column



WAKEDOさんのコラム



 いつかマスコミと喧嘩せにゃならん!!
(2007年11月)

 働けるのに働かない者を社会やマスコミは“ニート”と呼び、「働かせろ」「あまやかすな」と非難する。しかし障害のある者には働ける働けないを問わず、「負担を増やすな」「保障を増やせ」と声をあげる。

 ほんと、日本は障害者に優しい国である。

 10月30日、大規模な障害者自立支援法反対集会があった。反対を訴える障害者には個々の思い、実情があるのだから非難はしない。けれども、マスコミの報じ方には疑問を持ち、腹立たしさも感じる。介護に関する利用料の増加、サービスの低下などは声をあげて改善を要求しなければならない。同時に介護職の待遇改善も早急な課題である。しかし障害者就労に関する報じ方は断じて納得が行かんっ!

 福祉就労の現場は「受け取れる報酬が月約5千円に対し、施設を利用する自己負担に月約1万円支払わねばならない」とある実例が報じられた。これを自己負担が重いと報じられることに、私たち障害者は手を叩いて賛同しても良いのか。・・・それでええんか?

 頭を冷やして考えてみよう。一般労働者は月々どのくらい自己負担を払らっているのか?昼飯代に交通費、その他諸々それなりの額は自己負担しているだろう。障害が有ろうと無かろうと、働くことに何らかの自己負担が生じることは当然なのだ。

 ならば当然の自己負担より着目しなければならないことは障害者の労働単価、労働収益の低さではないのか。障害者の労働収益が月5千円、月1万円ということの方が、よっぽど見過ごしてはならない問題やろがっ!!それに触れず当然の自己負担だけを重いと報じるなら、それは障害者をひとくくりに働けない人間、稼げない人間と公言していると同じとちゃうのっ?!

 そんなマスコミの差別報道に手を叩いて賛同するなど、まさに『自虐』。就労している障害者よ、“BE PROUD(高い誇りを持て)”

 テレビで障害者が「負担が重くて服も買えない。旅行にも行けない」と嘆いていた。心優しい日本人は「障害者の生活は大変なんだ」と思っただろう。心優しくない私は「障害の無い人は服も旅行も自分の働いたお金で支払っているんやで」とつぶやいた。

 生活困窮者の生活を守るのは国と社会の義務である。しかしお金を渡し、自己負担を軽くするだけが生活困窮者を守るすべなのか。現にホームレスの自立を報じるときは、自己負担云々より「景気の回復」とか「雇用の確保」を口にするではないか。

 自宅療養していたころの私には生活の中に「働く」という余裕が出てこなかった。しかし福祉施設に入所したとたん就労意欲が湧きました。そして今、ネットショップを運営するまでに至っています。これは施設に私を就労可能とする支援があったからこそなのです。だから確信している。重い障害があっても必要な支援を得られれば“働ける”“稼げる”。

 今、社会と障害者は模索しなければならない。どうすれば障害者の労働収益をあげることができるのか。どうすれば自己負担額より多い稼ぎを得られるのか。

 それだからこそマスコミに訴えたい。『障害者が働き稼げる社会』にするために何を報ずるべきなのか。『障害者が働き稼げる社会』にするために国や社会、そして障害者自身にも意識改革を求めることもマスコミの役目ではないのか。

 障害者の労働所得の低さに疑問を持たない社会、そして障害者自身。それを見過ごすようなマスコミには、これから何度でも噛みつく。

 人材活用のとき“アメとムチ”という言葉を使うときがある。日本では障害者にアメを配る人を善人といい、障害者をムチ打つ人を悪人という。本当にそうなのだろうか?アメを配るだけでは生活支援である。自立支援ではない。自立支援とは時として尻を蹴飛ばすことではないのか。

 自立をしようとする障害者は尻を蹴飛ばされる覚悟は持っているのか?自立支援に関わる者は障害者の尻を蹴飛ばす勇気を持っているのか?

 もちろんこんなことを社説に書く新聞は売上が減るし、こんなことをテレビで言うニュースキャスターは非難ごうごう間違い無し。それが今の日本やもんね。私と同じ事を言ってくれるマスコミは日本にいるのだろうか・・・。いなければええよ。その代わり、私がそう言っていたと記事やニュースにしといてね。




 生き甲斐ではなく生きるため
(2006年4月)

 NHKのニュースで授産施設等障害者就労の現場が混乱していることが報じられていました。障害者自立支援法が施行され、授産施設等を利用する自己負担費が上がった。そのためにひと月に受け取る報酬より、支払う自己負担費の方が高くなるという逆転現象が起きている。ひと月頑張って働いて約1万円の報酬を得ても、授産施設に利用料約2万円払わなければならない。働いても報酬を受け取るどころか、逆に生活を圧迫する。

 バッシング覚悟で言いますけど、このニュースを聞いたとき、障害者自立支援法の良し悪しに関係無く、これはなるべくしてなったと思いました。

 私も独立起業する前に、働ける場所を探しにいくつかの授産施設を回りました。当時どこの授産施設もひと月に得られる報酬は数千円程度。でも報酬の額より愕然としたのは、仕事がないときはみんなでお茶を飲んでいるというのです。そこで仕事をしている人の意識に疑問を感じました。お茶のみに行っても仕方が無い、その施設に通うことはやめました。

 よく考えましょう。一般企業なら仕事が無ければ危機感持ってお茶飲んでいる場合じゃありませんよ。お茶飲んでいる暇があれば、顧客開拓に尽力するとか、新規事業開拓に取り組むとかが仕事というものじゃないですか。仕事が無いからってお茶飲んでるような会社は当然潰れるんじゃないですか?

 今回は障害者自立支援法で自己負担額が上がったことがクローズアップされているけれど、たとえば不景気で民間からの需注が減ったとか、仕入れや経費の値段が上がったとか、経営・運営を圧迫するリスクは常にあるはず。今回の混乱は単純に障害者自立支援法が悪いだけなのでしょうか?もちろん日本中の授産施設・共同作業所が全部そんなところだなんて言いません。もの凄く頑張っているところは沢山あります。私より稼いでいる人もいっぱいいます。

 今の混乱は障害者がどういう気持ちで仕事に取り組むかが問われているだと思います。 ...違う?障害者就労は障害者に働く喜びを提供すればそれでよいのか?もっと「稼ぐ」ことに対して強い意識が必要なのと違うのか?

 実は私も共同作業所にブラ下がっていた時期があったんです。最初のギャラは月2千円。そのときは仕事のできる喜びの方が先に来て、2千円の報酬で十分満足してしまったんです。でもあるとき2千円の報酬で生き甲斐を感じている自分に疑問を持ったのです。それで共同作業所の仲間に呼びかけました。「もっと稼ぐにはどうしたらよいか考えよう。」周りの反応は、“シラ〜〜〜・・・”年金があって、生活保護があって、親の金があって、そこそこ生活していける。たいして稼げなくても生き甲斐があればそれでいい。そんな反応でした。それでいてプライドだけは高い。自分は仕事をしている、何もしていない障害者とは違うんだ。そんなプライド、張子の虎やないか。だからといって、たいした稼ぎの無い私が何を言っても説得力が無い。それならばと私の気持ちは一気に独立起業へと動いて行ったのです。

 マスコミが障害者就労を取り上げるとき、「働くことが障害者の生き甲斐になる」と必ずといってよいほど言います。でもそこでコメントが終わるケースが多い。仕事というのは趣味やレクリェーションではないのです。「生き甲斐」という言葉だけで終わらせて良いのだろうか?障害者に対してもっと辛口なコメントもあるべきではないのか。

 負担が重いというけれど、世間一般の労働者は通勤の交通費だって昼飯代だって自腹を切っている。本来労働というのは払うべき自己負担を払って、それ以上の報酬を得るというものじゃないんですか?...私もあんまり偉そうに言えんけど・・・(-_-;)・・。(複雑)

 障害者の社会参加というけれど、社会参加というのはみんなと同じ権利を持つと同時に、同じ義務、同じ負担を担うことでしょう。マスコミは負担のことが「重い」と報じても、せいぜい行政支援を訴える程度で、障害者自身が何をすべきかについては具体的意見をほとんど口にしない。なぜ?障害者に社会の負担は担えないと見下している?それとも誰かにバッシング受けるのが恐い?

 障害者が働き、負担を担えるような具体的意見を出すと必ず、「しかし現実問題として障害者は・・・」と言い出す者がいる。誰かそう言う奴を私の代わりにドツイて欲しい。人に無限の可能性があるのなら、当然障害者にも無限の可能性がある。健常者の可能性と障害者の可能性を分ける奴を、誰か私の代わりにドツイてくれ。

 そして障害者自身も意識を変えなあかん。仕事は「生き甲斐」であって当然。「生き甲斐」であって何ひとつ悪いことはない。でも障害者にとって仕事は「生き甲斐」までに終わってよいのか。仕事は本来自分が「生きる」ためであり、自分を「生かす」ためのものでないか。

 すぐに変われと言っても、それは無理。それでも少しずつ変えていかなければ、そこから先に発展しない。私の考え、どこかヘン?・・・

 ・・と、ここまでは言いたい放題言ったけれど、気持ちが変わればすぐに収益が上がるというものではありません。今は緊急に行政からの支援が必要です!!銀行には大盤振舞いで公的資金を投入したのだから、障害者就労の現場にもそれぐらいバ〜ンと気前よくお金を出してもらいましょう。 ...ね。


 小泉政権を総括する前に・・・

 小泉政権も任期あと僅か。ポスト小泉は誰か??・・なんて分かりきった報道と共に流れてくるのは、小泉政権の総括。でもねぇ、小泉政権を誉めたところでマスコミは儲からない。当然バッシング的な報道か多い。

 特に槍玉に挙げやすいのは、障害者自立支援法ですね。前置きしておきますけど、障害者自立支援法が好きか・嫌いかと尋ねられましたら、私はもちろん・・・“大っ嫌いです。”だって、いっぱいお金を持っていかれるんですから。消費税とられるのが大好きと言う人、いる?

 では、障害者自立支援法が良い法律か・悪い法律かと問われると、それはその人個々の人生観・生活観に左右されるものですから、むずかしいですね・・。私の場合は障害者自立支援法により働きやすい環境になったので、とりあえず『便乗派』と名乗っております。(^。^@)実のところ私、障害者自立支援法の条文をまだしっかり読んだ事が無いのです。パンフレットで自分に関係あるところだけ確かめました。

 だって私は何があろうと「貧乏は自己責任」と腹をくくることにしてますから。障害者自立支援法が良かろうが悪かろうが、消費税が10%を越えようが、私にとって「貧乏は自己責任」。

 さて、話を本題に戻して・・・ある週刊誌に政治評論家が、やっぱり障害者自立支援法を槍玉に挙げて小泉政権を批判しておりました。評論家の言い分は、「1割の自己負担を課すなんて障害者がかわいそう。」私が率直に思ったのは、“レベル、低っ!・・” Σ( ̄□ ̄|||)言セっときますけど、私は小泉内閣を擁護する気はサラサラありません。とにかくこの政治評論家は《レベルが低い!》

 私ね、日本の障害が無い方、いわゆる健常者の方は『寛大』だと思います。だって健常者の方は、概ね自己負担10割で生活をされているのでしょう。「なぜ障害者だセけ自己負担1割なのだ。健常者も《平等》に自己負担1割で生活させろっ!」という屁理屈を言う人なんて、どこにも見かけませんもんね。もしも日本国民が全員《平等》に自己負担1割で生活するとしたら、消費税はいったい何千%必要なんでしょうか??(・・・これも屁理屈??H?)

 障害者に自己負担を課すことが《悪》であるならば、私は社会に訴えたい。『重度障害者が自己主張したときに、「人に面倒見てもらって贅沢言うな」とぬかす奴らを全員刑務所に入れてくれっ!』私らはその言葉で、どれだけ踏み付けにされたことか。それなら10割自己負担Sで生活できる所得と就労を社会は提供してくれ。健常者と同じ自己負担をできるようにしてくれ。もう、踏み付けにされるのはごめんやっ。

 平等って何? 分け隔てないことでしょ。公平って何? リスクを分け合うことでしょ。平等と公平を追求しても、社会の中にはどうしても弱者や低所得者が生まれてしまう。弱者や低所得者を社会が守るのは当然のこと。でもね、私は何度も言っているでしょ。「障害者イコール弱者にすんなっ!」

 弱者になりたくない障害者もいる。弱者にならずに済む障害者もいる。一人でも多くの障害者を弱者にしないのも、平等・公平な社会なんと違う?一人でも多くの障害者が10割自己負担で生活できるようにするのも、平等・公平な社会なんと違う?私、何かヘンなこと言ってる?

 重い障害で人並みの生活ができなくても、人並みに稼がせてくれたら、人並みの負担は払うよ。平等・公平に。「障害者イコール弱者」で物申すなんて「レベル低いっ」。日本の政治を善くしようと思うなら、もっと政治評論家のレベルを上げてよ。マスコミも、もっと政治評論家を見る目を養ってよ。レベル低い奴を『政治評論家』なんかに祭り上げないで欲しい。

 もうひとつ腹が立つのは、こんなレベルの低い評論家が高いギャラ貰って原稿書いたり、大学に雇われ「福祉」を語るんやろ?私なら一桁安いギャラで、もうちょっとマシなこと言うで。



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