産業観光資源のご紹介
廃墟の昭和炭鉱とダム湖に沈む雨竜炭鉱(沼田町炭鉱遺跡群)
  (雨竜郡沼田町)

  雨竜郡沼田町は、かつて埋蔵量2億3千万トン、硫黄分が少なく火力の強い良質の石炭を有する雨竜炭田を擁し、雨竜、昭和、太刀別(たちべつ)の3つの炭鉱と石炭の輸送を担う留萌鉄道があった。
  昭和4年(1929年)10月、国鉄留萌本線恵比島駅(NHK朝ドラ「すずらん」のロケ地・明日萌駅)と浅野間に留萌鉄道が敷設され、昭和5年7月、太刀別、同年10月、昭和まで延伸、恵比島経由で石炭積出港の留萌港まで石炭を輸送する体制が整った。鉄道整備に伴い炭鉱も次々と開発され、昭和5年(1930年)1月、明治鉱業鰹コ和鉱業所(昭和炭鉱)が開坑、同年10月には出炭を開始。一方、昭和5年(1930年)3月、浅野財閥の祖であり明治のセメント王と呼ばれた浅野総一郎により浅野雨竜炭鉱渇J竜炭鉱が開坑され、翌6年(1931年)5月、出炭を開始した。
  昭和炭鉱は、国内屈指の有力炭鉱とされていたが、エネルギー政策の転換や採炭条件の悪化などにより昭和44年(1969年)2月、閉山。一方の雨竜炭鉱は、昭和15年(1940年)、年間出炭量17万5千トンのピークを迎えたが、爆発事故や不景気により経営困難となり、昭和27年(1952年)古河鉱業鰍ノ営業譲渡。さらに昭和37年(1962年)12月、雨竜炭鉱鰍ヨの営業譲渡を経て、昭和43年(1968年)11月、閉山となった。
 第3の炭鉱である九州鉱山椛セ刀別(たちべつ)炭鉱は、短命の炭鉱であり、昭和38年(1963年)に開坑したものの6年後の昭和44年(1969年)には閉山となった。
 これらの炭鉱の閉山に伴い、留萌鉄道も昭和46年(1971年)4月、廃業となった。
 浅野炭鉱のあった雨竜の街は、選炭場も含めてのほとんどが平成4年沼田ダム築造によりできたホロピリ湖底に水没したものの、同湖や道道周辺に浅野炭鉱の巨大な選炭施設群や坑口を見ることができる。
 また、昭和炭鉱は、留萌鉄道終端部の山奥にあったため、風化による崩壊や森への回帰が進んでいるが、坑口付近の選炭施設や最盛期に4,000人弱の人々が住んでいたと言われる同鉱の炭住アパート群が残っており往時を偲ばせる。

<昭和炭鉱住宅跡>
<往時の昭和炭鉱住宅・商店街>
<往時の雨竜炭鉱選炭場>
<雨竜炭鉱従業員殉職碑>
<雨竜炭鉱女性作業風景>
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