伊藤 剛さん(C8・勇払郡穂別町)のレポート&コラム






 悩んでいた尿漏れが治りました!

2001年7月、北国の頸損かわら版より 


 膀胱瘻にしてから、16年が過ぎようとしています。使用しているカテーテルは、腎盂バルーン(22Fr)。先月から尿道の方からの尿漏れがひどくなり、1ヶ月間以上も尿漏れで悩んでいました。

 地元の病院には泌尿器科がないんですが、一応受診してレントゲン、尿の検査をしてもらいました。膀胱結石などはないし、結局、尿漏れの原因となることは解りませんでした。クスリで尿漏れが良くなればと思い、ポラキス(1日1回1錠)を処方してもらい、しばらの間クスリを飲んで様子を見ることになりました、しかし10日間位クスリを服用してみましたが効果はほとんどなく、副作用(眠気、胃の不快感等)ばかりで尿漏れは全然良くなりませんでした。

 地元のDrから、もしクスリが効かなければ専門の病院を受診して、手術等の処置を受けた方がいいとの話がありました。結局、苫小牧の王子総合病院泌尿器科を受診することにしました。一度目の受診では尿検査と診察、バップフォーという薬(1日1回2錠)を2週間分を処方してもらいました。2週間ほど服用しましたが、効果がありませんでした。

 二度目の受診では膀胱のレントゲンを撮り、前回と同じ薬の量を増やして、もう少し様子を見てくださいということになりましたが、僕としては早く今の状態から離れたいので、手術を考えてもらえませんか?膀胱と尿道を切り離す手術は?と問いかけました。Drの返答はそういった手術はできるが、手術は最終的なことで、次回の受診時に検査をしてからまた考えようということになりました。

 三度目の受診時に、膀胱内に造影剤を入れて膀胱の形、尿道の形を見る検査をすることになりました。検査の結果は、他の人より膀胱から尿道への出口部分が広くなっている。膀胱が変形している(特に膀胱瘻の当たりがくぼんだ状態になっている)というものでした。そして、膀胱をレントゲン撮影で透視しながら5cmほどカテーテルを膀胱内に入れた状態で布テープで固定しました。尿漏れを引き起こしたのは、膀胱瘻にしてから約16年近くもの間、カテーテルを引っ張りすぎた状態で固定していたために膀胱に負担をかけていたのが原因でした。

 尿漏れがあったときには、外出時に常時ペニスクランプを使用していたために、ペニスの付け根あたりに傷が出来てしまいました。今はイソジン消毒液で消毒、リフラップ軟膏を塗り処置して、もう少しで完治しそうです。

 現在は尿漏れがなくなり、ペニスクランプを使わずに仕事、遊びにと出かけられるようになりました。





 退院しました!


2000年1月、北国の頸損かわら版より 


 8月20日に苫小牧日翔病院形成外科へ入院して、同月25日に全麻で一度目2時間程の手術を受けました。手術内容は、まず座骨の骨を削り、傷の所の悪くなった筋肉組織を切除して、ただ周辺の薄い筋肉を縫い合わせただけのものでした。

 「これで大丈夫だ!」と思っていたら、手術から4週間後に熱発があり、ドクターに診察してもらったところ「縫い合わせた筋肉がうまくつかないで、筋肉と骨の間に隙間が出来ちゃって、血液状の物が貯まっている」と言われました。そして「このままだと時間がかかるし、治らないかもしれない」と言うので、それだったら、もう一度手術をした方がいいなと思い、結局二度目の手術を受けました。

 4週間後に受けた二度目の手術では、大腿の方から筋肉組織を縦25B、横15Bほどを切りはがして傷の所に移植したそうで、時間は6時間半から7時間くらいもかかったそうです。

 一度目の手術から座れるようになるまでの約3ヶ月半以上、ずっとうつ伏せだったので、筋肉、体力ともにかなり落ちちゃって「いざ、車椅子に乗れるぞ!」ってなってからも、貧血はくるし、力は無いしで大変でした。

 入院時には2ヶ月くらいで退院できるなと思っていたのに、3ヶ月もかかっちゃって予定が狂っちゃいました。一度目の手術は、はっきり言って失敗みたいなものでした。「自分としては、最初から大腿の方から筋肉を持ってくる手術をしてほしい」とドクターに頼んだのに、簡単な手術で済まされてしまいました。結局ダメで二度目の手術が必要になり、3ヶ月もの入院生活を強いられるハメになりました。

 今は車椅子に乗るようになって約2週間ですが、ようやく2〜3時間程まで車椅子に座っていれるようになりました。でも、やっぱり身体がきついのと、手術部位の筋肉がまだ突っ張り、股関節、膝関節、足首関節が硬くて、まだまだ柔らかくなるまで時間がかかりそうな今日この頃です。

 そろそろ入院していた病院から貰ってきた手紙を持って地元の病院へ行く時間なので、この辺で失礼。なんかダラダラ書いちゃったけど、意味が理解できるかな?




 穂別町での生活と仕事


1997年・北海道頸髄損傷者連絡会レポート集より 


 私の住んでいる穂別町は、穂別メロン・グリーンアスパラガス・長いも等が特産物として知られている胆振管内の山に囲まれた人口4,300人あまりの小さな町です。

 穂別町にはJRが通っておらず、もちろんリフト付きバスやリフト付きタクシーはありません。(行政による移送サービスはあるものの、利用は通院等に限られます)坂道や段差が多く車椅子生活には不便な所で、大型トラックの通行が多いため砂利やガラスの瓶の破片が道路に落ちており、車椅子のタイヤに刺さったりします。

 車椅子で利用できる商用施設は合わせて10〜11店舗程度といったところで、飲食店では自力で入れるところが1軒、少し介助があれば利用可能なところが1軒あるだけです。穂別町立博物館、穂別地球体験館は車椅子でも入場が可能で、観光の目玉となっています。

 96年6月、市街地から1キロ程離れた所に「穂別町ふれあいパークゴルフ場」が新規オープンし、一般用コース18ホールの他に車椅子使用者でも楽しめるリハビリコース9ホールができました。私も3回ほどコースに入りプレーしましたが、まだ芝が新しいために車椅子のキャスターが食い込んでしまい大変でした。しばらくすればもう少し楽にプレーができるようになると思います。障害者専用の駐車スペース、障害者用トイレ、休憩所、移動歩道が設置されています。

 現在、私は町が建てた障害者専用の住宅で父母と一緒に暮らしています。当然段差はほとんどなく生活に支障はありませんが、少し贅沢を言わせてもらえば、浴室の洗い場と居室がもう少し広ければといったところです。障害者基礎年金と特別障害者手当の給付を受けています。

 排便と入浴にわずかの介助が必要ですが、衣服の着脱・車椅子の乗り降り・洗面・食事等の基本的な日常生活動作は全て自分で行う事ができます。受傷後しばらくはセルフカテを用いて自己導尿していたのですが、膀胱の痙撃が強く尿漏れがあったためにpheno blockを受けました。しかし尿漏れは治らず最終的に膀胱瘻にしました。膀胱瘻の管理法は入院中に指導を受けており、退院後は母の手を借りて自宅でカテーテル交換しています。(3〜4週間おき、シリコン製腎盂カテーテル20Frを使用)膀洗はしていませんが、1日3,000〜4,000cc の水分をとるように心がけています。

 受傷後3週間で仙骨部に褥瘡ができてしまい、苫小牧市立総合病院から美唄労災病院へ転院して皮膚移植手術を受けました。以後、現在まで7〜8回褥瘡の手術を受けています。自分の褥瘡予防法として車椅子に乗っている時には(仕事中も合む)プッシュアップを欠かさないのはもちろんの事、血行を良くするために入浴時にブラシで刺激を与えたり、通気性を良くするように注意したりしています。車椅子では100mmのROHOクッション、ベッドの上ではフローテーションパッドを使用しています。  

 現在は町立穂別病院の内科で定期的に心電図・血液・胸部レントゲンの検査を受けています。

 趣味はパーソナル無線で、友人に無線の機械一式を譲ってもらったのをきっかけに始めました。暇つぶしに利用しています。最近、パソコン通信やインターネットをしてみたいと思うようになり、そのための貯えを始めているところです。


 仕事

 穂別中学校卒業後の3年間、静内町の自動車板金工場で働いていました。その後地元穂別町に戻り自動車車体整備工場に就職したのですが、その2カ月半後に事故を起して退職してしまいました。

 退院後、2社から就職の話がありましたが、自分の気持ちが定まらないでいるうちにその話は自然消滅してしまいました。その後も特別養護老人ホームへの就職の話があったのですが運悪く担当者に不幸があり、結局その話もダメになりました。途方に暮れていたところへ穂別町の保健婦さんから「ワープロ打ちの仕事をしてみないかい?」とお声がかかり、現在の職場で雇ってもらう事になったのです。

 健康センターの職員は23名(臨時職員4名)、面倒見の良い人たちばかりで明るい雰囲気の職場です。出入口にスロープのついた平屋建てで、障害者用トイレが用意されています。通勤手段は手動車椅子、通勤時間は片道5〜8分程度です。天候の状態が悪い時にはタクシーを利用したり、職場の人のクルマに乗せてもらう事もあります。



 私の勤務は月〜金までの週5日で、うち全日勤務(8:45〜17:05)が2日、残り3日は半日勤務(13:00〜17:05)です。今のところ保健推進係・福祉係のかけもちで、私の業務はワープロによる検診に使う受診券・解答書等の文章の作成、伝票の整理、穂別町独自で発行している高齢者に対するバス利用券・入浴券の発行処理、穂別町障害者等級のコンピューター入力処理とその他の雑用です。

 仕事中に人の手を借りなければならないのは、重たい物の移動、高所や地上2階・地下1階建てでエレベーターのない別棟(倉庫)にある物を取りに行く場合等ですが、上司や他の一般職員は、私が困っていたり頼み事をした時には気持ち良く手を貸してくれます。

 体調が悪い時には上司・一般職員(保健婦)が面倒をみてくれますし、病院がすぐ隣りにあり、廊下ひとつでつながっているので安心です。なるべく他の職員に迷惑をかけないように自力で早退をするようにしています。体温調整のために職場には扇風機・ゼロパック(アイスノン)を持参しています。

 同僚は私の事を特に障害者という事にこだわらずにひとりの職員・友達と見てくれているようですし、私も自分から積極的に声をかけたり、行事には進んで参加するようにしています。


 私は運転免許を持っていないので冬期間や雨降りの日の通勤が大変で、普段はなかなか遠出ができません。受傷後、運転免許を失効させてしまったのです。入院中に免許の有効期限が切れようとしていたので更新手続きのために外出させてくれないかと主治医に相談をしたのですが、その時私のお尻に小さな褥瘡があったため許可をもらえませんでした。

 退院後、診断書(入院証明書)を持って教習所と警察署に行ってみましたが、更新は受け付けられないと断られました。結局それっきり免許を流してしまいました。免許を取りに行きたいのですが近くに教習所がなく、また排泄管理が順調にいかない事もありなかなか実現できません。将来に向けて早めに運転免許を取得したいと思っています。


 「車椅子キャンプと体験農園の集い」の経験

 93年8月1日〜3日、94年8月7日〜9日、穂別町のキャンプ場を利用して「車椅子キャンプと体験農園の集い」という催しが開かれ、私が実行委員長を務めました。主催は穂別町で、“都市と山村の交流を通じてノーマライゼーションとふれあいの心をはぐくみ、そのなかから生活施設の改善をしていこう”というのがこの企画の主旨です。

 穂別町のキャンプ場には車椅子対応のバンガローが4棟あり、障害者用トイレも1棟用意されています。また場内の通路は車椅子が楽に通行できるように十分な幅がとられています。

 参加者は札幌・恵庭の車椅子の障害者(脊髄損傷者〜頚椎・胸椎・腰椎、CP)、静修短期大学のチアリーダー、札幌全日空ホテルのシェフ、穂別高校のボランティアサークル、及び受入側実行委員会の人達で、参加総数は130名を越えました。

 実行委員の役割・仕事内容は、バンガロー内のベッド設置、屋外用テント付きトイレの設置、農園での体験収穫の準備〜協力してくれる農園の確保(収穫するのはトマト・キュウリ・ピーマン・南蛮・ナス・トウモロコシ等の新鮮な無農薬野菜)、その他受入れに必要な下準備全般です。

 主なイベントとして穂別町富内村の温泉入浴、穂別川をせき止めてのニジマス釣り、野菜収穫作業の体験、キャンプ場横にあるパークゴルフ場でのパークゴルフ大会、ホテルのシェフやボランティアの人達が腕を振るったバーベキュー、ニジマス料理と農園で収穫した野菜で作ったサラダを囲んでの大宴会が行われました。

 2度も実行委員長をさせてもらいましたが、自分としてはあまり満足のいく仕事はできなかったような気がします。しかし、大勢の人との交流が広がり、経験のひとつひとつが自信につながったようにも思えます。またこのような機会があったら前回以上に頑張るつもりです。


 これから

 頚髄損傷者となってから、自分は少し変ったと思います。 特に人への思いやり。受傷前は自分の事ばかり考えていましたが、今は他人の事も少しは思いやれるようになったのではないかという気がします。

 年をとってからの身体管理等不安な事は山ほどありますが、結婚、完全自立という目標へ向けて、また仕事の面でも臨時職員から嘱託職員、できれば正職員となれるように努力していきたいと思っています。




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