近況報告(2009年1月24日投稿)
如何お過ごしでしょうか?
私の方は、年末、東京女子医大に疼痛の日本的権威の医師がいるということで入院、大脳の手術を受けました。帯状回という部位で痛みを感じ・記憶するということで、その部位の組織を熱で焼き殺しました。頭の左右に傷ができました。
医師が言うには、私の脊髄神経の損傷がひどいので、手術後もモルヒネが必要だと言ってましたが、その通りになりました。モルヒネの量は1日、10錠から6錠に減ったものの全身疼痛は相変わらずで、寝たり起きたりの日々です。
手術後、意識が無くなることがあり、先日も通院で車を運転中に意識が飛び、路側帯の白いポールを4本倒し、ガタガタという音と振動で目が覚めました。
対向車や人様を跳ねないで幸いでした。以後、車の運転はしていません。
このような状況ですから、早々、役所に辞表を提出しました。
これからは無職無収入になります。毎月、医療費が5万円ほどかかるので、どうしようかと思っています。現在も無給ですが、長期・短期掛け金や借金の支払いが毎月12万、加えて市役所から道民税と市民税12万円の請求が来ました。妻のパートは7万円です。生活費にも足りません。公共料金もありますし・・・
収入がないので、これまで2週間ごとの通院だったのを1月ごとにしてもらいました。毎日、全身疼痛がひどく(特に関節)一人寂しくべットで寝ています。朝食も昼食も摂らないで我慢してる?寝ていることがほとんどです。
なんか、人生辛い事ばかりで、こうやってキーボードを叩くのも指が痛くて大変です。
それでは近況まで。
その後の経過と近況(2008年5月18日投稿) ウルトラこと改名「ゴン」です。初投稿(下記)から10年が経過しました。 医療過誤裁判は、医師に逃げられました。入院・手術していた病院を弁護士と訪ねたところ、レントゲン・MRI写真は隠匿、存在しませんでしたし、カルテは明らかに分かる筆跡で書き換えられていました。その医師は見舞金として100万円振り込んできました(訴訟費用は145万円)。もうこれ以上、追求してもまた良心の呵責も見受けられたので控訴しませんでした。 私の身分は国家公務員です。34歳で課長になり、同期からは出世頭と言われましたがその後も状態が悪く、入院が36回、脊髄手術10回以上、難病の左股関節大腿骨頭壊死になり、頚椎・腰椎・股関節をチタンで支えています。 現在、4回目の休職中です。官舎を出て妻の実家で入退院を繰り返し生活してます。 幹部として、国民の公僕として身体障害者2級は失礼なので、先般、やむなく辞意を表明しました。医療ミスでの辞職は、誠に悔しいのですがいたし方ありません。それが現実です。 ただ今、6箇所に通院。塩酸モルヒネ・ガバペン・レペタン・ペンタジン・ソセゴン・デカドロン・トフラニール等10種類以上の投薬でコントロールしています。 脊髄に電極を埋め込む治療も2度しましたが失敗、残るは大脳運動野に直接電極を埋め込み疼痛をコントロールする、大脳皮質電気刺激療法が残されていますが、これも万人に効果はなくトライに躊躇しています。 幸い、子供ら二人も大学を卒業し東京に就職したので、障害年金と妻のパートで生計をたてて行くつもりです。健康さえあれば、痛みさえ取れればと思いつつも歳には勝てません。ウオーターベットに独り横になり、人生一度きりなのにこれでいいのかと自問自答しています。答えは出ませんけどね。ため息ばかりです。四肢麻痺も辛いですよ。 昨日も薬の副作用もあり、信号待ち追突事故を起こし警察に行って来ました。なんとついていないことでしょうか。自動車事故は10回近いです。いつも通院の時です。病院に急いで行くものだから、でも痛いから一刻も早く注射・点滴を受けたいと思いますからね。この辺、なかなか分かってもらえないのですが。 でも、病気をしたおかげで尊敬できる医師にも巡り合えたし(個人的にメール交換情報を得ている)、物事を見る視点を変える事もできました。人様の痛みや辛さも少しだけ分かるようになったつもりでいます。家族も一致団結したかな。まあ、そんなこんなで、温泉に入ったり、ジャズ喫茶に行ったりのんびりとした、役所人生では味わえない意義ある人生を送っています。 脊髄損傷等の皆さん、人生一度きりですよ。できる範囲で謳歌しないと後悔します。 大学を卒業して、1年間公務員試験の勉強をしていた頃が懐かしいいです。若いときの志はどこに行ったのでしょうか。まさかこんな形で職を失するとは考えもしていませんでした。医療ミス=直接、辞職につながる構図は変えていかないと安心して病院にも行けません。麻酔科・整形外科の医師の方がおりましたら、くれぐれも脊髄硬膜外ブロック注射を打つときは血管を傷つけないように留意願います。そして、常に患者様の人権・人格を尊重していただきたいと思う所存です。 病気のデパート?商社か? 北海道に住んで10年になります。あれは忘れもしない昭和57年11月3日、東京でマラソン大会に出場し完走した後に、これまでに味わったことの無い症状が出ました。腰に鉛が入ったような重苦しさと下肢の裏側にツッパリ感としびれ。はじめは、筋肉痛だと思ってました。それが1週間続き、1ヶ月続き、3ヶ月後に病院を訪ねたところ坐骨神経痛と診断されました。 その後も、ジョギングは毎日続けてましたが、平成2年にギックリ腰から歩行ができなくなり入院、その入院中は腰椎硬膜外ブロック注射での治療でした。この時、すでに首が寝違えたような症状と左腕の痺れ・重苦しさを感じてました。仕事柄、2〜3年で全国を転勤して回るので、主治医が定まらないまま病院を転々としていましたが、腰痛・頚椎痛、四肢と痺れがひどくなり、勤務中、激痛がひどくなり2度ほど気を失いました。 そんな時に、東北に脊髄専門の病院があるから騙されたと思って来てみたらと言うことで飛行機で飛びました。夕方、その病院で診察を受けました。私の症状とレントゲンだけで、その医師は首も腰もたぶん手術を要すると診断し、わざわざ北海道からきたので、何とか今日中にMRIを撮り診察結果を出しましょうということで待機。案の定、頚椎・腰椎のヘルニアでした。そこの病院で13箇所目でした。それから、手術・入院の繰り返し。ひどいヘルニア・すべり症・狭窄症が見つかり、これまでの医師は病院は何をしていたんだとその医師は憤慨してました。 その後、25回の入院と9回手術(全身麻酔)を受けました。特に、厄年の42歳の時には、治療で行った頚椎硬膜外ブロック注射の針が誤って太い血管を傷つけ、広範囲にわたり大量の出血、救急車で脳神経外科に運ばれ、急性硬膜外血腫で7時間半の手術を受けました。その際に頚椎3番から7番までの狭窄手術してます。ブロック注射の後1時間ほど休養して、妻の運転する車で帰りましたが、注射直後から後頭部にバーンと張ったような重苦しさがありました。それで、車に乗り込んでから妻に首の調子がおかしい、重苦しい、辛いと話しながら帰宅。玄関に上がったところで、激痛・倒れました。ですから、救急車で脳神経外科に運ばれたときに、そこの医師から何かしましたかと言われたので、頚椎ブロック注射をした旨、説明したところあわててその病院へ、どの部位になんの注射をしたか、問い合わせていました。ちなみに医療過誤の医師は、訴えます。弁護士料も払い、訴状も出来上がってます。カルテの証拠保全はしません。弁護士曰く、すでにカルテは改ざんされている。これまでの経験から行くと・・・。 現在は、自律神経失調症、排尿・排便障害、味覚・臭覚障害、全身疼痛、胃潰瘍・十二指腸潰瘍・喘息・パニック障害など、嚥下反射も悪いので薬を飲むのも大変です。一度むせるとすぐに喘息です。ステロイドを使用してるので全身倦怠もありますし、毎日、末期がん患者用のレペタン座薬も使用してるので、肝臓も心配です。夜昼も逆転してますし・・・障害の程度は、身体障害者一種2級、障害年金2級で、仕事の方は1年半休職、現在、無給休職中で復職を目指しています。 医療費には、すでに1000万円以上使いました。蓄えもないし、鬱にになりますよ。ただ、毎日「元気」という言葉を思い出して、楽しく生きるようにしてます。それではまた。
(投稿:2002年8月)
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