report & column |
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小幡 健さんのレポート&コラム |
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ーここに掲載されている全てのドキュメント、画像について一切の転載を禁じますー 盲腸ろうによる排便管理、その後 (北国の頸損かわら版 Vol.33への投稿から:2007年7月) 盲腸ろうにしてから2年と3ヶ月になりました。 最近は2日おき(浣腸60ml×2本)で、液を入れてから30分前後で出始めます。1〜1時間半くらい腹圧掛けたりして終了です。予定によって1日おきや3日以上という時もありますが、あまり日にちをあけてすると出きらないのか、後でチョロッとという事があります。 チューブの交換は4月に行い、次回は12月の予定です。室蘭まで行かないとだめなんですよ。近くの病院でやってもらえると非常に楽なんですけどね・・。 たまに肉芽が出てきますが、処方してもらった塗り薬で治まっています。絆創膏負けしてしまうので、そこをもう少しいい方法があればと思考中です。 以前は、今さっき尿を採ったばかりでも尿が漏れる事がありましたが、今は腹圧掛けたり、かなりの量が溜まってない限り漏れが少なくなりました。 今のところ順調に過ごしております。
(北国の頸損かわら版 Vol.30への投稿から:2006年2月)
■ 手術を受けたきっかけ、動機 ■ 検査や手術の様子と経過、入院期間や費用など ■ 管理方法 ■ 感想~いいこと、悪いこと
6月18日・札幌・車いすマラソン (2000年7月、北国の頸損かわら版より転載) 頸損にはつらい暑さでした。25kmまでがんばって走ったんだけど、そこから先には進む事は出来ませんでした。大会当日9時の時点で、気温がもうすでに26℃に上がっていました。予想気温が30℃。棄権しようかなとも考えましたが、とりあえず行ける所まで行ってみようとスタートの合図を待ちました。 2~3km走ったあたりで棄権した方が正解だったと気付きました。「メチャクチャアツイ」真夏のような日差しとアスファルトの照り返し。前を走ってた選手が何人か走るのをやめてました。自分も、もうやめようかどうしようか・・・ まずは10kmまで行こう。10kmから5kmごとに給水所があるので、そこで水を頭からかけてもらえば何とか持つかなと走りました。水をかけてもらうと2km位はがんばれるんだけど後が続かない。どうにかこうにか、半分走った時点で1時間18分。もう止めようかな、でも後ちょっとと思いながら25km地点まで来ました。関門があるため、残り17kmを45分で走らなければならず、それは自分のスピードでは無理なので、そこで棄権しました。 東京から参加の選手が2時間35分台で完走していました。ハーフに参加の片手のみでこぐ選手も1時間3分台で完走していました。まだまだ自分は練習が足りないと改めて思いました。それにしても暑かった~~~。
My Sports Life (1997年・北海道頸髄損傷者連絡会レポート集より) 損傷レベルはC6で、不全麻痺なので通常の生活に必要なほとんどの事は自分でできますが、除雪やゴミ出しだけは助けてもらっています。住居は平屋の2LDKで玄関部分はスロープ、家の中は無段差です。物千しが電動で上下するようになっています。
車椅子マラソン マラソンをやってみようというか自分も走ってみたいと思うようになったきっかけは、89年に札幌で行なわれた「はまなす国体」で、スタートの瞬間、そしてゴール目指して必死にリングをこぐ選手の姿を間近で見た事です。実際にレースを見た後には何故か無性に走ってみたいという気持ちでいっぱいになっていました。それまでは自分になんか走れる訳がないと決めつけていたのです。すぐにでも始めたいと思っていたのですがその後褥瘡で2度も人院してしまい、結局2年後の91年春(バスケを始める少し前)からのスタートとなりました。マラソン用の車椅子(レーサー)を作り、スピードは遅いながらも走り続けています。 道内では札幌で行なわれる「はまなす全国車椅子マラソン」が最も規模の大きなレースです。距離別にフル・ハーフ・ショートがあり、フルとハーフは障害の程度に応じて4つにクラス分けされています。参加人数はフルで30~40人(頚損は自分を含めても3人位)、ハーフで80~90人(頚損5~6人)といったところです。 また釧路で行なわれる大会には2km・7km・ハーフ・電動車椅子の部があり、2km・7kmでは健常者が車椅子に乗ってレースに参加する事が認められているので、付き添いや家族の人も一緒に楽しむ事ができます。この大会は障害の程度に関係なく、また健常者が車椅子マラソンに参加する事のできる数少ない例だと思います。 他にも各地で5~10km程度のロードレースが行われており、自分も車椅子の部として走らせてもらっています。 95年の「はまなす」の大会で、初めてフルマラソン(42.195km)に挑戦しました。それまでハーフでは1時間15分位で走れていましたが、このコースは折り返してから登りが多いのと暑さで途中でバテるのではという思いから、完走できるかどうかとても不安でした。とりあえず完走を日標にゴールを目指してスタートしましたが、やっぱり折り返してからが辛いし暑いしで、途中何度も「もうここでやめよう、そしたらどんなに楽か」と思いました。でも、沿道の人達の「ガンバレ!」という声援や、5kmごとの給水ポイントで頭からかけてもらう水に助けられ、何とかかんとかゴールする事ができました。記録は1時間35分でした。
90年の秋に函館のクラブチームが発足しました。私は91年の春に入部しましたが、当初は自分がバスケをするなんて事は考えてもいませんでした。ボール遊び程度ならできるだろうけど、チームに人って脊損の人達と一緒に練習などしたら絶対みんなに迷惑をかけてしまうだろうという思いが強く、興味はあったもののなかなか決断できずにいました。でも「やるだけやってみて、できなければできないでいいや」と気楽に考えた事で踏ん切りがつきました。
バスケと並行してマラソンの練習で走ったりしていたせいもあってか「めちゃくちゃしんどい」とは感じませんでした。ただバスケ用車椅子の組立てや、夏場の暑さ対策、冬場など空気の乾燥している時にはボールが滑って上手くとれなかったりと頚損ならではの悩みもあリます。腹筋・背筋が利かない点では同じでも、指先が思うように動かない事で車椅子のスピード・ブレーキ操作・手首の使い方などでどうしても差が出てしまいます。車椅子バスケのルールとして、ゲームをする際には各選手に対して障害の重い順に0.5~4.5点の持ち点をつけ、チーム5人の合計が14.5点以内でなければならないと決められています。その中で頚損の選手がやっていくのはなかなか大変な事かもしれません。 そのために障害が重くてもできるようにと改良された「ツインバスケツト」という種目があります。これは日本で考案された競技で、頚損のような四肢麻痺者を対象にしています。レベルに応じてゴールが2つあったりと工夫されているようです。全国に10チーム位あるそうですが、残念な事に道内にはありません。北海道にもできればいいと思いますが、実際にチームを作るとなると課題がたくさんあるように思います。 日本車椅子ツインバスケットボール連盟
きっかけは95年の夏に脊損のマラソン仲間に誘われて。だけど他のスポーツと同様にいろいろと心配事があり、すぐには始められませんでした。もし水の中で失禁してしまったらとか、大体もともと泳げないのに本当に大丈夫なんだろうかと考えてしまって躊躇していたのですが、その年の夏は記録的な猛暑で、単純に「水の中は気持ちいいだろうなあ」とか「心肺機能を高めるには最高だろうなあ」とか思い、とりあえずやるだけやってみましょうと10何年ぶりで海パンを買いに行ったのです。 現在通っているのは函館の総合福祉センターの中にある車椅子のまま(専用のものに乗り換えて)入れるプールです。深いところ(両端)でも1mほど、中央で50cm位の深さです。久々に水に入った時にはさすがにビビリました。顔を水につけている事がなかなかできず大変でした。それから月に3~4回位の割合で通うようになり、96年の1月頃になってようやく深い方で練習できるようになりました。とはいってもまだまだで、息継ぎをする度に水を飲んでしまいむせています。毎回水を飲みながらも通っているうちに平泳ぎでの息継ぎができるようになりました。初めてプールの端から端まで泳げた時にはさすがに嬉しくて、何より指導員の先生が自分以上に喜んでくれた事が忘れられません。 慣れとは恐ろしいもので、最初あんなに恐怖だった水が今ではとっても気持ちのいいものに変わってしまいました。仰向けになってただプカプカと浮いているだけでも何ともいえない解放感があります。一緒にプールに入ってくれる人さえいれば全然危険な事はないし、普段とは違った体験ができると思います。今はクロールの練習をしています。 毎年夏に『北海道身体障害者スポーツ大会』が催されており、96年度は江別市での開催でした。野幌総合運動公園陸上競技場及び他7会場において「陸上」「水泳」「アーチェリー」「卓球」「盲人卓球」「相撲」「フライングディスク」「車椅子バスケット」「フロアバレー」「ソフトボール」の競技種目に総勢1298名の選手が参加して行なわれ、私は「車椅子バスケット」に函館WBCの一員として出場しました。 全10チーム(うち女子チーム1)85名の選手が参加しトーナメント制で試合が行なわれ、我々函館チームは1回戦で敗れ、さらに敗者戦でも負けてしまいました。ゲームには出させてもらいましたが、改めて自分の力不足を認識させられて帰って来ました。頚損でバスケットをしている人は少ないのですが(自分を含めて3人位だと思います)、陸上競技などには(それを専門にしているのかどうかは分かりませんが)10人以上の頚損者が参加していたように思います。 私の場合はマラソンにしてもバスケットにしても、もともと心のどこかに「自分もやってみたい」という気持ちがあったように思います。それを自分は頚損だから、手の自由が利かないからと先に言い訳をしてごまかしていたような気がします。 いざやってみると、どうって事ありませんでした。確かにマラソンでは準備やマラソン車への乗り移りに時間がかかったりしますし、車椅子から落ちて何度かやり直してそれだけで疲れてしまい、結局走らずに帰って来てしまった経験もあります。またバスケットでも思うように動かない指先に悔しい思いをしたりもしますが、結局のところは楽しいです。できない悔しさやゴールした時の喜びなどを含めて、私にとっては唯一自分を主張できるものだと思っています。誰かに認めてもらいたいのではなく、自分自身の中で納得できればそれでいいと考えています。 これは自分にも言えるのですが、大切なのは「まず、やってみる」で、結果は後からついてくるものだという事です。結果を恐れずに行動を起してみましょう。頑張ってもどうにもならない事もあるけど、それはそれでいいんじゃないかと思います。
「小幡さんの応援に行きました」 川原六十夫:北海道頸髄損傷者連絡会代表 (1996年7月、北国の頸損かわら版より) 7月7日、江別市で北海道身体障害者スポーツ大会が開催され、亀田郡七飯町在住の当会々員、小幡健さんが車椅子バスケットボールに出場されました。小幡さんの所属する函館チームは惜しくも僅差で初戦敗退してしまいましたが、車椅子同志が激しくぶつかり合うスピード感あふれる素晴しいゲームでした。 C7不全とはいってもやはり頚髄損傷者、上肢に麻痺の無い選手達と対等に渡り合うのはかなり大変だと思うのですが(なんと試合が終わると車椅子から降りてスタスタ歩き出す選手もいるのだ)、そんなハンディを全く感じさせない小幡さんの敏捷な動きは日頃のハードなトレーニングのたまものなのでしょう。 他にも陸上競技、水泳等が行われ競技者の中には少数ながら頚髄損傷者らしき姿も見かけられました。また、近年重度の肢体不自由者を対象に電動車椅子によるスラローム競技が行われるようになりましたが、まだまだ参加者は少なく今回も競技者1名という状況でした。北海道チャンピオンを目指すなら今が狙い目かもしれません。 同大会、来年度は北広島市での開催が予定されています。和やかな雰囲気のイベントなので見ているだけでも十分楽しいですよ。小幡さんの健闘に期待しましょう。
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