塩野洋三さん(C4〜6)のレポート&コラム


「施設生活〜いいこと、わるいこと」


「介助用車椅子〜シーティングバギーについて」

「車椅子申請・その後の経過」

「もうひとつの頸髄損傷」



 北海道頸髄損傷者連絡会(重度脊髄障害@スクエア)
 2002年夏の懇話会での講演記録(要約)

 (8月25日 於:江別市野幌公民館)

「施設生活〜いいこと、わるいこと」

 身体障害者養護施設寮に入所してから6年を過ぎた所です。利用者平均年齢が58歳の高齢な施設です。102名定員で寮母の数は46名です。建物は1階がロビー、指導室、リハビリ室、歯科、システム室、会議室、デイサービス等があります。2階・3階が居室になっています。2・3階合わせて4人部屋が22室、2人部屋(6年前に増築時にできました。)が14室そのうち2部屋がショートステイ室です。昔の入居基準なのか・・・施設は障害者施設ですが、身体障害・その他の障害(リュウマチ、小児マヒ、筋ジストロフィー、スモン病)等をすべて身体障害と受け入れています。その後、30年を経てきました。その為、利用者間では色々な問題が起きております。

 タバコを制限されストレスが溜まり利用者と毎日ケンカをする人、精神障害の為、話を理解出来ない人、耳が聞こえず、目が見えない人。身体障害だけではなく、色々な多重障害者がおり、10人の内で話の理解出来る人は4人程度です。その為、4人部屋には1人ずつ話しの理解出来る利用者がおります。他の施設では考えられない点がいくつもあります。

施設生活の良い点…
■親戚や身内に生活援助に対し、手を借りることがありません。すべて施設がしてくれます。
■診療所があり、来院しなくとも診察が受けられます。歯科もあります。
■内科、歯科以外の病院へは施設の車で予約して連れてもらえます。本人が行かなくとも薬を貰って来てくれます。
■最近、利用者高齢のため、亡くなる人も多く、ロビーで葬儀を行う事も有ります。(規則では6ヶ月以上入院の場合は入居契約解除できます・・・となっております。でも、3ヶ月ほどで再入院する人もおり、規約はあまり守られてはいません。)
■入浴は週2回、月・木曜日に定期的にあります。(一般浴・機械浴・シャワー浴等です)
■自主行事があり、年1度希望地を施設の車で見学に連れて行ってくれます。し、日帰り出来る範囲内です。)
■利用者全員で行う施設行事がいくつかあります。8月納涼祭(夕方より外で焼肉・魚・とうきび等を焼きビールや酒が少し出ます。その後、手持ち花火を行います。)11月文化祭(絵画・本等を書いている人もおり、七宝焼き・旅行の写真等を展示します。ボランティアでオジンバンド等の演奏参加もあります。家族にも見学に来るように手紙を送り年間で一番家族が訪れる利用者の楽しみな日です。)12月クリスマス会(ロビーにステージを作り、クリスマス風に飾り付けをして寮母、職員、利用者等の歌や踊りなどもあります。料理はこの日だけは希望が取り入れられる為、毎年タラバガニが出てきます。年に1度のカニを食べられる日です。利用者からはクリスマス会よりも「カニの日」と言ったほうが分かり易いのです。)
■クラブ活動が幾つか有ります。希望者は何処にでも入れます。(オセロクラブ・囲碁クラブ・ひまわりクラブ・体験クラブ・その他、昔はもっと多く有りましたが予算の関係で年々減ってきました。)
■パソコンは費用が掛かりません。システム室に7台あります。その他、合わせて13台程でしょうか…。寄贈のパソコン3台で、残りは個人で購入したものです。一括回線になり料金は施設で支払っております。


施設生活の悪い点…
■4人部屋が多く、プライバシーが守れません。(夜はテレビが12時までの規約があり、早く寝る人には灯りが気になり寝つけません。年輩で朝の早い人は3時頃より騒いでいる人もおり睡眠時間が短く困ります。)
■面会室が一部屋しか無く、家族が来ても使用している時があり、プライベートな話は出来ません。
■施設内の病気でこまるのは…水虫(飲み薬で直せます)・インフルエンザ・「疥癬」です。3年前より、インフルエンザワクチンを打っていますが強制ではないので、意志が通じないで断わる人もおります。寮母やワクチン予防していない人より、広がり蔓延します。ワクチンの型がその年の流行型に合っていない場合、大流行します。疥癬は「ヒゼンダニ」と呼ばれる、ダニによって媒体する皮膚病です。2年前に外部の人(ディーサビス・ショートスティ)より、施設内に広がってきました。根絶に1年間かかりました。体力の無い人、免疫抑制剤を多く使用している人が感染しやすいのです。潜伏期間が2週間あり、その間はベッド上で隔離されます。日に2回全身に「オイラックス」を塗り、シャワーで洗い流し、シーツや着替えも2回します。入浴は「ムトウハップ」と呼ばれる、硫黄浴剤を入れて全員消毒予防しました。
■常に寮母数不足で困っております。寮母数46名ですが三分の二以上が臨職の為、入れ替わりが激しく又は経験の無い人が採用され充分な介護がしてもらえません。4年前より臨職寮母しか…採用しません。いつ正職社員に上がれる見込みがありません。人材派遣会社より、常時4名寮母代わりに派遣依頼しています。それでも3名程寮母不足です。10年後に新しい施設を建てたい…と施設長は話しています。その為にお金を蓄えています…と話していますが私達がそれまで生きていられるか…と思っています。
■施設内でのたばこ・酒の規制はありません。だが、寮母が足りない為、食事介助等は朝、夕食は寮母一人で3人食事介助です。そのため、私は週2〜3回買い物、食介とパソコン介助を兼ねてケアを頼んでおります。家庭婦人・学生(実習生)・「あてんど」・「自立ネットワーク」等です。
■食事の苦情は多くあります。塩分と油分控えめ料理の為、どの料理も美味しくありません。全て栄養士のカロリー計算です。これまで私には好き嫌いはありませんでした。だが、ここに来て嫌いになった食べ物は鶏肉・卵焼き・ハンバーグ(豆腐、ツナ入りハンバーグ)・魚特に鮭が美味しくなく、回数が多いので嫌いです。最近、栄養失調の人が多くなりました。補助食品がテーブルに付いて来ます。私も飲んでいます…「プレインマックス」訳の判らない飲み物です。冷凍庫には色々な食べ物を冷凍しています。火を使えないのでレンジ対応の出来るものです。餃子・コロツケ・焼き鳥・かまぼこ・うなぎ・レトルトカレー・自家製野菜炒め等
■銀行・郵便局への支払いと買い物は指導室では月1度決められた日にしか…行ってくれません。その為、送金・引き降ろし等は別に誰かを頼まなければいけません。
■メカや新しい物を施設に取り込むのには抵抗があります。古い施設の為、職員も古く新しい事には反発があります。例えばパソコン一括配線に3年かかりました。利用者の携帯電話・レンタルビデオ・CD・MD等について扱いを知らない、煩わしく思う寮母などから苦情が出てくるのです。
■単調生活の為、社会性がなくなって行きます。趣味、娯楽等があるとよいですね。することが無いのは、ドンドン記憶力、思考力が無くなってきます。私はパソコンで「自分史」を書いています。現在500ページくらいになります。目的が無いと生活に張り合いが無くなってしまうからです。小児麻痺で51歳人が居ます。言葉がはっきりしなく、手・足も不自由の為、小学校に行かれず、「ひらかな」読書きが出来ずにおりました。パソコンを買い、自分に合わせて設定して、ケアを頼み…現在小学3年生の漢字まで覚える事が出来ました。この様な人もおります。目的を持つ事は大事な事ですね…。

 入所時から比べると、身体障害者に対する福祉従事者の態度や扱いが良い方に変わって来ているように感じられます。以前には利用者の意見を取り上げてくれることはありませんでした。全体会議が数名で時々あるだけでした。だが、現在は「苦情処理委員会」などができて意見を出す窓口ができました。パソコンなどは「障害者にそのようなものはできるわけがない・・・」の一言で配線などもしてくれませんでした。だが、現在は一括回線となり料金も施設で支払ってくれるようになりました。これはこれから実施される…障害者支援費制度の予備期間のせいなのだろうか…。

 今までは身体障害者をできるだけ人里はなれた場所に隔離しょう…との厚生労働省・福祉課の考え方があり、施設の建設はヘンピな所を選んでいました。ところがここ2〜3年前に建てられた施設は場所も良く、一般人と同じ社会生活が出来るように配慮された施設が多くなってきました。

 私の施設は築30年で4人部屋がほとんどで、2部屋が6年前増築時に少し出来ました。ところが最近の施設は全て2人部屋です。今後はこの様な新しい施設が増えて来るのではないでしょうか…。まだまだ施設の数が足りません…でも、環境は少しずつ良くなってきているように感じております。今後の障害者支援費制度にも期待したいものです。




「介助用車椅子〜シーティングバギーについて」

 去年の6月に申請した2台分(介助用車椅子と呼気電動車椅子)の認可が厚生省より下りてきました。そして、3月3日に介助用車椅子だけが届きました。呼気電動車椅子は、現在コントローラ等を作っているところで、出来ましたらまたお知らせ致します。

 今回届きました介助用車椅子は「シーティングバギー」と言う名前で、日進医療器で作られているそうです。3年程前から発売されているとの事ですが、札幌市の北進医療機器だけが専門販売店のため、パンフレット等は無いそうです。値段は35万円です。別に宣伝する訳では無いのですが、旭川方面の肢体不自由児等で座位を保つ事の出来ない子ども達の間で人気のある車椅子だそうです。道内では既に口コミで150台程出まわっているそうです。




 この車椅子の特徴は、アルミ製のためとても軽く、介助がしやすく、リクライニングは勿論の事、その他に上下に椅子の高さを変える事が出来ます。そして、膝がくの字に固定されているために従来のリクライニングとは違い、前に身体がずれてくる心配がありません。お尻の仙骨の部分に座圧がかかりにくくなっており、長時間乗っていても苦痛なく作られています。 

 シートの下にスプリングが入っており、左手のハンドルでリクライニングになり、右手のハンドルで上下にスプリングが移動できるようになっています。高さが変えられることによって外出時の食卓テーブル等にも出入りが出来るようになります。車椅子の左右には、肘や手が落ちないようにエラスティックベルトというウレタン製のものをマジックテープで張り付けられるようになっています。それを付けると、腕が車椅子より落ちる事が無く安定感があります。背中には左右にハンドブレーキが付いており、それを押しながら介助するようになっています。

 アルミ製で軽いのは良いのですが、スプリングが入っているために若干揺れる感じがします。体重制限は60キロ位迄という作った方の話だそうです。私の体重は現在52キロです。車椅子の重さは20キロです。何枚か写真を添付しますので、ご覧下さい。では、また。

(2000年3月、北海道頸損連絡会かわら版への投稿から)



「車椅子申請・その後の経過」


 障害者手帳にて介助用車椅子と電動車椅子の2台を申請致しました。更生指導所(札幌市中央区宮の森)ケースワーカーの話では、「車椅子を2台申請することは可能ですが、それなりに申請理由を付けて厚生省に送り、判断と許可をもらう」と可能とのことでした。電動車椅子と2台目の介助用車椅子を申請するのには、条件として「何故、介助用車椅子が必要か?また、その利用頻度は月に何回位あるのか?」などの理由を申請書に記入し、厚生省の方で判断してもらうとのことでした。
 私は「介助用車椅子」が必要なのは月4〜5回程、会合や講演会、コンサートなどに出掛ける為。電動車椅子では車体自体も重く、介助する人の負担が大きいので、是非「介助用車椅子」の交付をお願いしたいと申請書に記入しました。
 介助用車椅子(シーティングバギー車・既に紹介済みです)と呼気操作式電動車椅子の2台を申請してもらいました。介助用車椅子は約32万円、呼気操作式電動車椅子は170万円(イマセン電動リクライニング車約60万円+呼気スイッチその他110万円)程度の金額でした。

 介助用車椅子のシーティングバギー車(取扱い店:北進医療器)は、平成12年3月に交付されました。呼気操作式電動車椅子は、平成12年8月、厚生省より認可が下りてきました。ただ、呼気操作式電動車椅子はイマセン製作所でも試作品3台目の為、厚生省から認可が下りるかどうか、更生指導所スタッフも私も心配しておりました。
 無事に認可は下りて来ましたが、私はこの車椅子の扱いに不安がありました。そこで、イマセンの工場(名古屋)よりコントローラーの試作品を借りて、リクライニング電動車椅子に取り付け、試走してみました。呼気操作式電動車椅子は、障害者手帳による全国第一号認可となるわけで、更生指導所スタッフも興味深く思い、色々協力してくれ、その為、イマセンの工場より試作品などを借りることが出来たのでした。両手の不自由な私には、とても頼りになる感じはありましたが、まだ改良しなければいけないところもありました。

 呼気操作式電動車椅子とは、ストロー状のジョイントを口にくわえて電動車椅子を走らせる物です。ジョイントの横にパネル板があり「電源入・切・高速・中速・低速・リクライニング」と設定されております。そのパネル板のランプが順次点滅していきます。自分の希望する所、例えば中速の所が点滅したら、その時にストローを二度吹きし、中速モードを確定します。今度は点滅が「直進・右・左・後退」と順次点滅していきます。「直進」が希望であれば、点滅した時にストローを二度吹きし、「直進」を確定すると車椅子は直進して進んでいきます。
 車椅子を停止する場合には、くわえているストローに当てている舌を離すと自動的に車椅子は止まります。ストローに舌を当てている時は、いつまでも走り続けます。その為、息を常時吹き続けている訳ではなく、確定する時だけ二度息を吹きこめば良い訳です。ストローを当てている舌を離すだけで自動的に止まる為、安全性では問題がなく、認可されたのではないかと思います。
 この呼気操作式電動車椅子をすでに使用している人は、現在全国に二人居り、この人達は実費170万円にて購入し、障害者手帳による認可を受けたのは全国で私が第一号となったのでした。
 ただ、試走してみて困る点もありました。直進した時に障害物を避けようとすると、障害物の前で止まり、右にモード入れ替え、曲がり止まり、再度直進し、今度は左にモード入れ戻り、再度直進に入れ進む。
いわばカタカナの「コ」の字のように障害物を避けなければいけません。何度もモードを入れ替え、停止しなければならないという不便さがありました。広い場所で「直進・右・左・後退」だけで使うのであれば問題は有りませんが、施設などでは廊下が狭く、障害物もあり、使用は難しいと思いました。
 その為、私は呼気操作式電動車椅子を断念し、チン(顎)コントロール装置(イマセン・リクライニング電動車椅子:車体60万円、その他電源60万円、計120万円)に変更してもらうことにしました。直進し、障害物があった時、左右に微調整して湾曲しながら障害物を避けることが出来るように改良することができたなら、迷わず呼気操作式車椅子を選んだと思います。

 その後、パソコンに仮想で電動車椅子で室内を動き回ることの出来るソフトを入れてみました。パソコン前で、チンコントロールを画面で試走してみました。このソフトは画面に各部屋への移動する様子が出て来ます。私は、ジョイントボールと呼ばれるゴルフボールを柔らかくしたようなゴム製のジョイントを顎に当てて操作してみました。すると、パソコンに映る各部屋の出入りやソファー、テーブル等の間を抜けたりすることが楽に出来ました。ジョイントボールに替えると、チンコントロールでの操作が出来ることが分かりました。

 以前に、チン(顎)コントロール用ジョイントスティックを顎につけて練習をしてみたことがありました。その時には、顎に当たる部分のスティックが金属性の為、顎や首へ、少しのデコボコでもかなりの衝撃を感じました。ジョイントボールは柔らかく作られており、ゴム製のため、顎や首の負担も少なく操作がし易いと思いました。呼気操作式よりチンコントロールへ装置を取り替えてもらい、電源スイッチ(入・切・高速・中速・低速)等も改良してもらいました。
 電動車椅子本体はイマセン製電動リクライニング車で、取扱店のニック株式会社で発注され既に届いておりました。そのリクライニング車にチンコントロール装置を設置し、ジョイントボールと、電気部分を私に合うように改良してもらいました。電気部分は、顔を横に動かすだけで頬に触れ電源スイッチが入り、高速・中速・低速の3段階の速度に設定するようにしてもらいました。

 私が、呼気操作式電動車椅子からチンコントロール電動車椅子に変更するのには問題が二つありました。一つはリクライニングのことでした。リクライニングは電源を切っている時だけ使用出来、ジョイントボールを顎で下に倒しながら寝ていき、また寝ながらジョイントボールを押し上げていくと起き上がるように設定してもらいました。でも、リクライニングにして寝過ぎた時にジョイントボールと顎との位置がずれてしまうのでした。その為、倒れる角度を最大でも45度、ジョイントボールと顎の位置が届く程度に角度固定して問題は解決しました。

 もう一つの問題は、リクライニング車に100ミリのロホクッションを座席に敷いて操作しますので、デコボコ道を走るとクッションの揺れもあり、上半身の状態の揺れが大きく、体幹パッドで固定しないとジョイントボールと顎との位置がずれてしまうのではないだろうかという心配でした。
 それで思いついたのが、介助用車椅子(シーティングバギー車)のように膝を高く上げ、膝で固定してもらうようにウレタン膝パッドと胸当てベルトを作ってもらうことにして問題は解消しました。その他、腕が肘掛けから落ちないようにマジックベルトで固定するベルトも付けてもらいました。

 私が呼気操作式電動車椅子とチンコントロール電動車椅子との選択に迷っている間に、取扱い店が既にイマセンにリクライニング車を発注しておりました。その為、電動車椅子はシーティングバギー車を選ぶことが出来ませんでした。
 その後、分かったことですが、イマセン・リクライニング電動車椅子は、小規模作業所でシーティングバギー車に改造している業者があるとのことでした。もし、そのことを早くに知っていればバギー車に改造し、膝用パッドを作る必要もなく、リクライニングも45度に角度固定することはなく、ジョイントボールと顎との位置も変わらずに使用出来たのだと思います。

 このチンコントロール電動車椅子ですが、冬場の為、施設の中であまり活躍しておりません。廊下が狭く、冬場は施設の中で遊んでいる人達も多く、その広さでは操作が難しいからです。パソコンの台の高さもチンコントロール電動車椅子用に設定していないので、主に介助用車椅子を利用しております。春になり、外に出られるようになったら、チンコントロール電動車椅子の活躍が大きくなると思っております。
 結局、介助用車椅子とチンコントロール電動車椅子と合わせて、私は自己負担額2万円程で終わりました。

(2001年1月、北国の頸損かわら版への投稿から)



もうひとつの頸髄損傷
(1999年、北海道頸髄損傷者連絡会レポート集より)

2000年11月11日 北海道頸髄損傷者連絡会の交流会で

 

 頸椎に対する手術時に脊髄を傷つけてしまったことが原因で現在の身体状況になりましたが、そのことが正確に分かったのは、手術後3年くらい経過してからのことでした。

 始めに肩凝りと手の痺れがあり、ある地方都市の総合病院の脳神経外科を受診してレントゲンを撮ったところ、頸椎の5・6番にヘルニアのような出っ張りがあり、神経を圧迫していると言われました。週1〜2回のマッサ−ジと温泉入浴などで紛らわしていましたが、担当医から「まだ48歳だし、これから第二の人生があると思うので手術した方がいい。80%痛みや痺れがとれるし、そんなに難しい手術ではないので3ケ月くらいで復帰できる」と言われ、思い切って手術を受けました。

 1回目の手術は平成3年10月、頸椎の5・6番の骨を削り、右側の腰骨の一部を移植しました。ところが、手術をしたその日から足が上がらなくなり、自力では排尿できなくなりました。担当医もとまどっているみたいでした。その状態について医師は特に説明はしてくれず「寝たきりだったので筋力が落ちた」と言うばかりでした。

 翌月の平成3年11月に外来の委託医による突然の再手術がありました。2回目の手術についての説明は何もありませんでした。前回の手術で移植した頸椎5・6番の骨を取り払い、5・6・7番に今度は左側の腰の骨を移植しました。そしてハロ−ベストで首が動かないように固定され、骨がつくまで3ヶ月ほど寝かされていました。

 手術を受けた病院には1年2ヶ月入院しました。知覚が麻痺し尿意は感じなくなっていたものの何とか自力で2時間おきに排尿していました。リハビリを行い、掴まってやっと立ったり、ピノキオのように何歩かずつは歩けるようになったところで退院となりました。その時、1級の障害者手帳と年金の交付手続きを行いました。「これでもう障害者か?」と執刀医に言うと「長く寝ていたせいで筋力が落ちただけなのだから、リハビリすれば元に戻る」と同じ話の繰り返しでした。

 その後、2回目の手術の執刀医から温泉つきのリハビリ病院があると紹介され、1年間リハビリ入院しました。けれども歩くことはできず、病院からは「車椅子を用意するように」と指示がありました。そして「住宅を車椅子用に改築するか、施設での生活に向けて準備するかを決めなさい」と言われました。

 温泉地の病院を退院後、当初の担当医に病名と初回の手術及び再手術の状態とを尋ねましたが、正確な答えはもらえませんでした。仕方がなく、脳神経外科の専門病院に検査入院しました。問診といろいろの検査の結果、脊髄を損傷しているとの診断を受けました。“脊髄損傷”という言葉は、その時初めて聞きました。そして、いずれは自力排尿も困難になると思われるので、今後のことを考えると膀胱瘻にしておいた方がいいだろうということで、泌尿器科の先生を紹介いただきました。リハビリを続けても改善することは有り得ないので、現在の状態を少しでも長く維持するために首にカラ−を装着することを勧められ、現在は就眠時も含め24時間カラ−を装着した状態で生活を送っています。その病院では、筋力・体力をつけるためというより、現状をいかに維持するかというようなリハビリを行っていました。          

 28歳の時、車を運転中に事故に遭いました。交差点で停まっていたところに後ろから追突され、その反動で私の車が前の車に追突したのです。この三重事故による鞭打ち症のためにすぐに肩や手が痺れるようになり、外科病院に3週間ほど入院しました。病院では首を引っ張ったり吊ったりしてくれましたが完治することはなく、医師からは退院の時に「今はまだ若いから心配ないが、年齢とともに肩凝り、腕の突っ張り、痺れなどが出てくると思われるので、その時は病院に行って治療してください」と言われていました。

 その通り、40歳を過ぎてから肩凝りや腕の突っ張りが起こるようになってきました。特に冬や根気のいる仕事をした時などに症状が現れることが多く、やはりあの時の鞭打ち症が悪化してきたのだと思い医者にかかりました。そこでは温湿布や温めるのが効果的だと教えてもらい、週2回程度のマッサージや温泉入浴も効果がありました。とにかく寒さが良くないみたいで温めると少し楽になったので、下着に貼る小型のホッカイロを常時使っていました。その当時は、日常生活や仕事にはそれほど支障は感じていませんでした。 

 50歳になったらペンション経営をするという妻との長年の約束があったので、その前に何とか良くしたいという思いから、48歳の時、保存的療法や手術などはどの程度効果があるのかを医師に相談しに行ったのです。その結果がこの手術であり、結果として良い方向に進まなかったことは、現在もとても残念でなりません。


 現在の身体状況

 療護施設で生活するようになって1年半ほど経った平成9年12月頃から、右の肘や肩が上がらなくなってきました。左手の方は平成3年の手術直後から動かなくなり、知覚もなく使えなくなっていましたので、右手でスプ−ンを持って自分で食事をしたり、パソコンを操作したり、電動車椅子を動かしたりしていました。それまで右腕でかろうじてできていたことが、できなくなりました。電動車椅子の操作もできず、食事も介助食となり、パソコン・ワ−プロもスティック状の物を口にくわえてキ−ボ−ド操作するような状態になりました。            

 平成10年2月に大学病院の整形外科で診察してもらったところ、平成3年の手術で腰の骨を移植した頸椎5・6・7番の骨には異常ないが、その3ヶ所を一定に固定しているために3・4番の頸椎の神経が圧迫されてきたとの診断を受けました。先生からは「現代の医学では損傷を受けた神経に回復の余地はないので、パソコンや電動車椅子を自分に合わせて作り、身体の残存機能を使って施設での生活を楽しく送るように」と言われました。

 その後、身障者総合相談所に行き、それまで使っていなかった左手で電動車椅子を操作できないか、あるいはチン・コントロ−ルにした方が良いのかを相談をしました。何とか左手で電動車椅子を操作できることが分かり、電動車椅子のコントロ−ル・レバーを左側に付け替えて現在練習中です。手動の車椅子は介助用で、車椅子への移動は電動リフトで行っています。常時10Bのロホクッションを使用しています。

 前述の如く排尿は膀胱瘻です。ベッド上では2500Nの尿パックを使っており、週1回交換しています。外出時とか車椅子に乗る時には、携帯用の500Nの尿パックを腿にベルトで止めて使っています。膀洗は週2回で、管は3週間毎に交換しています。排便は1日おきに浣腸液を使い行っています。

 首から肩にかけてのひきつるような痛みが手術前と変わらずあるので、痛み止めのロキソニンを1日3錠、胃腸薬を3回飲んでいます。足や手の知覚はなく、汗もかきません。汗をかくのは首から上だけです。


 身体障害者療護施設

 手術前は、妻と息子との3人で暮らしていました。膀胱瘻のため定期的な膀洗や入浴後の処置などの問題があり、また息子は転勤族で介助の当てにはならず、在宅生活は難しいと思われたので、施設に入る決心をしました。

 療護施設への入所は意外に早く、脳外科の病院で紹介されてから3ヶ月くらいで移ることができました。ちょうど新館ができたばかりで、10床ほどの空きベッドがあったからでした。療護施設に来て3年ほどになり、やっとこの施設の生活の善し悪しが分かってきたところにあります。

 入所者の障害は様々で、頸損は約10名、他に筋ジスや脳性麻痺、重度の四肢麻痺や小児麻痺の方などがいます。また単なる障害ではなく、例えば目が見えない、耳が聞こえないなど二重三重の障害の方も多く、病名のはっきりしない人もいます。

 この施設は、思いの外自由な雰囲気があります。本人や家族の責任の持てる範囲であれば外出・外泊も自由で、届だけを出せばいいのです。外出も門限はありません。寮に帰る前に寮母さんに電話をして、ガ−ドマンに玄関ドアを開けてもらえばいいのです。酒・タバコも自由です。長く入所している人が多く、社会生活を知らなかったり、他と比べたりすることが少ないので、障害の割に意外と明るく暮らしている人が多いようです。

 ただ、4人部屋のため入所者のプライバシ−はほとんど守られていません。家族が面会に来ても個別に話をする部屋はひとつしかなく、ベッドの脇に椅子を持ってきて話をするか、ロビ−で話をするしかありません。入所者同志のトラブルはいつも絶えません。知的障害を持つ人や、性格的に反目しあって何年も過ごしている人などもおり、絶えず何処かで何かが起こっています。でも入所者が障害者のため、たいていは口喧嘩程度で、ほとんどのトラブルは寮母さんが間に入って解決しています。


 毎日の暮らし

 起床は7時、泊りの寮母さんが起こしに回ってきます。タオルで洗顔をし、朝食の準備をします。私は歯磨きも寮母さんの介助で行っています。7時50分頃に朝食が始まります。部屋の担当寮母さんは9時15分頃に回ってきて、清拭をしたり、着替えて車椅子に乗ったり、排便をしたりの日常が始まります。その頃、治療のある人のところには看護婦が回診に回ってきます。車椅子に乗った人達は外に出たり、1階のロビ−に行ったりして、12時の昼食時に戻ってきます。午後2時30分、寮母さんの昼休み時間が終わるとベッドに移動し、おやつの時間となります。夕食は5時45分で、そのあと9時の消灯までテレビを見たりしてそれぞれに過ごします。夜勤の寮母さんは3名で、夜中の12時と3時30分に体位交換に回ってきます。

 電話がかかってきた時は、寮母室からコ−ドレス電話のヘッドホンをベッドまで持って来てくれます。こちらから電話をしたい時は、寮母さんにかけてもらいます。最近、携帯電話を持つ人が多くなりました。携帯電話は料金が高いので本当はPHSを利用したいのですが、この施設はPHSの圏外なので使えません。

 備品として部屋に置けるのはテレビとビデオだけで、パソコン・ワ−プロなどは個人の物でも1階のシステム室以外では使用できません。最近まで個人的に使える電話回線を施設内に引いていなかったので、平成9年10月に行われた改築時にお願いをしてシステム室にも電話回線を引いてもらい、インタ−ネットに接続できるようになりました。

 何をするにも手を借りなければならない状態ですが、寮母さんにあまり手をかけてもらうのも気の毒なので、自分のやりたいこと、例えばパソコン、外出、散歩、飲食などは、週2回頼んで来てもらっているケアアシスタントの方がいる時にするようにしています。自分でしたいことがある人が、個人的に介助を頼むことに特別な規制はありません。

 1週間のスケジュ−ルは、月・木が入浴日、火・水・土・日は自由行動、金曜には研修学生のボランティア・レクリエ−ションでゲ−ムなどがあったりします。家族が面会に来るのは土・日が多いです。

 お風呂の日は寮母さんの手が足りず、車椅子には乗せてもらえません。平日、車椅子に乗っているのは10時半頃から3時半頃までです。もっと長時間車椅子に乗っていたいと思っている人もいますが、寮母さんの交代の時間にぶつかるので、皆あきらめています。ベッドと車椅子の間の移動は、電動リフトで行っています。お風呂も浴室用の車椅子に電動リフトで乗り移り、その車椅子ごと浴槽に入ります。少しでも立ったり歩いたりできる人は、自由浴槽という大きな浴槽に寮母さんの介助で入ります。

 土曜の昼食はパン食で、月曜と木曜(入浴日)は麺類(ラ−メン、素麺、うどん、スパゲティなど)となっています。老人ホ−ムの分と一緒に調理するため塩分控えめで味がなく、肉類も鳥肉が主で、いつも若い人から苦情が出ています。なま物、刺し身類は月に一度の誕生会の時に出てくるだけ、カレ−ライスも月に一度です。野菜食が多く、ダイエットには適しています。
 
 洗濯は全部施設でやってくれます。大事な衣類だけは自分でクリ−ニング屋に頼みます。施設内に床屋さんがあるので(週4回・午後に営業)、そこで散髪しています。男性の散髪が1300円と、とても安いです。

 生活必需品は、月に一度、指導室が行う買い物の日というのがあるので、物と名前、数量、金額などをメモして注文に出し買っています。売店もありますが品数が豊富でなく、皆家族や知人に頼んで買い物をしてもらっています。入所中に必要な費用は、所得に応じて違うもので詳しいことは分かりませんが、平均月々4〜5万円だと思います。金銭の管理は、ほとんどの場合指導室で行っており、年金なども指導室で管理していることが多いです。
         
 年中行事として、春は前庭を利用しての車椅子運動会、夏は納涼祭で外で焼き肉をしたり、秋は文化祭、冬はクリスマス会などがあります。その他に寮母さんの介助によるクラブ活動があります。生け花、オセロ、ハム(無線)、囲碁、体験など、週1回のペ−スで活動があります。私はこの施設に来てから、誘われて囲碁クラブに入りました。10年以上の経験者が多く、とても勝てません。でも楽しく参加しています。


 外出・外泊

 膀胱瘻の管理の問題があり、ここに来てから外泊は一度もしていません。夏場は月に一度ぐらいの割合で外出しています。冬は大変なのでほとんど出かけません。      
 外出時の介助を施設の寮母さんに依頼することは禁止されており、今までは学生ボランティアだけを当てにしてきましたが、学生は就職などによって毎年メンバ−が変わっていくため、施設ではケアアシスタントの利用を考えるようになりました。今年から施設で行っているデイサ−ビスの方でも積極的に介助ボランティアやケアアシスタントを利用するように、指導室の考え方が変わってきました。私もケアアシスタントの方をお願いしています。

 外出時の交通手段としては、この施設に20年前から出入りしている個人タクシ−があり、運転手さんが抱えて助手席に乗せたりしてくれるので、その個人タクシ−を利用する人が多いです。私は小規模授産所の送迎リフトカ−を使って外出しています。


 いま、思うこと

 障害者になり、私の第二の人生が始まりました。その中で大事にしている宝物がひとつあります。小さなガラス玉です。それは2年前、頸損連絡会の人達と初めて会ったクリスマス会のゲームでもらったもので、トナカイが引く橇に乗ったサンタクロ−スの飾り物です。ちょうどその頃は一番落ち込んでいた時期で、療護施設に移ったばかりで心を許せる友人も少なく、悲嘆に暮れていました。それを見かねていた妻が、新聞で頸損連絡会の記事を見て、電話をし、相談をし、私の了解を得ず勝手に入会したのでした。そして暮れも近づいたある日、頸損連絡会の皆さんに会いに出掛けたのです。

 5年ぶりの外出だったので、人と会うのも話をするのも嫌で、とても億劫な気分でしたが、妻が強引に誘うので渋々と出掛けた次第でした。行ってみて驚いたことに、車椅子の人達が、一般の人達よりも元気に、賑やかに、楽しく飲んでいるではありませんか。私はびっくりしました。こんな元気な障害者は見たことがない。何か目から鱗が落ちたような気がしました。皆があまり元気で明るいので、訊いてみました。「どうしてこんなに元気に障害を乗り越えられたのか?」と。すると、ある人が「やはり長い時間かかったよ。今では考えられないけれども、落ち込む時期って必ずある」と答えてくれました。

 その時にもらったのが、このガラス玉です。逆さまに振ると、雪のような粉が静かにサンタクロ−スやトナカイに舞い降りてきます。それまでの5年間は、クリスマスなど考えられる状態ではありませんでした。何の変哲もない飾り物ですが、このガラス玉を見て、何か忘れていたものを思い出したような気がしたのです。それ以来、これが私の宝物となりました。

 毎年、雪が降ります。雪が降ると表に出られないし、外出も少なくなるので、とても嫌な季節です。ところが今の私は、このガラス玉の雪の降る光景が思い浮かび、逆にクリスマスが近いなと心待ちに考えられるほどになりました。あの時に出会った頸損連絡会の仲間は、私にとってのサンタクロ−スだったと思っています。今後も楽しく末永くお付き合いいただきたく、そして、いつか誰かのために、私がサンタクロ−スになれたらと思っています。

 在宅生活から見ると、施設での生活は満足できるものではないと思います。要望とか希望とかは沢山あるけれども、在宅と比べて家族への負担が少ないので、施設内での友人や障害者の仲間、パソコンの仲間を通じて楽しく生活していければいいなと現在は思っています。

 肩凝り、腕の痺れに始まり、医療ミスとも思えるこれまでの状況をふりかえってみると、手術をしなかった方が良かったのではないかと何度も後悔しました。でも、この施設に来て、生まれながらの障害を持った人や社会に一度も出ていない人達に出会い、自分は障害を負ったけれども、結婚もし、子育ても体験した後の障害との出会いなので、まだそういう人達から見ると恵まれた人生だったのかもしれないと思っています。(平成10年12月)



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