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ネット上の文章について

 これを書いている今現在、当ボイラー室も開設してからかれこれ2年半が経過している。
「機械仕掛けのボイラー室」は当初からテキスト系サイトだったのだが、やはり文章がメインのサイト の管理者というのは他人のサイトの文章がどんなものかというのが気になるもので、私も普段徘徊している サイトはほとんどが個人によるテキスト系サイトである。
 個人のテキスト系サイトというのはそのほとんどがあまり面白くない上に、例え面白かったとしても 面白さを理解するまでにけっこう時間がかかったりして見て回るのはけっこう大変なのだが、その分 面白いサイトを発見したときの感動はちょっとしたものである。
 今回は、そんな具合にテキスト系サイトを見て回っていて、私が普段から思っていることをいくつか ピックアップして、無作為に吐き出して行こうという考えである。

 ちなみに、こういうことを書くときの常として自分のことは棚上げしているので、その点ご了承 いただきたい。


(笑)及び顔文字について

 やはり筆頭に上がるのはこの話題になってしまうのは避けられまい。
 テキスト系サイトにとっては、すでに一つの命題とも言えよう。
 (笑)及び顔文字に対するスタンスとしては、主だったところで分類すると以下の3タイプに分けられる。

(1)とにかく嫌い。絶対に使わないと頑なに拒絶するタイプ。コジャレ系(平たく言うとオタク嫌い)に多い。
(2)チャットや掲示板では使うこともあるが、コラムなどのまとまった文章に使うのは抵抗があるタイプ。
(3)多用するタイプ。アニメなどのファンサイトに多い。文体もフレンドリーである場合が多いが、馴れ馴れしいと感じる人も少なくない。

 ちなみに、私は(2)のタイプである。まあ、最近は掲示板などでも使わないことが多くなったし、かといって コンテンツ内の文章で使ってしまったりすることもあるので特にこだわりはないのだが。
 ただなんとなく、(笑)は使っても(爆)はほとんど使わない、顔文字も一つの書き込みに1回ぐらいしか 使わない、というスタイルに落ちついているようだ。これは私の文章にはバランス的にこれぐらいがいいだろう という感覚で使っているので、別に(3)のようなタイプの文章が嫌い、というわけではない。

 そんなわけで個人的には(笑)や顔文字には特にこだわってはいないのだが、テキスト系サイトには (1)のタイプがけっこう多い。インターネットを始める前にパソコン通信をやっていた頃はそういう意見はほとんど 見たことがないのだが、自分のサイトを持つと掲示板しかなかったパソ通時代とは違って好きなことが 書けるせいか、(1)のような主張をしているサイトはかなり多いようだ。
 以前は「何をそんなに神経過敏になっているのか」とまったく気にしていなかったのだが、ある時期から 他所の掲示板に書き込む際にその掲示板では(笑)や顔文字を使っているのかということをけっこう 気にしてしまうようになったので、(1)のようなタイプがなぜそんなにも批判的なのか?ということを 考えるようになってしまった。

 そこで、もしかしたら(1)のタイプはネット上の文章を新聞や雑誌などに掲載されている文章の延長線上に 見ているのではないか、という推測を立ててみた。
 例えば、新聞の見出しに「有珠山噴火活動続く(爆)」とか「ロッテ早くも借金地獄(T_T)」とか、 小説に「我輩は猫である。名前はまだない(^^;」とか書いてあったら、私でもかなり抵抗を感じてしまう。
 逆に、(2)や(3)のタイプはネット上の文章はそういったネット外の文章とは完全に別物として 考えているので、(笑)や顔文字に抵抗がないのではないだろうか。
 あまりこの推測には自信がないので、これを読んでいる方の意見も聞かせていただけるととても嬉しい。


文中リンクはほどほどに

 ある意味、私が(笑)や顔文字よりも毛嫌いしているのが「無闇に多用される文中リンク」である。
 別に文中リンク自体は問題ないのだが、「リンク先に行ってみないと文章の意味が分からない」文章は どうかと思う。
 例えば、こんな具合だ。



最近、こんなのを見つけました。う〜む、これは実際どうなんだろう。
確かにこういうところに対するアンチテーゼってのは分かるんだけど、ちょっと言い過ぎじゃないかな?
こんな風になってしまったところもあるわけだし。まあ、見ている分には面白いんだけど。
以前にも書いたけど、気に入らないことがあっても無理して首突っ込むとほとんどの場合ロクなことに ならないんだよね。
ねえ、経験者の方々。(笑)



 いかがなものだろうか。これではさっぱり意味が分からない。もしこれで回線の重い時間帯だったりすると、 この文章を理解しようと努める人など皆無に等しくなるだろう。
 別に文中リンクを多用するのは構わないのだが、文中リンクがなくても意味が通じるようにした方が良いのは 間違いないと思う。他サイトと密接にコミュニケーションを取っているような日記サイトは気がつくと 上記のような文章を書いてしまっていることがあるので、注意が必要だ。


好きな文体

 人によって好きな文体というのは様々なものがあると思う。例えば、リンク集などで「おすすめ!」と 書かれているサイトに行ってみても期待していたほど面白くなかったり、逆にお世辞にも上手い文章 じゃなかったとしてもなぜかそれなりに面白く読めてしまうことがあったりするのは、読み手の文体の好みの 影響が大きいのではないだろうか。

 こういうことは文章を書くときにも言えることで、私はコンテンツによってこの雑文室のような 「〜だ、〜である」調と、普段掲示板で使っているような「〜です、〜ます」調に分けているのだが、 基本的に固い内容のときは「〜だ、〜である」調、ウケ狙いの内容のときは「〜です、〜ます」調に なる傾向があるようだ。
 ウケ狙いのときに「〜です、〜ます」調を使うのは、なんとなくその方がボケがやりやすいからなのだが、 小説の場合はなぜかウケ狙いの作品であっても自然に「〜だ、〜である」調に近い形で書き始めてしまう。
 今度小説を書くときは、「〜です、〜ます」調の文体で書いてみるのも面白いかもしれない。

 なぜ小説だと「〜だ、〜である」調になってしまうのかと言うと、ほとんどの小説はそれに近い文体 だから、その影響、というのももちろんある。
 そういった理由ももちろんあるのだが、それより何より私にとっては「〜だ、〜である」調だと 翻訳された海外の小説の文体が使いやすいというのが大きい。
 そう、私は、「翻訳された海外の小説の文体の仰々しさ」が大好きなのである。
 例えば、こんな具合だ。



 なんということであろうか。いったい誰にこのような事態を予測し得たというのか?
 いや、予測し得るはずはない。このような出来事に遭遇することなど、例えマイナーリーグ上がりのチームを 率いてメジャーリーグで優勝に導くような名監督であろうとも、予測し得るはずはないのだ!
 どこの誰に、路頭に迷う信心深い子羊のような我々を責めることができるだろうか。 我々にそのような責任を感じる必要など微塵もなく、ましてやこの事態の打開策を考案しろ、などという 理不尽な命令はまったく謂われのないことであり、鼻持ちならない上司の提案と等しく無視すべき事項なのだ!



 海外の小説は内容的に読みづらい場合が多いのだが、私はこのような大げさな描写を見る度になぜか顔がニヤけてしまう ような人間なので、ついつい海外の小説を読んでしまうことが多い。
 私はコナン・ドイルの「失われた世界」が好きなのだが、中でも「だれがそんなことを予想できただろうか?」という タイトルの章では、読者には明らかにミエミエの展開でこうならないと話として成立しないだろうというシチュエーション に対して、くどいぐらいに「予想する術はなかった」ことを説明し続けるという描写がツボに入って、私は読んでいる間中 爆笑していた。
 もし私と同じように「海外の小説の文体が好きで、よく真似している」という人がいたら、ぜひともご一報を。 かなり高い確率でそのサイトは好きになれると思うので。



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