report & column


 受傷後のリハビリと身体の変化など

 後藤茂樹


 秋になり、朝夕の涼しさ(寒さ)が身体に深く感じるような季節になってきて、「また今年も冬がやってくるなぁー」と考えることが多くなってきた網走の後藤茂樹です。

 6月の集まりでメンバーの方々とお会いすることができてとても楽しかったし、ビールがとてもおいしかったです。また何かあったら行きますので、その時はよろしくお願いします。

 私は昭和37年8月16日生まれで、実家は網走郡津別町です。高校・大学と事故(受傷)になるまでずっと津別で暮らしてました。

 受傷日時は昭和58年8月6日で交通事故です。友人の車に同乗していて自損事故を起こしたのが原因です。受傷レベルはたしかCの6・7だったと思います。入院したのは釧路の労災病院です。麻痺の程度ですが、受傷時、下肢の方は全く感覚も無く動きませんでした。上肢の方は、腕は感覚が鈍くなってましたが動きは大丈夫で、指はある程度動いていたのですが力はありませんでした。

 入院してから1週間もしないうちにリハビリの先生が来て、「麻痺している場所で動かせるところは動かして刺激を与えれば、まだ若いので回復する可能性が少しはある。」と言ってくれてリハビリの方法も教えてもらいました。最初の頃は足には点滴が入っているし、頭・首は吊られて固まってる状態でしたが、午前と午後にリハビリの先生が来て動かし、また、それだけでは足りないので母が汗をかいてやってくれました。

 そのうちにハローをつけて、ベットからの固定が解けると訓練室へ行けるようになり、また、夜などはテレビを見ながら足の指を動かして刺激を与えてました。そして、受傷してから3ヶ月目頃だったと思います。夜ベットの上で左足の親指を動かしていると反応するようになり、リハビリの先生に足の指が動くのを見せると、「可能性があるから続けていこう」と言ってくれて、その後も結構必死にリハビリしました。9ヶ月目で退院したのですが、両手にクラッチ(杖)を使い何とか歩けるようになり、手の方も物をつかんだり出来るようになりました。

 現在は、クラッチで歩くのと、車椅子を状況に応じて使ってます。退院した頃よりいろんな面で要領が良くなり、失敗もなくなってきましたが、その後の努力不足で進歩が見られないところが悲しい現状です。

 退院してからは、家に戻ったりリハビリセンターに入所したりといろいろしていましたが、自分で何をしていいのか悩んでいたと思います。そんな時、新聞に載っていた身障者を対象にしたプログラマー養成講座が札幌で行われるというのを見て参加するために札幌に移りました。そこで勉強をして、その後いろいろ仕事をしたりして自分自身にも自信が持てるようになってきました。そして、平成7年4月からは、長年住み慣れた札幌から網走市に移って現在に至ってます。

 網走にも慣れてきまして、札幌に比べるといろんな面で不十分ですが、今後いろんな所を散策して車椅子等での観光可能な場所や宿泊可能な施設等を探していきたいなと思ってます。

 昨年、受傷後初めて釣りをしました。その時は「ちか釣り」でしたが、感激しました。網走は釣りの好きな人には良いところですよ。今は鮭釣りが盛んです。

 実家の津別町には、「でてこいランド」というのがありまして、障害者や健常者が一緒に楽しくやりましょうという場(建物、宿泊OK)なんですが、いろいろな人達がやってきてます。また、街中の「味登利家(みどりや)」というそば屋さんは駐車場から店の中まで段差もなく車椅子のトイレもあるので、是非こちらにいらした時に寄って下さい。国道沿いで看板も出てます。

 私の周りにも何人かいるのですが、受傷時は大学生で、国民年金に加入してなかったため障害年金の対象になりません。なんかこの仕組み頭にきます。それなら20歳になった時にそういうことを教えてほしいです。無年金障害者は連絡会の中にもいると思うんですが、どうなんでしょうか。

 それでは皆様、未熟な文章で申し訳ありませんでした。これから寒くなってきますが、健康に気をつけて頑張りましょう。

(1999年1月、北国の頸損かわら版より転載) 




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