Quads, Be Ambitious!
村松 哲夫(札幌市)
北海道頸髄損傷者連絡会レポート集・1997年

この寄稿に先立って、私の自己紹介をさせてください。私は村松哲夫と申します。現在、北海道大学文学部人文科学科に所属する大学1年生です。今年の3月8日以後に北海道新聞か北海タイムスでご覧になられた方は御存じかもしれませんが、私は頚髄損傷による障害をもつ者です。私の拙文が読者の皆様に少しでもお役に立てれば幸いと存じます。
では、まずは私の障害の程度の概略を申し上げましょう。私は高校2年生の時に下校途中に交通事故に遭い、第4・5頚椎を損傷して四肢麻痺の障害を被りました。しかし、上肢は屈伸と手首の返しの機能が残りました。この残った機能を用いてこれまでがんばってきたわけです。ただ、幸いなことは感覚が全身に若干残り、特に痛覚が比較的残存しているので、衝突等の事故をある程度は回避出来ます。また、尿意や便意もある程度は感じます。これらの感覚は受傷時には全く感じませんでしたが、徐々に感じるようになり、現在でも何となく改善されている気がしております。褥瘡は事故遭遇時はひどいものが仙骨部位に出来、1ヶ月くらい40℃の熱が出たり下がったりしまして心身共に困憊しましたが、現在はありません。日常生活では、やはり相当の介助を要します。ほぼ「全介助」です。現在私が可能な日常動作については、この拙文を書き進める間に具体例を沿えてお話しします。
現在の身体状況としては、褥瘡はなく、呼吸器系は何等問題ありません。ただ、ストレス性の胃炎がありまして胃薬をもらっています。泌尿器関係は排尿はカテーテルを用い、年1回の腎臓の造影の検査を受けるくらいです。服用薬はポラキスという薬を服用しております。
体調管理としては、一般人と大して変わったことはしていませんが、食事は和食を取るように心掛けることと、鍼を打ってもらうことでしょう。
ここで一番お知りになりたいことは「褥瘡予防」についてでしょう。私の場合、臀部もある程度感覚がありますから、電動車椅子で生活している時は肘掛けを利用して少しでも臀部への体重負担を軽減するように心掛けています。ちなみにロホ(ROHO)を使っています。ベッド上では長時間座位を取っているときにはロホを敷いて座り、ベッドの柵を用いて電動車椅子での生活同様に臀部への負担を軽減するように努めます。両者に共通することは、私の場合には痛みがわかるわけで、痛みがひどいときにはすぐに横になります。そして、出来るだけ長時間座位を取らないようにしています。お分かり頂けたかと思いますが、私も皆さんと同じような褥瘡防止策を取っているだけなのです。ただ二点だけ申し上げたいことがあります。これは褥瘡防止の間接的要因だと思いますが、「アルコール」は可能な限り控えることと常に体調に留意すること、ということなのです。アルコールはいわば弱い麻酔薬です。飲み過ぎれば痛覚が鈍ります。非常に危険です。飲むなら、味がよく判る小さめのコップ1〜2杯でやめます。それ以上は絶対に飲みません。体調が悪ければ、どんなに勧められても飲みません。特に私のような脊髄損傷による後遺症を持つ者は、褥瘡を作らず、褥瘡がある場合にはそれを悪化させない為に是非とも必要です。そして、健康でなければ治るものも治りません。だからこそ、この二つの間接的要因が私の褥瘡防止の為の核となっているわけです。
さて、次に今の生活状況ですが、間もなく転居しますので、生活の概略は流動的です。従って、これについては確定的なことは申し上げることが出来ませんのでご容赦ください。
現在私が居住している家は車椅子での出入りも困難で、肢体不自由の人間が生活するには不適な家です。転居先は車椅子での生活をある程度考慮した家ですが、出入りが若干不自由を感じますが、移動用のリフトも付けましたので現在よりは介護者への負担は軽減されるものと思われます。介護は両親が分担してしてくれています。尚、公的介助制度等は現在利用していませんが、障害基礎年金等の公的援助は受けています。福祉機器と呼ばれるものも利用していませんが、電動ベッドは使っております。また、字を書いたり、パソコンを使うにあたっては札幌に来て最初に入院した病院のリハビリの先生に作って頂いた自助具を使っています。
では、私の北海道大学への「みちのり」をお話しします。
私が大学進学を志したのは小学校低学年の頃です。以後、事故に遭ってもその傾向は変わりませんでした。ただ、事故遭遇前は理系学部への進学を希望していましたが、事故後は私の興味の方向が哲学に向いたので、文学部を目指したのです。両親も私が大学に進学することは当然のことと考えていたようです。どの学部に進学するにせよ、両親は私の希望を快諾してくれました。
そして、山の手養護学校高等部2年へ編入です。この編入に伴って、それまで入院していた病院から国立療養所西札幌病院に転院しました。この病院は山の手養護学校と廊下でつながっており、入院加療しつつ学校に通う形を取っていました。学校での体制ですが、先生方もよく車椅子での生活についてご存じですし、非常に熱心でいつも親身になって頂きました。生徒数も当時で1クラス10人程度でしたから、教育環境としても良好でした。山の手養護学校の場合、カリキュラムは全日制普通高校と同じなので学習内容も高校と同一です。だから、ノートをとったり、教科書を開くといった基本動作が困難な私にとっては非常にきついものでした。取り敢えず、ノートはノート型パソコンを中心に使ってとり、教科書は周りの先生や友人に手伝ってもらいました。
学校生活にも慣れ、ほんの少しではありますが、自分でできることも増えました。
教科書は徐々に自分でページをめくることが出来るようになりましたし、パソコンを用いなくても、字を書けるようになりました(勿論、自助具を使ってです)。これは周りの励ましや支えがあったからこそ実現したのだと思います。校外学習で学外に出るときも、周りの先生や友人に随分手伝ってもらいました。
校外学習で見た北海道の青い空はとてもまぶしかった。この青空が自分という存在を痛感させたのです。空は広い。しかし、宇宙はもっと広い。それから見れば自分という存在は何と些細なものか。でも、私は存在しているのだ。存在すること自体が貴いのだ。そして、自由とは何と素晴らしいものだろう。当たり前のことに今更ながら気付き、では、何故そうなのかを考えていたのです。
大学進学に向けて、それから事故遭遇前よりも一所懸命勉強しました。しかし、私のハンディは予想以上に甚大なものでした。褥瘡防止の為に長時間座っているわけにはいかない。でも、字を書く教科が多い。充分には受験勉強が出来ないわけです。だから、ある技を習得しました。それは、「寝て本を読む」業です。どんな方向でも読めるように目を慣らしたのです。とは言っても、私の障害は初志貫徹を阻むに十分すぎるくらい大きなものでした。弱い自分と強くなろうとする自分が常に対峙し、常に弱い自分の方が優勢でした。後述申し上げますが、「何でこんなに苦労しなきゃならんのや」と思うこともあります。しかし、「苦労」と思っているうちは本当の「苦労」じゃないのです。それに「苦労」「困難」と思っていても、自分が唯々悲観的になって益々弱い自分が優勢になってしまいます。これでは、勝てる戦(いくさ)も勝てません。じゃあ、どうするか。上を見て歩むのではなく、前を見て歩むのです。後ろを振り替えるんじゃないのです。たまには足元を見ながらです。
世の中、捨てたもんじゃない。慈悲という言葉には、相手の苦しみを自分のものとし、その苦しみを取り除くという意味があるそうです。その「慈悲」の心を持った人もたくさんいます。偽善者ではない人です。勇気をもって最初の一歩を踏み出せば、後は自分を信じ「何とかなるさ」と思いながら頑張るだけなのです。
その軌跡でもある私の受験期のお話を次にしましょう。
はじめに受験制度についてお話しします。まずは大学入試センター試験(略してセンター試験)受験です。出願資格は当該年度に卒業見込みのある者、浪人は当該年度以前に文部省の定める高等学校を卒業したものと同等以上の学力を有する者。つまり、障害があるからといって出願が制限されるわけではないのです。但し、障害者特別措置を必要とする訳ですから、事前に大学入試センターと受験校(私の場合は北大)との協議が必要です。私の場合、協議は学校の進路指導部の先生方と担任の先生がしてくださいましたので、繁雑な事務手続きを個人的にすることはありませんでしたが、要望については担任の先生と話し合って文章化し、それを北大に提出しました。
私の拙文を読まれている進学希望の方にお願いしたいのは、これはあくまでも参考にとどめ、養護学校におられる方は担任の先生と進路指導部の先生との話し合いをしてください。卒業生の方は出身校の進路指導部か担任の先生に相談か、直接大学との交渉をして下さい。私がこれまで述べて来たものは、あくまでも北海道大学文学部に入学するプロセスを申し上げた訳で、他の大学がどうなっているかが私にも分かりませんし、読者の皆様にいらぬ御迷惑をお掛けしたくないからです。
センター試験の願書は一般入試用のほかに障害者特別措置申請用の別冊があります。一般入試用の願書は学校のほか、予備校でも手に入ります。勿論、直接請求してもかまいません。別冊は大学入試センターに直接請求します(在学生の場合は学校側で取り寄せています)。一般入試用願書と障害者特別措置申請書に必要事項を記入し、診断書等の書類を添付された袋に封入して大学入試センターに出願期間中に送付するのです(在学生は学校側で一括して大学入試センターに送付します)。私の場合、マークシートのマークを塗り潰すことが出来ないので、チェックをするタイプで受験、解答時間は一般入試の1.3倍の時間延長をしていただきました。
障害者特別措置の種類は代筆解答を始め、多岐に渡っています。ここでは全てを紹介し切れません。尚、参考になると思われる点を一つ申し上げておきます。センター試験・二次試験とも代筆解答が申請すれば可能です。勿論、これも事前協議が必要になります。
さて、センター試験の次は各大学で実施する二次試験です。これを受験する為には各大学で定めた規定の教科のセンター試験を受験しなければなりません(北大文学部の場合、去年はセンター試験で国語、数学T・U、社会、理科、外国語の5教科6科目が必須)。そして、受験したセンター試験の自己採点と予備校などが行っているリサーチを見て、その学校を出願するかどうかを決めます。出願者が殺到すると第一次選抜(足切り)があったりするからです。
出願はセンター試験の受験票(センター試験の前に在学生は学校から渡され、卒業生は各個人に郵送されます)にある成績請求票を出願する大学の願書に張り付け、必要書類を封入して出願期間内に送付します。尚、願書の請求は学校によって様々です。ちなみに北大の場合、返送先を明記し切手を貼った返信用封筒を同封し、「学生募集要項請求」と朱書の上、入試掛に請求します。募集要項が発表になった頃がいいと思います。10月くらいには返送して来ます。
二次試験に関する障害者特別措置の協議は、当然ですが大学側と行います。多分、入試掛が中心になってくれると思います。出来るだけ早く入試掛と協議された方がよろしいでしょう(勿論、養護学校経由が望ましいことは言うまでもありません)。その方が大学側も十分な準備が出来ますので。
また、特別措置の内容は、具体的に現状を明確にし、試験ではどのようなことをして欲しいのか、入学後、就学上で必要なことは何かを明確にしてください。
私の場合、試験時間の延長(1.5〜1.7倍)、ノートはパソコンを用いること、送迎用車両の入校許可、校舎の改善等を申請しました。
センター試験、二次試験共に一般入試とは別に別室解答の措置を頂きました。また、送迎用車両の入校も認められ、試験時間の延長も認められました(センター:1.3倍、二次:1.5倍)。試験場での対応も申し分ありません。ただ、エレベーターが若干狭かったことだけは付言します。私の受験会場はセンター試験・二次試験共々言語文化部(旧教養棟付近)で、そこのエレベーターが若干狭かったということです。
解答は自助具を用いて筆記しました。消しゴムは私は使えないので試験官の先生に消してもらいました。草稿用紙も申請して用意して頂きました。
この様に北大は様々な配慮をしてくれました。問題は入試突破ということになります。
合格までの「みちのり」をお話ししましょう。
私は現役で不合格でした。特に二次試験の時、あまりの緊張で胃炎と大腸炎を併発し途中でリタイアせざるを得ませんでした。合格発表のとき、当然自分の名前はありませんでした。でも、進学は諦めたくない。自分にはすべきことがある。自分には大学で学ぶべきことがある。受験勉強するしかない。浪人を選択する事を拒む個人的理由は存在しません。しかし、予備校に行くという選択肢は無理です。宅浪となる訳です。
そこでお世話になったのが「Z会の通信添削」でした。ものすごく難しいものでした。でも、ただ難しいと言うのではなく、とにかく考えろ、というスタンスの良問でした。毎月2回の添削指導と月1回のセンター試験対策。これを基盤にして受験勉強を進めた訳です。Z会の方も、私が頚髄損傷による重度障害で字を書くことが困難なのでそれに留意して頂きたいとの旨の要望を出したところ、すぐに快諾して頂き、答案を添削の先生に渡すときに一言を沿える計らいを頂きました。力が入らないので筆圧が弱く、字もうまく書けないので添削の先生も大変だったと思いますが、懇切丁寧に指導して頂きました。
その甲斐もあって、3浪を経て北海道大学に合格したのです。勿論、途中で面倒くさくなって止めようか、Z会の問題があまりにも難しくて投げ出そうかとも思いましたが、「ここで止めれば、俺の負けだ」となってしまうので、決して止めなかったのです。10年後「あの時止めなければ……」と後悔したくないのです。
学ぶということは楽しいことです。でも、この「楽しい」ということが必ずしも安楽を指し示す訳ではないのです。むしろ、困難を示しているのです。本質的に学んでいるときには、この困難すら楽しく思えるのです。浪人生活ではこの事を痛感しました。模試の試験結果で一喜一憂することが馬鹿らしく思えたのです。ちゃんとやれば、模試の成績くらいはちゃんと上昇するんですから。
模試で思い出しましたが、こんなつらいことがありました。答案を作成し、採点されて戻って来たときにその答案に「もっと濃く書きましょう」「もっと濃い鉛筆を使ってください」と赤字で書かれて来たことがあります。答案作成上もっともな事ではありますが、事情を知らないとはいえ、それを見たときはがっかりしました。「出来るんだったら、やっとるわい!」何ともいえないにがい思いをしました。
このにがい思いのほかに、くるしい思いもしました。受験戦争において、夏、高校生でいう夏休みの期間、この季節は最も重要かつ過酷な季節なのです。この季節にある程度の基礎力を完成出来ないと合格は非常に難しくなります。いわば「夏を制すは受験を制す」訳です。しかし、体温調節の困難な頚髄損傷の障害を持つ者にとって、夏は過酷です。気温の上昇とともに体温も上昇する。私は扇風機を直接あて、霧吹きで身体に水をかけてその気化熱で体温上昇を防ごうとしていましたが、効果はいまいちで、結局正午で限界に達し、後はクーリングをしながら日没を待つだけです。だから、十分な受験勉強は困難で暑さの一段落する9月中旬を待つだけでした。
涼しくなれば、娯楽一切無しで受験勉強に打ち込むだけです。
こんな「みちのり」を経て、ようやく北大生です。エルムの学園です。平成8年3月8日。平成8年度北海道大学入学者選抜試験前期日程合格者発表までは本当に緊張しました。試験問題が妙に手ごたえがあり、「これはいけたんじゃないか」と自信が自然と湧いてくるのです。「これは自分の慢心からだ」と自分を戒め、後期日程試験の準備をしていました。当日、先に合格発表会場に行っていた友人から合格の連絡の第一報をもらいました。私の合格を知らせるその電話は、最初は事実とは信じられませんでしたが、何度も確認して事実と分かりました。そして、テレビで合格者発表があり、自分の眼でも確認しました。腰が抜けました。何ともいえない達成感でした。その後、山の手養護学校の先生をはじめ、親類縁者、友人、お世話になった方々からお祝いのお電話を賜りました。しかし、合格の実感は北大から様々な書類が送付され、4月を過ぎた頃から実感出来たのです。それまでは、雲の上を歩いているようで、「夢なんじゃないのか?」と思っていたのです。
学校生活は、登下校はリフト付きの車が我が家にあるのでそれを父が運転して北大に連れて行ってもらいます。学校での生活は母に付き添ってもらい、排泄も手伝ってもらいます。講義でのノートは受験同様自助具を用いて必死に書き取っています。確かにつらいですよ。自分で書いてノートをとることは。でも、これも挑戦です。自分の限界に挑戦したいから、そうするのです。そして、私の趣味でもある写真を本格的に再開しようと思っています。私がずっと追求している事の一つである「美」を深化させる為に。
北大の環境は車椅子にとっても、電動車椅子にとっても比較的良好です。一部、車椅子では入れなかったり、段差があって通行困難・不可能なところもあります。でも、私は色々要望させてもらい、随分改善して頂きました。今後もこの様に要望をし続けるつもりです。ただ、電動車椅子で唯一よかったと思える事があります。それは、電動車椅子故に机を確保する必要性がほとんどない事です。特に人気のある講義では学生が殺到して机が足らなくなる事があります。しかし、私の場合、机が共に移動しているので、この点に関しては非常に重宝しています。
設備に関しては、少々古いのでなかなか改善が難しいようです。講義室は自動ドアではないので私が入室するときは周りの人に開けてもらわなければなりません。また、講義室には所狭しと机がありますので少々大変ですが、それも周りの友人が率先してスペースを確保してくれます。
つくづく思うのは、私のような電動車椅子に乗っている人間は街中を走ると10人すれ違えば少なくとも8人くらいは奇異な目で私を見ますが、北大の中ではその様な事はありません。
学校生活にも慣れ、友人もたくさん出来ました。そして、「悪友」も出来ました。友人達とのふれあいの中で、私自身とても啓発されるものがあります。そして、何かと手を貸してくれる友人達に心から感謝しています。
大学生として何をするか。私はこれまで私を支えてくれた人全てに恥じない生き方をしたい。それが根源にあります。そして、精一杯この瞬間を燃えつきたいと思っています。だから、希望は持ちません。希望はえてして裏切るからです。しかし、今この瞬間は裏切らないのです。
そして、夢、というよりも私の方向ですが、目指すは「北大名誉教授」です。これくらい目標を高く設定すればそう簡単には実現出来ないでしょうから。
ここまで読んでくださりました読者の皆様には心から感謝申し上げたいと思います。私の実力ではこの程度の悪文を書くのが精一杯です。この点はご容赦賜りますよう、よろしくお願いいたします。
私から読者の皆様と社会へメッセージを送りたいと思います。重度の頚髄損傷者をはじめ、様々な障害者が社会生活を送っています。しかし、充分に社会進出しているとは決して言えません。障害者であろうと、健常者であろうと、同じ人間です。排除される理由も、差別される理由も存在しません。社会的インフラが未整備で障害者の社会的進出を拒んでいるのであれば、それは由々しき事態です。しかし、社会的インフラの未整備による障害者にとっての障害は、健常者には分かりにくい事も事実です。だからこそ、我々はこのような障害を一つでも取り除いて、社会的進出を果たさなければならないのです。障害者にも権利があり、義務を果たす為に。そして、生きる喜びを感じる為にも。
とは言っても、本人は勿論、サポートする周りも大変です。私にとっても他人事ではありません。でも、当事者はそれぞれにそこから何かを学ぶはずです。「ただ生きるのではなく、善く生きなければならないのだ。」これは西洋哲学の出発点でもあるソクラテスの言葉です。これが私の根源です。
最後に、これから大学を受験しようとしている皆さんへ一言申し上げます。私は出願はずっと北海道大学文学部でした。4度目の正直で入学しました。私は北大しか知りませんが、この様に何度も挑戦しても、北大は挑戦を受けてくれました。
失敗を恐れないで欲しいのです。浪人はデメリットだけではないのです。メリットもあるのです。決して諦めないで頂きたい。何事も。
私の母校になるであろう北海道大学の前身である札幌農學校の初代教頭、W.S.クラーク先生の創設者の言葉を送ります。(1996年、夏)