水戸部明美さんのレポート&コラム (筆者へのメールはこちら、「水戸部さんへ」と明記にて)
「盲腸ろう」を造設してから4ヶ月が経過しました。 (北国の頸損かわら版Vol.42への投稿から:2010年7月) ●経皮内視鏡的盲腸瘻 『北国の頸損かわら版』読者の皆様はご存知と思いますが、内視鏡を使って盲腸に細いチューブを通す穴をあける手術です。 このチューブから浣腸(順行性浣腸=ACEといいます)をすることで、脊髄の損傷や疾患などで困難になっている排泄のコントロールが容易になります。 詳しくは、宇野良治医師の著書「神経因性大腸と盲腸瘻による順行性浣腸」または、『時計台記念病院・消化器センター』のHPをのぞいてみてください。
●私の障害と介助者 頸髄損傷(C5)による体幹・四肢麻痺で、自力排泄が出来ません。 排尿は尿道からのバルーンカテーテル膀胱内留置・排便は下剤、浣腸、摘便の組み合わせで調節してきました。障害程度区分5で、ADLはほぼ全介助です。 現在は障害者福祉施設(旧法の身体障害者療護施設)で生活していて、日常生活の介助は施設職員の方にしていただいています。
●盲腸ろう造設に至るまで 受傷から10年余りは便意らしきものを感じたら随時「摘便」をしてもらっていましたが、施設入所を期に、下剤・浣腸を使い反応+摘便という方法で週1回、定期的な排便習慣をつけるようになりました。 年月を経るにつれ下剤・浣腸の量が増え、排便に長時間を要するようになり、この数年は週2回で調整していましたが、出血がみられるようになり、排便後は貧血で起き上がるのも困難になってきました。 2009年夏、「時計台記念病院」で大腸検査を受けたところ、直腸にできたびらんからの出血で、肛門からの浣腸と摘便する限り悪化する可能性が大きいとのことで、「盲腸ろう」を勧められました。 この時に「順行性浣腸」の適合検査もしてもらい、盲腸ろうの有効性は十分理解出来ましたが、管理面の介助に不安があり、造設を決断しかねました。 しかし、出血や自律神経過反射による痙性、血圧の上昇など症状は悪化の一方で、心身ともに消耗し、2010年1月に長岡先生の外来を受診し造設の決断をしました。
●入院〜手術〜退院 3月2日に入院し、当日と翌日は血液、レントゲン、CT、心電図などの検査、4日には大腸内視鏡検査と手術の説明を聞き、5日に造設手術を受けました。 当日は、7時頃から腸洗浄液を1ℓ飲んで大腸を空にし、午後4時頃からの手術でした。 内視鏡を盲腸まで挿入して穴をあける場所を決め、あける周囲(直径5pくらい)の腸と腹膜を外側から糸で3か所ほど固定します。その真ん中に先端が針状のワイヤー入りチューブを差し込みます。ワイヤーを抜くとチューブの先が(盲)腸の中でコイル状になって止まり終了、所要時間は30分弱でした。私の場合は感覚が少し残っているため、局部麻酔をしてもらったので痛みはなく、出血もほとんどありませんでした。 施術は長岡先生で、ご一緒に入ってくださっていた宇野先生が「120%の出来!」と絶賛する様子が嬉しくもおかしくて、一気に緊張が解けた感じでした。 造設後2日間は絶食でしたが、3日目には常食が取れ、5日目に盲腸ろうからの初浣腸。期待と不安でドキドキでしたが、30分程でスッキリ!その後は隔日での浣腸でしたが、毎回、30分〜1時間程でスッキリ!快便で「もっと早く決断すれば……」と思いました。 盲腸と腹膜を固定していた糸を1週間目に半抜糸、2週間目に全抜糸をして退院です。 *退院までに本人か介助者が浣腸を出来るように管理の方法等を指導していただきます。
●入院・手術費用 全て医療保険適用でした。私の場合は、食事の実費負担分が1日800円弱×入院21日で20,000円弱でした。(1食単位の請求だと思いますが) ちなみに、個室を希望の場合は別途料金がかかります。私は2人部屋でしたが、看護師さんの配慮もあって気兼ねはほとんどありませんでした。
●退院後の状況 施設に戻ってからは、月・水・金で浣腸をしていますが、だいたい浣腸後30分〜1時間ほどで終了します。私の場合はベッド上で、仰向けか横向きで紙おむつ使用での排便です。 残便感、腹満が強い時は、軽く腹圧をかけることや肛門を刺激してもらう場合がありますが、概ねは浣腸→処理の介助です。時間をおいて微量の粘液が出ることはありますが、今のところ失禁はありません。 出血も皆無で、便秘による自律神経過反射もなくなり、血圧も以前の状態に戻りました。 何より、排泄が短時間でスムーズになり体力の消耗もほとんど感じず、介助時間も短縮され、生活時間の調整がし易くなりました。
●ろうの管理 1日1回チューブ周辺を微温湯で洗浄→乾燥→Yガーゼを当ててテープで止めます。 退院1ケ月半くらいからチューブの周りが赤くなり、少し爛れて肉芽ができたので早めに受診をして肉芽を処置、軟膏を処方してもらいました。 先生の助言を受け、Yガーゼからティッシュの紙縒りに変えてみたら、数日で爛れが完治し、その後は肉芽の気配もなくチューブの周囲もキレイです。 今は、チューブの突出具合で(基準は気分です)紙縒りとYガーゼを使い分けています。
●個人的な問題点 60mgを超える浣腸が医療行為ということで、看護師さんがしなければならず、本人、あるいは家族が出来ない環境では時間的な制約は否めません。ただ、排便のコントロールが可能になることで、計画的に時間を使えることは大きな収穫です。
●今後の不安と希望 私の場合は3ヶ月ごとの受診と1年毎のチューブ交換を予定していますが、通院可能な範囲に先生がずっといらっしゃるのか?という不安があります。 「時計台記念病院・消化器センター」は現在、宇野先生、長岡先生を含め4名の先生が診療に当たられていて、全員が盲腸ろうの診療をしてくださるとのことです。 道央圏に居住される方には朗報ですが、排泄に悩んでいる方が大勢いることを考えると、どこででも手術が受けられ、一人でも多くの人が悩みから解放されることを願います。 また、順行性浣腸をするための「チャイト・チューブ」は、制度の制約で宇野先生の個人輸入・負担だそうです。一日でも早く保険医療に組み込まれることを望みます。近い将来には、宇野式チューブの開発とか・・・?
●最後に 盲腸ろう造設に当たって、川原さんから「小幡健さん」をご紹介いただき、色々とアドバイスを賜りましたことに感謝しています。お陰様で、行動が広がりつつあることをこの場を借りてご報告すると共にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(2010年7月)
(北国の頸損かわら版への投稿から:2010年4月) 頸髄損傷(C5レベル)による四肢・体幹麻痺でADLはほぼ全介助を要し、障害程度区分5、施設(旧法の身体障害者療護施設)入所歴は19年です。かねてより地域移行の希望はありますが、体調等の個人的な諸問題と目まぐるしく変わる制度に不安を持ち、実行を躊躇しています。 この度の条例施行に関しては、施設入所者の地域移行に自治体が具体策を講じるという点においては画期的で評価できます。しかし、事業内容から察するに一部の障害者を念頭に計画されたように感じられ、重度障害者の地域移行への実効性には疑問を禁じ得ません。
1.事業転換施設の選定が公募であること (*道が提示する事業費→10億円=1000人×100万円・2年間で実行を踏まえて) たまたま、ある療護施設の事業決算を知る機会があった。A施設(定員60名)では平成12〜19年の7年間、1年平均で2600万円の純資産増があった。単純計算で年間1人43万円強の利益×2年=87万円弱(*1)である。B施設(定員60名)は、自立支援法における新事業移行後の試算で年間3000万円の増収が見込まれるとのこと。1人50万円×2年間では100万円(*2)となる。C施設職員は、施設経営セミナーに参加した際に、新事業体系移行で黒字の施設が多いと聞いている。(*3) 全ての施設に当てはまるわけではないし、新法での変動もあるだろうが、黒字収支であれば事業転換費用を持ち出しにして応募する施設があるとは考えにくい。重ねて、1ヶ所の施設で多人数の地域移行がなければ、ハード面の改修・職員配置の変更などが困難だろう。重度障害に対応する設備投資や人員配置をしている施設の多くは事業転換を望まないと思われる。 また、施設入所者の地域移行に際して、ADLの自立度をひとつの基準とする考えが少なからずある。入所者の重度・高齢化が顕著な現状では応募を見合す施設もあるだろう。 *公募では施設の判断に従うしかなく、真に自立を望む入所者の地域移行は難しく、自立を望まない(あるいは判断力に欠ける)入所者が地域移行を強制されることも危惧される。 *施設単位だけではなく、入所者個人を対象にした取り組みもするべきだと考える。 (注)*1.*2.*3.は個人的な情報交換で知り得たことなので、参考資料の提示が出来ないことをご容赦ください。
2.受け皿整備条件で感じること 道内の施設は市街地から離れたところに作られ、地域交流が乏しい環境にあるところが少なくないように思う。また、障害特性によって入所施設が限定されていた経緯があるため、家族の住む地域や生活圏としていた地域から遠く離れた入所者も多くいる。長期間の施設生活で社会適応力が失われている、あるいは幼少期から施設生活をしていて自立訓練を受けていない入所者も多い。 それ等を考えると、移行後の支援に施設が関わるのは必然なことと思われる。結果的に、事業転換する施設が運営するグループホームに移るというような事業者側のメリットが優先されないか?そうなると、施設周辺の地域に障害者が集中する懸念があり、地域間格差の拡大に繋がる。それでは条例の理念に逆行するのではないか?
政権交代によって自立支援法が撤廃され、新法の制定に障害当事者が参画し、障害者施策は明るい方向に向かっているように感じられる。その流れにあって施設解体が叫ばれ、入所施設は一つの転換期を迎えていると思われる。脱施設化に反対するものではないが、条例の策定、事業転換計画の協議会に施設入所当事者の参画がないように思う。『私たちの生活を私たち抜きで決めないで!』と、改めて言いたい。
私の生活と褥瘡(じょくそう:床ずれ) (北国の頸損かわら版 Vol.37への投稿から:2009年6月) 頸髄(C5)を損傷して30年になります。四肢、体幹麻痺で日常生活は、ほぼ全介助を要しますが、把持装具(手首の背屈を利用して物を掴む補装具)を使うことで食事、筆記、洗容などがかなり自立するため、座位、車椅子に座る時間によって生活が大きく変わります。 しかし、受傷直後から褥瘡の発症を繰り返し、度々の座位時間制限と折り合いながら車椅子での生活を送ってきました。それが、ちょっとした油断(過信)から褥瘡を悪化させ、この1年半余りをほぼ寝たきり状態で過ごすことになってしまいました。 その顛末と寝たきり生活で思ったことなどを、過去の状況も含めて記してみたいと思います。 <褥瘡既往歴> @入院中・・・ 受傷から1ヶ月余、後頭部、仙骨部、両ふくらはぎ、両踵に発症。特に、仙骨部は握りこぶし大の穴となって骨が露出するほど悪化したため、頚椎損傷部の安定を待って北大病院へ転院、形成外科にて組織(筋肉、皮膚など)移植術を受けました。3ヵ月後、転院前の病院へ戻りリハビリを開始。 術後1年半、体重増加によって移植部分が上方にズレ、仙骨部に新たな褥瘡が発症。美唄労災病院へ転院、前回の手術と同じ執刀医師によって、移動した組織を再移植する手術を受けました。3ヵ月後、術前の病院に戻りリハビリを再開。 その後、左坐骨部に脂肪層が見える褥瘡を発症、リハビリをしながら軟膏塗布の治療を続けましたが治らず、入院中の整形外科で組織移植術を受けました。 ※ 褥瘡によってリハビリの進行が遅れたことと 諸事情により、退院後はリハビリと診療設備 のある療護施設へ入所、現在もそこで生活し ています。 A施設入所後・・・ 入所早々に両踵に皮剥け発症、軟膏処置と除圧で完治。3ヵ月後くらいに右坐骨部に出来た発赤が褥瘡となり、札幌市内の整形外科で手術を受けました。しかし、3週間で退院となった直後から再発、悪化することに不安を抱き、施設側と話し合いの上、家族対応で形成外科を受診しました。ベッドの空を待ち2ヵ月後に入院、組織移植術を受け3ヵ月後に退院。以後、右坐骨部は再発していません。 その1年ほど後に左坐骨部に褥瘡が再発。形成外科にて、組織移植+坐骨の突出部分を削る手術を受けました。しかし、3年間ほど不安定な状態が続いたため、足底の皮膚を使う組織移植術を受けました。 その後5年間ほどは、午前7時に起床し昼食後に1時間半くらい横になる外は、午後7時まで車椅子という生活でしたが、大事に至ることなく過ごしていました。 褥瘡がない生活が当たり前と感じるようになり、自立を考え始めた頃、左坐骨の手術跡にそら豆大の血腫が出来、破裂。当日のうちに形成外科受診をしたところ、そのまま入院。創部洗浄と除圧を続け、1ヶ月余りで退院しましたが、長時間の座位生活には戻れず、一昨年までの10年間ほどは以下のような時間割で体位交換をしていました。 7:00〜 ギャジ上げ、ベッド上での座位 9:00〜 側臥位(左右は状況に応じて) 10:30〜 ギャジ上げ、ベッド上での座位 12:30〜 側臥位 15:00〜 座車 19;00〜 側臥位 21:00〜 仰臥位 ※褥瘡予防(発赤、熱感などの状態)や体調に より体位、時間の調整をしながらも、月に1 〜2度は、外出など自分の都合で10時間近く 車椅子に座わる日があったり、年に1〜2度 は体交にあまり配慮しないで、2〜3泊の旅 行をしたりという生活を送ってきました。
<今回の経過と処置、それに伴う体位交換> 1)2007年10月、左坐骨手術痕に頻出していた 角質を剥がした事で、5o×5oの皮剥け(U度の褥瘡)発症→創部を水洗浄+アズノー ル軟膏塗布。体交は変わらず。 2)徐々に創部が拡大、緑膿菌感染の疑い→水 洗浄+ゲンタシン軟膏塗布。座位時間を朝、 昼1時間、夕3時間に短縮。 3)2008年1月、創部35mm×25mm(V度) →水洗浄+被覆剤(デュオアクティブ・ド レッシング)処置を1日1回。朝、昼、夕食 を中心にそれぞれ1時間半の座位。 4)1月中旬、蜂窩織炎を疑う発赤、熱発 (38℃台)→抗生剤点滴を2×3日+内服薬2 ×5日処方される。座位時間を1時間×3回 にする。 5)1月下旬、形成外科受診→被覆剤処置継 続、座位時間30分×3回の指示を受けるが、 施設の業務時間、介助スタッフとの兼ね合い 上、食事時間を中心に1時間×3回を継続。 6)被覆剤処置+座位時間短縮後は順調に回 復、2ヵ月後には7o×2o→被覆剤交換が 週2回になる。座位時間は1時間×3回を継 続。 7)完治目前に原因不明の熱発(40℃超)があ り、再生した皮膚が剥離して元の大きさにな る→被覆剤処置が1日1回に戻る。その後も 再生と肥厚、剥離を繰り返し完治しないまま 2008年が終わる。座位時間は1時間×3回を 継続。(2008年の形成外科受診は3回) 8)2009年初頭から座位は朝、夕1時間、夜間 は腹臥位(うつ伏せ)で除圧に励む→被覆剤 処置が入浴後のみになり、5月初旬に創部が 塞がりガーゼ保護になる。 9)5月下旬に形成外科受診。完治の診断→創 部痕をフィルム保護。座位時間延長許可をも らい、現在、車椅子移乗を試行中。
<今回の褥瘡で思ったこと、励みになったこと> 最初に皮剥けが出来た時は、「制限をすれば治るだろう」との思いがあり、座位時間の調整を怠っていましたが、不安は余り抱きませんでした。慢心があったのは否めません。 制限を始めても回復が見られず、「処置が合わないのでは?」と疑心暗鬼に囚われましたが、形成外科受診で安心を得ました。たぶん、20年に亘り診てもらっていること、初めから形成で受けている移植手術部位が再発していないことで『形成外科神話』のようなものを持ったのだと思います。 ただ、施設生活で外部受診をすることは、指示通りの処置や体交が困難等、施設スタッフとの連携が円滑に行われないことも多く、精神的な疲労がありました。 特に、急性期を過ぎてからは、診療報酬の問題も重なり、「治らない→医療費の全額自己負担?」とか、「長期間の医療的ケア→退所」というように、制度上の問題も悪い方にしか考えられず、半ば投げやりな気持になることも度々でした。 苛立ちを介護スタッフにぶつけ、自己嫌悪に陥ったことも1度や2度ではありませんでした。 無為に過ぎる日々に焦り、自分が無価値で、不要な存在と感じるようになり、気力が湧かず、悶々と過ごす時間が増えました。 そんな頃に、「自立支援法施行後の施設生活の現状を訴える厚労省行動」への参加の誘いがありました。「上京は無理」と言うと「文書参加でも」とのことで、携帯メールを使って文書参加をしました。 これがひとつの転機となって長期戦を覚悟し、「寝ていても出来ること」と、側臥位でパソコンを使えるように工夫をし、インターネットの無線回線契約をしました。それからは、「療護施設自治会ネットワーク」の会議にweb参加をするなどして、自分なりに有意義と感じられる時間が持てるようになりました。なにより、同じ障害や似た生活環境にある人との情報交換(くだらないおしゃべりが大半ですが)は、大きな励みになりました。 また、情緒不安に陥りかける状況を理解し、生活を変えることに協力してくれたスタッフの存在は大きな支えです。 褥瘡とは一生付き合わなければなりませんが、過剰に臆病にならず、今回の経験を活かし、慎重に対応していこうと思います。 退屈な話にお付き合いいただき、ありがとうございます。褥瘡に限らず、施設生活等にご意見、ご質問があれば、宜しくお願いいたします。
(北国の頸損かわら版 Vol.31への投稿から:2006年6月)
▼入院前の状況
(北国の頸損かわら版 Vol.31への投稿から:2006年6月) C4、C5の損傷でADLはほぼ全介助、身体障害者療護施設に入所して16年が経ちます。この間に、施設における障害者福祉施策は措置から支援費を経て、自立支援法へと制度改正されましたが、改正の度に金銭的な負担が増え、生活全般が不便、不自由になってきています。
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