report & column

江別つうじゃんさんのレポート&コラム

(筆者へのメールは
こちらから、「江別つうじゃんさんへ」と明記にて)


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草原で立ちションしたい!
iPS細胞、再生医療に期待しています

 平成15年8月に怪我をして4年半、神経の再生は不可能と言われ続けて自分の将来を思うと不安の日々でしたが、そんな中で少し光を当ててくれたのがiPS細胞による再生医療の発表でした。

 ニュースを録画して何度も見ました。今まで色んな研究や臨床試験が発表されましたが有効な結果が出ず、そのたびにがっかりしてましたが、今回のiPS細胞による治療はかなり効果が有ると思ってます。

 そんなに遠くない時期に日本でも臨床試験が始まる事でしょう。ただ問題なのは治療を受ける患者の選択です。そしてどれだけの病院が治療を出来るようになるか、治療を受けたい患者は全国に居て、何万人の人が待ってると思います。私もその内の一人です。

 年々痺れと痙攣が強くなり、夜中に痙攣で目が覚めたり辛い日々を送ってますが、私の後遺症のなかに排尿、排便が自力で出来ないという後遺症が有り、もちろん同じ症状の人は沢山居ると思いますが、2日に1回下剤を飲んで浣腸をかけて便を出す事が苦痛で、時々失敗して便と浣腸液が出なくて1日中オムツをしていたり、また小便はセルフで出してますが、先日、尿路感染症になり40度の熱が何度も出て、辛い思いをしてきました。2度目の緊急入院でした。

 もし再生治療を受けたとしても、回復度はどれだけ上がるか分かりませんが、今の私には草原で立ちションをしてみたいですね。

 先日、岩見沢市に在る労災で怪我をして回復せず1人で生活の出来ない人が対象のケア施設に行ってきました。此処には私と同じ時期に入院し一緒にリハビリを頑張った仲間が居て、久し振り顔を見たくなり仲間の部屋に行く途中、私は2本の杖を使えば短い距離だと歩けるので、リハビリになると思い歩いていると、車椅子に乗った高齢の女性が寂しそうに「いいね、あなた歩けるの」って声が聞こえました。私は「ハイ」としか返事が返せなく言葉に詰まりました。

 老若男女、再生医療が確立された時、皆さんが待ってる治療を受けられる権利を平等に考えて欲しい気持ちと、一刻も早く治療が行き渡るよう祈ってます。

(北国の頸損かわら版 Vol.34への寄稿から:2008年1月) 
 

 

 

8.12 時間が止まった日

 平成15年8月12日、その日は盆休み前で仕事が込んで忙しい日でした。私は造園会社に勤務しており役職は工事部長で、あまり細かい仕事の現場は出ないのですが盆前ということで樹木の剪定作業に出ました。

 1本の木に登り作業している時、左手で持っていた枝が折れスローモーションのように体が浮き一瞬記憶が無くなりました。高さは2.5m位だと思います。地面に落ちた時体が動かず特に、手足はまったく動きませんでした。私は両手両足が折れたと思い作業員に救急車を呼ぶよう指示し、救急隊員に事故の説明をし車に乗った後気を失いました。

 気が付くと病院のMRI室の中でした。写真を撮ったあと医師の説明によると、「5番目の首の骨が折れて神経を圧迫し、その影響で手足が一時的に麻痺している。」との説明で回復まで6ヶ月の診断でした。少しホッとしました。

 でもそれは束の間の喜びでした。この病院では手術はしないで薬で神経の圧迫を取る治療でした。治療の効果が無く4日後2回目のMRIを撮りました。医師が写真を見ながら私に言った言葉は「思ったより状態が悪く多分手足の回復の見込みは無いかも知れません。」一瞬その言葉が他人事のように聞こえました。一人になって女房や子供の事や此れからの事を考えた時、こぼれる涙を止めることが出来ませんでした。

 この病院では治療方法は無いと言うので転院を希望しましたが好い返事が無く、女房が色々調べてやっと大学病院に頚椎専門の整形外科の先生がいることを知り、何とかMRIの写真だけ持って外来受診を受けたところ、写真を見るなり手術しないとだめです、との事でした。私の場合は骨折だけでなく5番6番が少し開いていて2つを固定しないと大変な事になる、と言われすぐ先生にお願いしたところ、「私が手術します」という返事を頂き、その事を女房から聞いた時、不安な気持ちが少し取れたような気がしました。

 ケガをして1ヶ月が過ぎ、やっと手術する事が出来ました。あとで聞いた話ですが先生は頚椎専門の教授で、水曜日の午前中2時間位外来で診察しています。いい先生に診てもらったと女房に感謝しています。

 術後右半身は少し動くようになりましたが左は動かず、毎日動けと念じていました。するとある日、左足の親指がピクリと動きました。ずーと念じていた左が動き感激の一瞬でした。

 3週間後、リハビリのため転院しました。回復するかどうかは分からない、と言う先生の話でしたが、自分の中では絶対に回復すると信じリハビリに打ち込む事にしました。リハビリを始めて数日後、先生がいきなり、「今日、立ってみようか」て言って平行棒で立たされました。もちろん先生に抱えられながらですが、目まいがひどく時間にして15秒位だと思いまが、自分の足で立てた事に涙が出そうな位い感動しました。それから10ヶ月毎日筋トレ、ストレッチ、歩行訓練とリハビリを続け、平成16年7月31日退院しました。

 残念ながら自分の思ったほど回復はしませんでした。後遺症は、排尿、排便が自排出来ない事、胸から下の感覚が無い事、左半身があまり動かない事、痙攣、痺れが強い事、色々残っています。

 体が動かなくなった時、考えたのは死でした。何度も考えました。その度女房に叱られ、励まされ今が有ります。毎日大変で落ち込む日も有り将来を考えると不安に成りますが、何とか頑張っています。これから何をして生きていくか、どう人生を過ごしていくか分かりませんが、ゆっくり考えます。今、私の時間は止まらず、ゆっくり動いています。 


(北国の頸損かわら版 Vol.30への寄稿から:2006年2月) 
 


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