マガキガイ
地球上に生息しているすべての貝を私は愛しいと思う。珍しいからといって、特別強く心ひかれるとは限らない。どこにでも転がっている貝の中にも素敵なものがたくさんあって、そんな時には「今日は」と呼び掛けて、手を差し延べたくなる。幼い子が野原でタンポポやレンゲの花を摘んで首輪にして飛び回っている姿と同じ自分を発見してうれしくなる。
幼児たちは豪華なランの花や大輪のダリアに対して、それほど関心を示さないだろう。野に咲くスミレやタンポポなどが、なんといっても子供たちの遊びのパートナーに違いない。
マガキガイは房総以南の各地で普通に見られる平凡な貝である。イモガイに似ていて名称にカキが付くが、イモガイの仲間でも牡蠣の仲間でもない。白地に茶褐色の模様がありまがき(竹垣)に似ているところから、その名が付いた。殻口が美しい赤味がかったオレンジ色をし殻口の下から時折小さな丸い目を突き出すことがあって、とても可愛い。三日月形の爪のような蓋があって、これを上手に利用して移動する。私はまだ見たことはないが、外敵が近づくと蓋を海底に押し当ててジャンプして逃げるそうだ。沖縄の人がトビンニャ(跳ぶ貝)と呼ぶゆえんである。
何度採集しても同じ大きさの成貝ばかりで、幼貝が見つからないため不思議に思っていた。学者の調査によると、成長するにつれてすむ場所を移る習性があると分かり、疑問が解消した。 マガキガイはゆでて酒のさかなにすると美味しい。泡盛の水割りで初対面の人と話が弾むのも、そんな時である。地元の人はマガキガイが一ヵ所に集まる春の彼岸ごろに採りに出掛ける。彼岸が過ぎると集団から単独行動に移るため、採るのに手間が掛かるようになる。 中身を出した後の殻を縦にカットすると、より一層美しい色の面が現れる。人間の胃袋を満たした後々まで、自然の美を提供してくれる貝に胸が熱くなり、造形の神に感謝したくなる。
貝の集団行動といえば、1988年宮古島の八重干瀬で遊んだ後、平良市の砂川さん宅にお世話になった時のことを思い出す。
午後からご主人とサバニ(小舟)で浜下りで賑わう与那覇湾へ海ブドウを採りに出掛けた。ぐんぐん引いていく潮の流れのものすごさに圧倒されながらも、揺れ動く海ブドウに歓声を張り上げ、アオリイカの卵のうの群れやハそれにしてもリセンボンを怒らせて膨らませ、ビデオに撮っていた。初めての体験に有頂天になっていたその時、殻の長さが15センチ位ある大きなイトマキボラの群れを見つけた。12,3個の集団が他にもある。砂川さんによると、春の大潮の時に決まって集まる、要するに子孫繁栄のためで、それが終わると散り散りに離れていくと言う。90年の大潮のときは西表島で、岩状の珊瑚の塊を除くと、両手でガッポリすくえるほどたくさんのガンゼキボラが群がっていた。
春の彼岸ごろに集まるマガキガイもまた、子孫繁栄の行為と思われるので、採集は産卵の後にしたい。もっとも地元の人は自分たちが食べる分だけしか採らないので、資源保護上の心配はなさそう。自然も人もいつまでもゆったりしていてほしいと心から願っている
それにしても貝たちが集合場所を決めて、集まる日まで心得ているとは大自然には脱帽する。
花火になったマガキガイ
バケツで何杯ものマガキガイの殻がカンピラ壮の裏手にある渚に捨てられていたほんの少しだけの身を取り出した後の無残な姿だった。
なんとかこれお「海からの贈り物」展示会に役立てたいと三十個ほど拾い真水で何回も洗って残りかすを取り出した。波にもまれて打ち上げられ太陽に晒されて変色した貝と違ってどれも色鮮やかで美しい。
とりあえず・しょうとく庵に持っていく。辻口さんは食事に自宅へ帰っていて無口なガンさんだけが一人黙々と貝を磨いていた。「忙しそうね」と打診するとお見通しといった感じで私の顔をみた。
「これ拾ってきたんだけど」
「カット?」
「面倒でしょうね」
「そこに置いてきな」
遠慮がちな私にガンさんは首を横に振って言ってくれた。ほとんどの旅行者がガンさんの声を聞いたことがないと言うくらい彼は寡黙の人なのだ。
次の日ガンさんは白い布に包んだカットしたマガキガイを、だまって私の前に広げて見せ「これでいいの」といった表情をした。
「ああ上等、上等。さすがにきれいになったね。どうもありがとう。お忙しいのにすみませんでした」と私。するとガンさんは、さも愛しむようにカット面を触つて「角のところを面取りするともっときれいになるから。暇をみて磨いておくから後で取りにおいで」と、珍しく長いお言葉をいただいた。
「いいよ、いいよ、これ以上磨かなくっても。十分きれいですから。このまま頂いておきます。ありがとうございました」
胸がいっぱいになった私は、ガンさんの手からもぎ取るようにして受けとった。
マガキガイは美しく輝いていた。カット面を見つめているうちに、オレンジ色のマガキガイが突然、夜空にパッと広がる打ち上げ花火のように見えた。
「そうだ、今年はこれでいこう。ありがとうガンさん」おもわず叫んでいた。
こうして、「花火大貝」と銘打ったマガキガイは捨てられの身から一躍「海からの贈り物」展のスターになった。
セマルハコガメ
セマルハコガメをビデオに撮りたいと言うと、辻口さんは「近所で飼ってるから見に行きますか」と、カラオケバーの物置に連れていってくれた。板囲いの中に、三匹のカメが窮屈そうにのそのそしていた。あまり色艶が良くない。天然のカメに会えなければ撮らせてもらうことにして引き揚げた。
「野菜とりに畑へ行ったら可愛いカメがいたので連れてきたよ。」
二、三日たって、カンピラ荘のおばさんが、外のホースで水を掛け、甲羅をブラシで洗っていた。
「ビデオに撮るんだからお化粧してあげないとね」カメにまで思いやりのある、本当に優しい人だ。
「終わったら仲間のいる畑に帰してやろうね」
甲羅は見る間に艶々してきた。カメもうれしそうに気取っているように見える。
人間でいえば青春時代らしく、なかなかハンサム。草むらをはい回っているところを撮った後、おばさんは心得たもので、カメをひっくり返して腹甲を見せてくれる。首の出入り口がちょうつがいのようになっていて、頭と手足を引っ込めると、腹甲が真ん中から二つに折れ曲がり、背と腹の甲羅がぴったり隙間なく閉じてしまう。手の足も出ない、まさに箱のようになって危険から逃れるわけである。
危険が迫ったら箱のようになる亀、といったところか。
ヌマガメ科のセマルハコガメは石垣島、西表島、台湾にだけ生息している陸亀で、国の天然記念物に指定されている。大きくなっても体長は二十センチと、カメにしては比較的小さい。熱帯植物の生い茂る湿地の落ち葉の中でじっとしていることが多く、雨の日には活発に行動する。雑食性で木の実やミミズ、カタツムリが好物だという。
カメを草むらに腹甲を上にして置いた。しばらくすると足を出し、続いて首をニューッと出す。最後に手をそっと出し、ひょうきんな顔つきで右左あたりを見回す。体を揺すっていたかと思うと、両手を伸ばして手探りし、長く丈夫な草をつかんだ手にウエートをかけ、反動をつける。「ヨイショ」「そら、ドッコラショ」
動きに合わせて声を掛けていると、重い甲羅がひっくり返り、スタコラ、スタコラ逃げ出した。 「ここは車が通って危ないから、山に帰りましょうね。」
おばさんはにこにこ顔で人間の子供に言うようにカメを箱にいれた。
直下型の地震
深夜、大きな地震に見舞われた。島が海面下に沈没するのではとおもうほど、ものすごい迫力の直下型だった。東京で横揺れの地震には度々遭っているが、ビルのてっぺんから地階までエレベーターで一気に降下したよううな地震で、とっさにこれは直下型だなと判断した。 鈴石でも分かるように、海面下にあったものが地殻変動や火山の爆発などによって陸地になったり、逆に海底に沈んだり、大自然のサイクルの中で絶えず地球は生き物のように動いている。いずれ日本列島に大異変が起きるのではないかなどと考えると、人間の営みなんてちっぽけなもの、生きようが死のうがどっちでも良いような気分になってしまう。
そのくせ、海が近いから津波が来たらどこへ逃げようかと窓を開け、山の方の見当をつけている。やっぱり人間なんてお粗末な存在で、とても大自然には太刀打ちできない。改めて、その威力に脱帽せざるを得ない。
普段は物音一つしない道路を車が、往き来している。階下でも人の動く気配がして、緊迫した空気が伝わってくる。
その時、有線放送。
「地震情報をお知らせします。十七日午前零時二十七分地震が発生しました。震源地は星立地区で震度は四ですが、津波の心配はありません。繰り返します・・・」
声がうわずっているようだった。
星立地区はカンピラ荘から10キロの距離。これほど震源地が近いのは初めての体験だが、まあ、何事もなさそうだから、良い土産話が出来たと思って明かりを消した。
夢うつつの中で「ホッホー、ホッホー」ト、フクロウが鳴いて遠ざかっていく。石島忍先生(札幌在住のフクロウ専門の絵かきさんで詩人)に「西表にもフクロウがいたよ」と知らせなければと思っているうちに、すべてが闇の中に消えていった。
「キョロロ、キョロロ、キョロロロロ」
宿の裏にある大きなハマザクロの木に飛んで来たアカショウビンのモーニングコールで目が覚めた。時計は五時四十分を指していた。夜明けが早くなったせいか、起こしにくるのも早まったようだ。夜中の地震騒ぎはどこえやら、まことに清々しい平和な朝である。六時に階下へ降りていくと、食堂のテーブルの上に懐中電灯が三個置いてあった。停電に備えたのだろう。厨房ではおじさんとおばさんが明るい表情で働いていた。
今日は旧暦三月三日(四月十七日)、一年で一番の大潮に行われるお祭り「浜下り」の日この日はゲットウの葉にダンゴを包んでクバの葉の繊維でくくったのを蒸す。宿泊客や知人宅に配るため大量に作らなければならない。蒸し器から上がる湯気に含まれたゲットウの香りがなんとも言えない。自然の素材を上手に生かした島の人たちの知恵にはいつも感心させられる。
珊瑚礁への誘い
宇奈利崎は住吉の北側にある岬で、西表島の中でも最も景色が美しいと言われている。太陽の村・星砂の浜では潮が引いた後のひと時、リーフの上を天上人のように優雅に散歩する幸せを味わうことが出来る。深い緑色から淡い水色へと、まるで風呂に「バスクリン」を入れた時のような色の変化が素晴らしい海の上に、ぽっかりと造礁珊瑚の島が姿を現す。半円形や円柱状に突き出したもの。ビン洗いブラシみたいなもの。大きな木の葉のように平たく幾重にも重なり合って張り出し、岩を覆っているもの・・・。
様々な形をした珊瑚が身を寄せ合って生きている様子が観察できる。たまに足元が狂って柱状に突き出したのを踏むとグシャッとつぶれて、足も痛いが心も痛む。
ポリプを納めてじっとしている珊瑚は鉱物のようで、褐色、緑、灰色、白、黄褐色と落ち着いた色。生きているのを踏まないように、子供のころ遊んだ石蹴りの要領で沖の方へ進む。珊瑚に囲まれた砂地のタイドプール(潮だまり)がところどころにあって、逃げ遅れた魚や貝のためにたっぷり水をたたえている。可愛いコバルトブルーの群れが素早い身のこなしで行ったり来たりしているかと思うと、物の気配にさっと反応して姿を消してしまう。
岩礁を返してみると、光を避けて生きている貝を見つけることが出来る。アマオブネは岩の割れ目などに吸着して波から身を守り、宝貝は外套膜でその美しい表面を覆って保護しヒメジャコは珊瑚を掘ってすっぽり身を隠している。おいそれとは採集されないように、それぞれが工夫を凝らし、生きるための知恵を働かせているのだと思うと、いじらしい。
気がつかないうちにかなり沖まで移動していたようだ。すぐ目の前がリーフの切れ目になっていて、濃紺の底も知れぬ深い外海にゾッとする。大きな魚が見え隠れしている。海面を良く見ると陸の方に動いている。最干潮が終わったようで、人々も陸の方へ引き返しはじめた。一緒に来た辻口さんと加奈ちゃん父娘も、何かを拾いながら陸へ向かって歩いていた。きょうは旧暦の三月三日、浜下りである。島の女性たちは海水で顔を洗い無病息災を祈る。いつもなら貝の採集に夢中になる私だが、この日ばかりはタイドプールの宝貝もイガレイシも見逃してビデオ撮影に専念、無益な殺生は避けた。
ヒトデ
どうもヒトデは苦手である。特にクモヒトデは嫌だ。足の踏み場もないほどの軍団が黒く細い手をごにょごにょ動かして、我がもの顔に振舞っているのを見るとうんざりする。折角のいい気分がすっかりしらけて早くその場から脱出したくなる。出来れば右足が下に着かないうちに左足を出したくなる。ヒトデの集団から離れられた時にはほっとする。
オニヒトデを除くと、どれもおとなしく人間には害を与えないと言う。そうなると、いくらか余裕を持ってヒトデを観察しようかという気持ちもわいてくる。よく見るとウミウシやナマコのようにぐにゃっとしていなく、皮細工のようで肌触りはそれほど悪くなさそうだ。しかし、やっぱり素手で触るのは気味が悪い。
小さなくせに大きな顔をしてあたり一面にはびこっているクモヒトデは論外として、白い砂地に赤や青の色鮮やかなヒトデが揺らめいている光景はなかなか美しい。外国ではシースター(海の星)と呼んでいるそうだが、ぴったりの表現で面白い。
1989年の春の大潮に辻口さん一家と鳩離島まで出掛けた時、加奈ちゃんが直径30センチほどある丸いクッションのような物を「可愛い」と言って抱え上げた。漂着物採集で有名な石井先生のコレクションの中にもなかった気がしたが、ひょっとして南方からの漂流物かと思い辻口さんに聞くト「マンジュウヒトデ」だと言う。冗談かと思ったが、真面目な顔をしているので、もう一度近寄ってよく見ると間違いなさそうで仰天した。
近くには同じ大きさの星型のものもある。地肌の色は灰、茶、橙、赤と色々で黒いこぶ状の突起が付いている。愛嬌のある縫いぐるみのようだが、それでも私は手に取ってみる気になれなかった。
それから二年後、白井祥平氏の文章で星型のはコブヒトデだと知った。その中に面白い記述があった。
「マンジュウヒトデは主として貝類を食べるが、生まれつき口は非常に小さいので、仕方なく中の胃袋を体の外に出して餌をすっぽり飲み込み、獲物を消化して小さくしてからまた胃を中にしまい込むという珍芸ができるのである。」
「コブヒトデを見た人は必ず採集して、丁寧に乾燥して標本にする。あるいは海の勲章だなどと、トロフィーとして飾る人もいる。」
ヒトデなんてと言って馬鹿にしてはいけない。もっと早く読んでいれば、私も勲章を持ち帰り誇らしげに飾ったものを・・・。いささか後の祭りだが、残念、無念。
夜明け
午前四時二十三分、一番鶏が遠くで鳴く。まだ暗い。つられたように近くのカラオケバーあたりでも鳴く。眠ってしまうのも惜しい気がして、灯りを消しカーテンを開けて移り行く夜明け前を味わうことにした。ハマザクロの梢の右はるか向こうに星がまたたいている。
なぜかその時、昨年モダマの採集に行ったジャングルの中でのことを思い出した。先を歩いていた辻口さんが急に立ち止まり、あまり大きくない木のそばにしゃがんで両手で細い幹を囲うようにしながら「ほら、キノボリトカゲだよ」と、ささやくように言った。
鮮やかな明るいグリーンの小さなトカゲは逃げる様子もなく、手の中で神妙にして動かない。正直なところ私は苦手なのだが、折角の好意なので「ほんと、可愛いね」と云って、視線を少しずらして見つめた。ひょうきんなキノボリ君は、静止したままこちらの出方を待っている。辻口さんも動かない・・・。
思い返すと、あの時の間は少し長すぎたようだ。「カメラに納めたら」という辻口さんの心遣いだったのだ。願ってもないシャッターチャンスだったのに、私は突然の出会いで、カメラを持っていることをすっかり忘れていた。辻口さんの思いやりも、キノボリ君の折角のポーズも無にしてしまった。いまさら気づいても遅いが悔やまれた。
状況判断が鈍くなったことで、改めて忍び寄りつつある老いに気づかされる。人間暗いところで物事を考えると、どうも悲観的になっていけない。灯りをつけることにした。
「ホッホー、ホッホー」 丁度その時、近くで胸にしみ入るような孤独なフクローの鳴き声がして、とおざかっていった。
アカショウビンのモーニングコールで目が覚めると、五時四十分だった。フクロウの声が闇に消えた後、眠りに入ってしまったらしい。
「キョロロ、キョロロ、キョロロロロロ」 複数のアカショウビンが競うように遠くで、近くで、鳴く。テープにとろうとセットしたが、近所の犬が邪魔をする。空が薄赤く染まり始めたところで、他の小鳥たちもハマザクロの木に集まってきて合唱になった。
「アオー、アオー」と鳩も鳴く。暖かい土地を求めて移り住むと言う青鳩に違いない。
昨年の夏も終わりのころ、石島忍先生のグループに入れてもらい張碓にある北山さんの別荘にお邪魔した。庭の大きな木の枝に鳩の群れが止まっていたが、通過する列車の響きに驚いて飛び立った。青鳩だと初めて教えられた。本州から来た人でも運が良くなければ見られないと言うのに、心ゆくまで観察出来て喜んだのを思い出した。
あの時もカメラのことを忘れてチャンスを逃したのだが・・・。秋が近づき、そろそろ南の国へ移る準備をしていたのだろう。あの張碓にいた青鳩が、暖かい西表島に移って来たに違いないと思うと懐かしい。
鳩間島、鳩離島の地名は、北と南に遠く離れた間を、鳩が往き来するところからきているのではないか。そう考えると、旅する自分もなんだか青鳩になったような気になるから不思議なものだ。
水平線に大きなオレンジ色の太陽が勢い良く昇り、海も島も見事な黄金色に輝きだした。