KAZU魂の叫び


今日はカズがどんなに偉大で日本サッカー界に貢献してるかを語りたいと思う。
私が突然こんなことをなぜ書くかというとカズを過去のものとしカズはもう終わったみたいな ふざけたことをぬかす世間知らずの輩が多いことから、書くことにした。
世の中のカズを悪く言うやつら!今日はお前らに言いたいことがある!よ〜く聞け!
ひと〜つ!「カズに6000万も払うなら若手の3人獲ればいいしょ!」って言う一部の横浜サポ!
若手の3人獲ればいい?はぁ?!カズがくることによってな!真のプロ魂を注入してもらって偉大な経験を伝えられ更にJ2の観客動員UPに 貢献し、カズグッズも売れまくって6000万以上の利益をもたらすんだこの野郎!!
おっと。。いきなりすごい文章でごめんなさい。ただカズを語ると熱くなるので。
冷静にカズの功績を書きます。
まず、カズが90年にブラジルから日本に帰国するきっかけを話したいと思います。
当時は欧州や南米でプレーしてて日本代表に呼ばれるシステムが確立されてなかった。
奥寺康彦さんだってドイツにいってからは代表に呼ばれていない。
カズの最終的な目標は日本代表に入ってワールドカップに出ることだった。
だが、ワールドカップの予選に合わせて92年の冬ぐらいに日本に戻るのがベストだろうとカズは考えてた。
しかし、読売クラブから「国立競技場をサッカーで満員にしたいから力を貸してくれないか」と口説かれ更に
「日本サッカーの新たな歴史を作ろう。それには君の力が必要だ」と言われ90年夏カズは凱旋帰国した。
当時Jリーグを立ち上げる動きを川淵三郎チェアマン(現キャプテン)を中心にした人が作っていたが
協会もプロではなくアマチュアだから、誰も本場のプロのことを知らない。知ってるのはカズだけでした。
カズはまずフロントにさまざまな要求をした。ホペイロ(用具係)を置くようになったのもカズの進言によるものだった。
代表も当時は試合をしてもノーギャラだった。外国のチームには出場給や勝利給が決められているのに日本代表はタダ働きだった。
それではいかん!我々もプロなんだからと最初は50万くらい日本選手もお金が貰えるようになったらしい。
そうなったのはカズがチェアマンに直訴してからだ。そんな時日本代表がダイナスティ杯やアジア杯で初優勝した。
カズはそんな労働組合の交渉みたいなこともやっていたという。 カズの信念は、選手もフロントも、マスコミも、審判も、グランドも、環境も、すべてのレベルを上げたいだった。
用具係は用具係でプロ、芝生係は芝生係でプロ、選手を扱うマネージメントもプロ。そんな理想をもって当時頑張っていたという。
続きはまた、そのうち。。

中田や名波の移籍はカズが道を切り開いた!!(※2001年当時の文章です)



最近の中田の活躍は凄いですね。
でも、ここまで日本サッカーを牽引してきたのは間違いなくカズ!!
しかし、日本人ってのは、昔の功績をすぐ忘れてしまうよね。
もう少し評価してもいいと思うのだが。
まだまだ、カズ自身やっていけるのにだめな言い方をする。
なぜなら、日本は若手にすぐ目を向ける傾向がある。
悪い言い方をすると、目新しいものに目がすぐに行ってしまう。
それはそれで悪いことではないと思うけどそんな若い選手を潰したりはして欲しくないよね。
可哀想というかもったいない。
そして、みんなもっとカズを高く評価してほしい
中田や名波などの選手が海外でプレーできるのもカズのお陰だと思う。
カズがブラジルに行って日本人選手たちに道を開いたのだ。
そのことをどうかわかってほしいと願う。

中田は今、23歳だけどカズが23歳のときは、ブラジルのプロとして活躍してた。
なんか、セリエAやリーガーエスパニョーラやプレミアリーグばっか注目されて
南米の代表選手はほとんど欧州にいくのでブラジルやアルゼンチンリーグって軽視
されてると思う。でも、それって大間違い!!!
世界クラブ選手権は欧州側のモチベーションの低さなど問題あったけどブラジルの2チームが
決勝まで行ったし、レベルは決して低くない!!!
それでは、カズの経歴を簡単に紹介します!

カズは15歳で単身ブラジル渡り、ジュベントスに留学した。
その後いくつかチームを渡り歩き、サンパウロ州のタッサ・サンパウロに日本人初出場を達成する。
パルメイラスの助っ人として日本で開催されたキリンカップにブラジルのプロとして日本初登場!
サッカー王国で最もレベルの高いサンパウロ州リーグでコリンチャンス相手に日本人初ゴールを記録!
ブラジル最高レベルのリーグ戦コッパウニオン(ブラジル選手権)で活躍。
ブラジルの専門記者によるポジション別のMVP投票で左ウイング部門で3位にランクされる!!!

読売クラブに移籍したカズは、数々のチーム・個人タイトルを総なめにする。
そして、代表でも結果をだし名実ともに日本代表のエースになる。
W杯アメリカアジア最終予選では、4ゴールを挙げて得点王になるもロスタイムにイラクに同点に
され、土壇場でW杯出場を逃す・・・俗に言うドーハの悲劇・・・
その後、ヴェルディでタイトルを取ったり、世界選抜の一員としても活躍する。

94年7月28日には、イタリアセリエAジェノアにレンタル移籍で入団!!
セリエAアジア人として初めてのジョカトーレとなり、初ゴールをサンプドリア戦で記録する!!
帰国後、ヴェルディ、日本代表で活躍!キングの名を欲しいままにした!

97年フランスW杯アジア予選でもエースとして活躍!最終予選ウズベキスタン戦では4ゴールを記録!
しかし、その後怪我などにより、調子を落としゴールを奪えないエースに不要論がでる。
第三代表決定戦のイラン戦では、途中交代させられるが日本代表はW杯初出場を決める。
だが、カズは日本代表候補25人の中に入るがスイスニヨンで22人のメンバーに入れず最後の最後で
あれだけ、熱望していたW杯のピッチに立つ事を絶たれてしまう。

だが、カズは再び走り出す!クロアチア・ザグレブに移籍し三度目の海外移籍に挑戦!
半年後、京都パープルサンガに加茂前日本代表監督の熱烈なラブコールに答え移籍する。
復帰第1戦では、2ゴールの活躍でチームを勝利に導く!!観客動員数も激増!!
トルシエジャパンで、日本代表に復帰を果たしカールスバーグカップで代表として久々に出場!!
アジアカップ予選のブルネイ戦では、ウズベキスタン戦以来の国際Aマッチゴールを記録!
今季は完全復活を期待!!アジアカップ本選や京都サンガでの活躍を期待!
2002年まで突っ走って欲しい!あのピッチにカズが日本代表の青いユニフォームを着て立つことを願う・・

京都サンガがJ2に落ちてチームは若手主体に切り替えるためカズを解雇。またしても挫折である。
しかし、カズはヴィッセル神戸に移籍し活躍を続ける。カズ。。。このエネルギーはどこからくるのだろう。
代表でもトルシエに乗せられるも今は代表に呼ばれることはない。

2001年9月29日
私は、札幌厚別競技場で初めて憧れのカズを生で見ることができた。写真も沢山撮った。
感激した。その試合神戸は大敗。カズは怒った表情で挨拶にきてくれた。
そのプロとしての意識がそうさせるのだろう。主将カズとしてチームを引っ張っていた。

Jリーグブームの火付け役!日本のサッカーを背負ってきた男!いくつかの挫折・・いくつかの屈辱も味わった・・
でも、最後まで諦めない!2002年のピッチにカズが立つ事を夢見て・・・カズで有り続ける為に。

(※補足2005.05.06追加)その後2002年W杯の代表メンバーにカズの名前はなかった。。
トルシエジャパンからジーコジャパンに変わり1度も代表には選ばれてないカズ。
だが、2004年新潟の震災によりチャリティーマッチが行なわれ、ジーコジャパンドリームチームに選ばれる!
この試合がカズの代表への思いがまたこみあげる!2005年プロ20年!!カズは開幕から3戦連続ゴール!!!
38歳の今もカズは走り続ける。。そして、2006年ドイツへ。。

(2005.7.20)カズ初のJ2参戦!横浜FCに新天地を求める。
カズと同じパイオニア奥寺GMと共にJ1昇格を目指す!

そして、再びカズは世界へ!!世界クラブ選手権に出場すべく オーストラリアAリーグのシドニーFCへゲストプレーヤーとしてレンタル移籍! そして、3試合目で初ゴールを含む2ゴールを記録!
更についに日本人初のトヨタ杯出場を達成!試合は初戦のサプリサ戦に0‐1で敗れるも、
5位決定戦ではアルアハリに2−1で勝利!!ゴールはなかったがチームの勝利に貢献した。
06W杯イヤーは横浜FCに戻りJ1昇格とW杯代表を狙う。
日本代表のF組みは、ブラジル、クロアチア、オーストラリアとカズがプレーした国ばかり!
決勝トーナメント1回戦でも、イタリアと当たりそう。奇妙な偶然に見まわれた。

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