カニと石斧
午後から潮が引くと遠浅になるヒナイ川の河口に、カニと大人の握り拳ほどもある巨大なシジミ(シレナシジミ)を採りに行こうと相談がまとまった。カンピラ荘のご夫妻と私たち夫婦の四人は、おじさんの運転する車で船浦大橋のはずれまで行き、男性軍はマングローブの生い茂る上流に、おばさんと私は海側のたくさん石が転がっている干潟に下りてカニを捕るため、橋を境に南北に別れることになった。
シジミ組は急斜面を簡単に駆け下り、マングローブの林に沿って遠ざかっていった。おばさんは橋の欄干にしっかり結わえた、間隔を置いて結び目の付いたロープを伝って、泥んこ色の殺風景な干潟に降り「永吉さん、その結び目につかまって降りたらいいよ」と、下から見上げて待っていた。
少しためらった私も、負けじとロープを握り、体を斜めに構えた。手元をしっかり支えてくれる結び目の効果に、先住民族になったような気分になって、足でリズムをとりながら斜面を無事降りることに成功した。
「案外簡単だったじゃないか」 私の得意げな心を見透かすように、おばさんは「上手、上手」と、手をはたいてほめてくれた。冒険に挑戦しようと張り切る幼年期の姿を見るようで、懐かしさに胸がジーンとなった。
大橋は海面からかなり高いにもかかわらず、橋のたもとから海岸に降りる道の工事をしていないため、貴重な干潟が荒らされることなく自然のまま残っている。
「ハサミにやられたら、指がもぎ取られるから気をつけて」との注意を受け、カニのいそうな岩礁を除く作業から始めた。手頃な石の周りには餌を食べた後のかすが散乱していて目印になり、ほとんど間違いなくカニが潜んでいる。
カニの捕り方は乱暴極まりない。なせかロープが入ったバケツを横に倒し、見つけたカニを足で蹴飛ばして放り込む。カニはロープにすぐつかまって絶対に離れない。あふれるほどになっても、バケツから出ようとしない。島の人の知恵には今更ながら恐れ入る。
潮がすっかり引いてしまい、波の音も聞こえない。静寂の世界で時折、石を起こす鈍い音だけが耳に入ってくる。
カニはもう十分捕れたから、そろそろ引き上げようかと話していた矢先、たまたま除いた石が変な形をしているではないか。改めてよく見ると、自然石ではなく人の手を加えた跡が歴然とある。「石斧!」と思った私に、おばさんは「こんな重いもの、持っていくの大変でしょう。捨てるかい」と言う。物好きな私のことだから、そうはいかない。持ち上げるとずっしりと重い。橋の上まで運ぶだけでも大変と迷ったが、どうしても捨てきれず、しばらく眺めていた。
「欲しいならなんとか工夫して運びましょう。後悔しないようにね。」
おばさんは優しい。そして、2メートルほどの棒きれを拾ってきてビニール袋に石を入れ、真ん中に吊り下げて二人で担ぐことにした。「頭いいねぇ」と、うれしくなった私が後ろ、おばさんが前の方を担ぎ上げた。
5、6メートル歩くと、石の入ったビニール袋が先棒のおばさんのお尻のあたりにズズッ、ズズッとずれていく。小柄なおばさんと身長差があるからだ。私が少し腰を落としてみたが、どうも具合が良くない。石の角でお尻を突付かれるおばさんは諦め顔になって「やっぱり捨てるかい?」と言う。私もギックリ腰と膝関節を痛めた前歴が気になるものの、どうしても捨ててはいけない。背中の皮が多少むけてもやむを得ない。「なんとか橋の下まで」と、担いでいくことにした。
先によじ登ったおばさんが、橋の欄干から吊るしたロープでカニの入った二つのバケツと石入りのビニール袋を次々引き上げた。最後に私がロープの結び目につかまりながら橋の上に上がった。顔を見合わせて思わずニッコリ「よかったね」。カニは大漁のうえ、石斧らしい「過去からの贈り物」も手に入った。口笛でも吹きたい良い気分だった。
橋の中ほどに別の車が止まっていて、タライの様な入れ物二つに大きなノコギリガザミがうごめいていた。カンピラ荘の娘婿さんで、別の穴場に捕りに来ていたのだった。シジミ組も大漁で、日頃は無口な主人もご機嫌でシジミ採集の様子などを大声で話し合っていた。
平和で自然がいっぱいの空気を思いっきり吸い込む。これ以上の幸せが他にあろうか。夕日に輝き始めた満ち潮の東シナ海に、明るい笑い声が広がっていった。


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太古の世界を覗いてみた

石斧を発見したヒナイ川の河口近くに、いまはコウモリの格好の棲み家になっていて、大昔には人が住んでいた洞窟がある。人骨も発見されたという話も聞いていたので、その頃使われた石斧に違いないと思った。離島の旅を思い立ってから丁度十回目になる記念として、札幌で展示してからしかるべき方に見てもらおうと、とりあえず自宅に送って90年の旅を終えることになった。
那覇の空港ロビーでフライトまでの待ち時間に、ひるぎ社発行の「考古学から見た琉球史」(安里進著)を買った。内容は専門用語が多く、考古学にまったく無縁な私にはいささか難しすぎるが、次の様な記述が目についた。
 「・・・骨角器を制作するためには石器が必要である。いかに沖縄の(旧石器文化)が特殊で骨角器を主体としていたとしても、ある程度の量の石器は必要だ。この石器は当然打製の旧石器でなければならないが、このような旧石器が発見されていないことが、沖縄の(旧石器文化)存在論の最大の難点なのである。・・・・・・・使用した旧石器が発見されない限り(洪積世人類)はいたが旧石器文化の存在は考古学的にはまだ実証されていない・・・・・」
 「肝心の旧石器そのものは未発見である・・・・・」
乳房状の石斧(船浦貝塚)の写真は掲載されているが、船浦湾で今回発見した横長片刃のいかにも斧らしい形をした物は掲載されていない。素人考えではあるが、かなり、高度な技術で作られているように見受けられるので、それほど古い時代の物ではないのかもしれない、などと勝手な憶測をたくましくする。
いずれにしてもど素人がない知識をいくら絞っても解決するわけがない。専門家の先生におまかせするつもりだが、考古学の世界を針の穴から覗いた程度とはいえ、これからどう発展していくか、胸が高鳴り興奮を覚えた。
平成三年八月、「海からの贈り物」展示会も無事終了したので、福岡の石井先生に石斧の写真と図面を同封して手紙を出した。暇つぶしの老人の勝手な願いにもかかわらず、数日して丁重な返事を頂戴した。
  「写真、図などどうも旧石器ではないような気がするのです。沖縄の旧石器についてはまだはっきりしない面があるようです。まったくの見た感じで失礼ですが違うような気がします。また詳しく記しますが旧石器の型にないものです・・・」
忙しい貴重な時間を、と恐縮した。考古学の世界に新しい貢献が出来ずいささか残念に思う反面、「過去からの贈り物」として石斧が自分の手元から離れずに済むと、内心ほっとした。拾った物は自分の物、欲の深い話である。

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星砂の浜と耳切の浜

沖縄土産の代表選手と言って良い「星砂」は古い貝や珊瑚のかけらじゃないか、ぐらいに思われている。が、実は珊瑚礁で生き続けている有孔虫と言う海の生物なのだ。カンピラ荘のある上原から車で七、八分の住吉集落から海岸へ下りていくと「星砂の浜」と呼ばれるロマンチックな渚が広がっている。砂に手のひらを押し付けると、星の形をした粒が付く。これがバキュロジプシナという有孔虫の殻で、星砂の正体である。周りに多くの突起が付いた太陽のような形をしたのはカルカリナと言い、円形なのは普通ゼニイシとよばれるマーギノボラで、いずれも有孔虫の種類である。
生きている有孔虫を観察するには、近くの「耳切の浜」から干潮時に珊瑚礁伝いに岩陰を周り、海水に浸りながら端の方へ行くと、緑色をした海藻が一面に生育している所がある。そこが彼らの生活の場で、海中に淡い色をしてキラキラと光っているのが肉眼でやっと認められるほどの小さな生物で、海藻を揺するとダイヤモンドダストのように、さらさらと散る。案内役の辻口さんが用意してくれたボールに、海藻ごと少しだけ持ち帰って観察することにした。ルーペで覗いて見ると、小さな孔がたくさん付いている。有孔虫という名前がなるほどなと改めて思われた。孔から糸のように細い足を出し、餌のプランクトンを捕まえたり移動したりする。
耳切りの浜の名の由来を辻口さんに聞いて、暗い気持ちにさせられた。
罪を犯した者を裁くため島の長老たちが集会を開き、耳切りの刑が決まった罪人をこの浜で処刑したという。中央部から遠く離れた孤島だけに、考えられないこともない。西村京太郎の「幻奇島」の中で、もちろんそれは架空の島の出来事なのだが、御神島という南の小さな島での残酷な刑罰シーンを思い出した。容赦なく照りつける酷熱の太陽の下に、むきだしの肉体を柱に縛られて何時間も晒しものになるのだ。耳切の刑があったとすれば、日晒しの刑以上に残酷ではないか。浜の砂の色が他と比べて赤味がかっているのは、切られた耳の血が砂に染み込んだのだと伝えられている。
ロマンあふれる星砂の浜のすぐそばには似つかわしくなく、架空の物語であってほしい。星砂はあくまで、遠い宇宙の果てから降ってきたスターダストと思っていたいのだが・・・。

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鶴巻さんありがとう

1991年四月十二日(金)快晴。石垣港十時十分発の「ひるぎ7号」に乗る。途中竹富島に寄り十一時少し前に西表島の東玄関に当たる大原港に到着した。昨年秋に来た時に知り合った本盛さんに会い貝塚の話を聞いた。今は何も残っておらず、個人の畑になっているといわれ、大原二泊の予定を取り止めにする。カンピラ荘に福岡鉄蔵さんも来ていることだから、真っ直ぐ上原へ行くことにした。
夕方の四時五十分まで定期バスがないので、約五時間どう過ごすか思案し、とりあえず乗車券を販売している金物店に行った。顔見知りの店員と話をしていると、客が入って来て工事用の品物をあれこれ購入している。一見気難しそうだが、案外こんな人物に良い人が多いんだ、などと考えながら顔を見ると前歯が一本欠けている。何となくいけそうな感じがする。
「どちらへおいでですか」と、陽気に聞いた。「船浦の先」と、ぶっきらぼうだが、さっぱりした返事。「私上原のカンピラ荘まで行きたいんだけどバスがないのよ。船浦まで行ければあとは歩いてでもいけるので・・・」
そこまで言うと「ああ、いいよ、俺もカンピラ荘の筋向いまでいくから」とOKの返事。ピッタシカンカン。有頂天になってさっと車に乗り込む。
幸先良し。ここでもまた幸運の男神様に助けられる。北海道から来たと自己紹介する。
「俺ツルマキ、丹頂鶴の鶴に巻紙の巻」
「ああ、鶴巻さんね。はなっから縁起が良いわね。西表は五回目なんですけど、来る度に良い人と出逢えてラッキー」 ルンルン気分でいると、突然停車して「ここ見た?」と言う。 「エッ、なんですか、ここは・・・」 「古見のサキシマスオウの群生地だよ」
「いつも通り過ぎるだけで、まだ見てない」 「ゆっくり出来ないけど、ビデオに撮ってきなよ」と、先に車を下りてくれた。
道路から少し入ったところに、板状の根の高さが、二、三メートルもあるサキシマスオウノキの見事な群落があった。浦内川の上流のマリウドの滝の近くで見たことがあるが、これほどの数の木が巨大な団扇のような根を張っているのは初めてで、壮大な眺めには驚くばかりだった。
木質は非常に堅く水に強いので船の舵に使われていた。きっと息子も驚くほどのビデオが撮れるぞ、とワクワクしながらカメラを回した。鶴巻さんは鳩間島の人で道路工事のアルバイトに来ており、カンピラ荘の筋向いにプレハブを建てて仲間と住んでいると言う。
「明日仲間の一人が休みを取って鳩間島に帰るから一緒に行ってみたらいいよ。貝もたくさん採れるよ。民宿を紹介するから。あんた年寄り嫌いかい」
「いや嫌いでないよ」
「八十過ぎの婆さんが一人でやっていてね、きっと喜ぶよ。耳が遠いから話が大変だけど」
「大丈夫、私の声大きいから。それにうちの姑さんも耳遠かったけど、私の言うことだけははっきり分かるって喜んでいたから」
「じゃあ、バッチリだ」
「ところで連絡船毎日出てるの」
「ないね」
「そんなら駄目でしょ」
「大丈夫、毎日郵便船行ってるから、話して乗せてもらうさ」
「うまいこといくかい」
「いくさ、その調子でやってみな」
「アハハ」
というわけで、あっという間に上原に着いた。
結局、土日だったため、郵便局が休みで島には行けなかった。来年は是が非でも出かけるつもりである。
六日ほどたって、同宿の中村青年と画家の津吉さんと三人で西端の白浜から船をチャーターして、黒真珠の養殖を見に行くことになった。バスを降りると道路工事中の作業服を着た人が私の方を見て「やあ」と手を上げた。つられて「やあ」とお返ししてから考えたら、大原から車に乗せてくれた鶴巻さんだった。
「宿の婆さん残念がってたよ、北海道の威勢のいいおばちゃんに会えなくってさ。あはは」と空気の抜ける歯を見せて笑った。なんだか涙が出るほど懐かしく「その節はどうも、どうも」と、近寄って握手する。中村青年と津吉さんが口を揃えて「永吉さんて不思議な人だね。とんでもない所で、やあって呼び合える人がいるなんて。顔だなあ・・・」と、また変なところで感心されてしまった。

  サキシマスオウノキ
湿地林に生える大高木・サキシマスオウノキは、うねうねと広がる団扇状の板根が三
メートルにも及び、威風堂々として実に見事なことから「大名木」とも呼ばれている。
枝先におおらかなふたつの丸い玉が付く果実を、あるものにたとえて地元では「ウンマ
ヌタニー」とも言う。「ウンマ」は「馬」の意味で、あとはご想像におまかせする。

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再   開

札幌から西表島のカンピラ荘に宿泊の申し込み電話を掛けて、福岡鉄蔵さんが来ていることを知った。「早くおいでよ」と、懐かしい声が電話の向こうから聞こえてきた。二年前にモダマを荷造りしてくれた人である。
予定より二日早く「今日は」とカンピラ荘に飛び込むと、掃除をしていたヘルパー  らしい青年が「ひょっとして、ながよしさん?」と言う。
「当りー、良くわかったね」 なんとなく顔役になった気分でいると若奥さんが出てきて「今噂していたところよ。福岡さーん」と、奥のほうに振り返つて叫んだ。テツゾーがすぐに飛んできて「十四日ごろって言ってたけど、俺の予想ではおばちゃんのこったから今日あたり来るんでないかと話していたんだ。やっぱりな」と、クイズにでもあたったように喜ぶ。
「大原に二泊するつもりだったけど、島に着いたら何がなんでもひと時も早く鉄蔵君に会いたくて 夕方のバスまで五時間も待ってられんからさ、例によってヒッチハイクで飛んできたよ」 わあわあ言いながら握手して二年ぶりの再会を喜びあった。  鉄蔵は相変わらずヤクザつぽい雰囲気にもかかわらず、赤いバンダナの良く似合う人なつこい童顔を見せてくれた。 「おばちゃん汗かいたろ今日は暑いからな。シャワー浴びてこいよ」と、細かいところに気を配つてくれてうれしい。 さあ、これからどんなドラマが展開されていくか。いつ来てもこの島は不思議な魅力でいっぱいなのだ。まずは、しょうとく庵の辻口さんの所へ到着の挨拶に行こう。シナリオを考えるのはそれからだ


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カニノテムシロと干潟の仲間たち

カニノテムシロ貝を自分の手で採集したことは一度もなかったので、西表島の辻口さんに電話で聞いてみた。「潮が引いたら砂の表面に出てくるから、いくらでも採れるよ」
「じゃあ今年はそれでいきましょう」
「宿の手配しておきますか」
「まだ日程は決めてないけど大潮の四、五日前に出掛けていきますから、お願いします」
「今だと宿もすいてますから、いつでも大丈夫です。お待ちしています」
懐かしくも頼もしい声にひと安心、早速太陽旅行社の松浦さんに航空券の手配をお願いした。 西表島は五回目の独り旅である。離島が大好きで、ざっと数えただけで二十カ所以上の島を訪れている。いずれの島も個性豊かで魅力に溢れているが、特に西表島は何回行っても新しい発見があり、また行こうという気になる。
北岸道路を上原から東へ行くと船浦湾に出る。ここに海中道路と呼ばれている船浦大橋が架けられて、東部の大原と西部の白浜を結ぶ県道125号が開通した。それまでは東部の住民が西部の上原や星立へ行くには、大原港からいったん石垣島は行き、改めて船浦港行きの船に乗り継ぐという面倒なことだったが、大橋の完成で大変便利になった。
橋の上から山の方を見ると、白くて細い髭のような滝がひとすじ流れ落ちている。これがヒナイサーラで、「ヒナイ」は白い髭、「サーラ」は滝を意味する。
橋の内側はすでに潮が引き始め、泥っぽい砂地が現れている。昨年カニを捕りにいって、古い時代の石斧を手に入れた外側の干潟にもひかれるが、今回は内側に降りることにした。昨年と同じように橋の欄干にロープを結わえ、案内役の辻口さんに続いて簡単に急斜面を降りることが出来た。まるでターザンになったようで気分が良い。空は抜けるように青い。
2、30メートルほど歩いて干潟をじっと見つめていた辻口さんに近づくと「砂の表面を透かして見てごらん。小さい点のような黒いものがあるでしょう。あれがカニノテムシロだよ」と説明してくれたが、老眼のせいで見分けがつかない。辻口さんは時々しゃがんでは拾った貝を袋の中に入れている。
しばらくすると目が慣れてきて、見つけられるようになった。
小指の先ほどの小さな貝だが、ふっくらと反り返って黄色味を帯びた艶があり、赤ん坊の爪のようでとても可愛い。採り過ぎないようにほどほどのところで切り上げ、リュックからビデオカメラを出して撮り始めた。
一帯は川の水と海水が混ざった汽水域で、潮が引くとお世辞にも美しいとは言えないが、独特な生態系が観察できる。
ファインダーを通して良く見ると、砂泥の表面が広い範囲に渡ってサワサワと波立つように動いている。驚いたことに兵隊ガニの群れだった。足の踏み場もないほどの数で、それぞれの部隊ごとに同じ方向を目指して整然と行進している。
決まった巣穴はないらしく、近づくとあっと言う間に一匹残らず砂泥の中に姿を消してしまう。動から静への瞬間技は忍者そのものである。
カニが移動したあとには丸い砂の粒が無数に転がっている。「砂に混ざった餌を食べた後、砂だけ吐き出すんだ」と辻口さんが教えてくれた。実に器用なものだと感心する。
正式名はミナミコメツキガニと言って、紫がかった丸い小さなカニ。横ばいをしないで前へ前へと集団移動する様子は見事なもの。なぜか「麦と兵隊」のシーンを思い出していた。
橋のはずれから南西へ向けて緩やかな弧を描いて、奇怪な形をしたマングローブの樹海が広がっている。林の中にはノコギリガサミという大きなカニがすんでいる。長い棒でくすぐり、出てきたところを捕まえる。島一番の大変美味しいご馳走で、木槌で叩き割って食べる。
マングローブは干潮時、下の方の泥んこ色をした幹が一メートルほどむきだしになり、タコの足のような支柱根が砂泥に食い込んでいる。ヤエヤマヒルギと言ってオヒルギの前面、つまり海側に生えている種類と、昨年塚本君に教わった。マングローブの根元を注意深く見ると、砂泥の中で影の軍団のごとく身をひそめ、ほんの少しだけ殻を出して呼吸しているシレナシジミがいる。初めて見た人は「えっ、これがシジミだって。ウッソー」と叫び声をあげる。北海道の北寄貝にそっくりで、大人の握り拳ほどの大きさには驚かされる。
支柱根と支柱根の間には、泥にまみれた日本最大のキバウミニナが折り重なるように転がっている。なんとも不気味な光景に見える。わずかに残った水たまりでは、ミナミトビハゼが時々ジャンプしている。汽水域にすむカノコガイは、それぞれが違った模様をしていて実に美しい。
やがて潮が満ち始めると、足元からすこしずつ水位が上がってきて、泥んこの世界は緑の広大なマングローブの樹海に変る。カニノテムシロも兵隊ガニも、巨大ナシジミ貝も、跡形もなく海の中へ消えてしまう。潮の満ち干にまかせた大自然のドラマは夜の部へと移っていく




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