントの一部を抜粋します。

ゲームの要素の一つとして、時間制限などはいかがでしょうか?
電GOのように。

私が勤めている工場ではボイラーを毎日止めていますので、 翌日私達は、製造職場の従業員が出勤してくるまでに、 工場内各棟へ蒸気を送気しなければなりません。
もし、遅れた場合は電話が鳴り響きます。

「おい、蒸気まだか」
「蒸気が出ないんですけど」
「早く直せ」

ゲームオーバー時には上記(蒸気)の台詞を大音量で聞けるんです。

 時間制限というのは単純ですが、緊張感を演出する上ではゲームには欠かせないものの一つですね。 あと、アーケードゲームの場合にはインカムにも。
 さらに、時間制限というのはもともと多くのゲームに採用されているルールなので、ボイラーのことを 全く知らない人でもとりあえず、「時間がなくなったらゲームオーバー」ということだけは理解して もらえると思います。

 思ったのですが、ボイラーゲーは「職ゲー」だからといって、ゲームであるために実物のボイラーの 構成要素を再現する必要はないのではないでしょうか。
 これまでも書いてきましたが、「ボイラー」という題材に魅力を感じる人などほとんどいないことは 明白です。むしろ、実物のボイラーの再現性がゲームシステムを理解する上での妨げとなるのであれば、 そんなものはない方が良いのかもしれません。

 私の考える良いゲームというのは、「悔しくて何度でもやってしまうゲーム」です。システム案その1にも 書きましたが、ゲームには「適度な悔しさ」が必要なのです。「悔しさ」がプレイヤーの向上心を生み、何度も 続けてプレイするための原動力となるのです。

 もちろん、プレイヤーに「悔しい」と思わせるためには、単にゲームを難しくすればいいというものでは ありません。あまりに難しいと、プレイヤーは悔しいと思う前にあきらめてしまうからです。
 ここでいう「難しさ」とは、ゲーム自体の難易度以外にも、「ゲームシステムが理解できない、何を 目指してプレイすればいいのか分からない」ということも含まれます。
 また、「何を目指してプレイするのか」ということも、単に面クリアが目標だと理解できていれば いいというものでもありません。あくまでも、プレイヤーが感情を持って自主的に目指さなくては ならないのです。
 何も目指すものがないままゲームオーバーになってしまったのでは、プレイヤーは「悔しい」なんて 思わないでしょうからね。

 つまり、プレイヤーが悔しくて何度でもゲームをやってしまう状況というのは、「目標が見えている のにできない」、要するに「自分に腹を立てている」状態なのではないでしょうか。
 これが「ゲームに腹を立てている」状態だと、おそらくプレイヤーは「つまらないゲーム」だと感じている ことでしょう。
 以上のことから考えると、良いゲームというのは「初回のプレイで、プレイヤーが自分で目標を立てられる」 ゲームのことなのではないでしょうか。(実際には、作り手がプレイヤーを誘導しているのですが)

 こうなると、ボイラーゲーは極端に単純なゲームにしてしまう方が良いような気がします。
 すぐに思いつくものでは、バルコンをいかに速くひねることができるかという、タイムアタックゲーム でしょうか。
 バルコンというインターフェイスは今までに例がないと思われるので、単に「バルブを10秒以内に閉じろ!」 というようなゲームでも十分面白いと思います。
 もちろんそれだけではすぐに飽きるので、面が進むと指示に従って複数のバルブを閉じたり開けたりを 高速で行わなくてはならないとか。
 エキスパートモードでは、計器類を読み取って自分の判断でそれらの操作を行わなくてはならないとか。 (つまり、エキスパートモードになって初めて本来のボイラーゲーになります)
 そしてプレイヤーは必死の形相でバルコンをひねりまくり、手に「バルブダコ」を作る者が続出するのです。
 ただボタンを連打するだけのゲームもあるのですから、ただバルブをひねるだけのゲームというのも 面白いんじゃないでしょうか。

 しかしこのシステム案、第6回にして原始的なゲームシステムに回帰してしまうことになるとは 思いもよりませんでした。




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