report & column |
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橘井 豊さんのレポート&コラム |
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障害者施設入所者の自立支援に向けた (北国の頸損かわら版への投稿から:2010年4月) あの日あの時、我が身に何が起こり、何が何が・・・気がついたときは病院のベッド。事の重大に驚愕、背負いきれぬ重荷、自らの処決も頭を過ぎる。なんとかその時を脱し、当施設(80床)に暮らす。 屋根からの転落、頚椎3・4の不完全損傷、両腕両足、胸から下麻痺。一人では寝返り、車椅子移乗も出来ぬ。この身で生きて生かされるには、家族の元では潔しとはせず施設を選択、故郷、家族の元離れての10数年の月日が過ぎる。 ここでの生活では大体においては非や否は有りませんが、語れず語らず伝わらずに、耐えろ忍べの思いも少なくなく、無為無策の中に馬齢を重ねる。 時の政策は、施設から在宅でと障害者の措置の変更ともいえる問題を提示、脱施設への働きかけを強めている。地域での在宅支援、グループホーム等のサービス体制が出来るという。我らには選択の幅が出来、歓迎すべきの事だろうか。 過疎地域に住まいし重度身障の身には、様々な懸念が・・・特に冬場の雪での交通不便、訪問受けるも外出時も大きな影響があります。 当該施設は重身の終生の宿たる唯一頼れる所とも思い、新設や増床こそ必要で、先行き不安のセーフティネットとして強く望み、また、施設利用者にもさまざまな介護機器を無料又低価格にて使用出来るように。在宅介護では、老老介護状態になった場合等、直接5〜7万ぐらいの直接給付の道筋をも考えてほしい。 今後とも障害者政策を考える時、当事者等の参画こそ必要不可欠の事と思います。
(北国の頸損かわら版への投稿から:2008年9月) ここ3〜4年前ごろから、行政の盛んな地域へ帰れとの脱施設のキャンペーンを見聞きしますが、なかなかに全容がつかめません。 小生、昭和18年生まれ、50歳の時、屋根からの転落で頚椎損傷、手足、胸からの下の感覚がなくなり、一人では寝返りすら出来ません。病院で7年、現療護施設に8年、受傷15年になります。事故前は自営で故郷で食堂をしていました。 家族や兄弟,知人に迷惑かけたり、無様な様子など見せたくないと思い、又何か自分にも何か出きる事に出会えないかとの思いも有りで、故郷から車で片道2時間を越える施設利用になりました。 すでに65歳、現在の処遇に否や非は特段有りませんが、忍べ耐えろの事もけして小さくなく、故郷恋しの想いが膨らみはじめ、精神的ストレスなのか気持ちの落ち込みなのか、慢性的イライラの解消出来ずに気分の落ち込みが続き、悩み苦しみの日々が多くなります。 我々、重度障害に位置する者が在宅や地域で自立できるとの話、もろ手を上げて喜ぶはまだまだ遠くに感じます。 まず住むところ。電動車椅子に耐えるような床、天井リフト、一部レイアウトの変更、道路までの舗装等、一千万以上の資金に、一人では寝返りすら出来ぬ身に現在住まいする施設のサービスと異差はどうか等、盛だくさんの不安があります。語れず、語らず、伝えられずに知識も情報も乏しく、施設利用者はカヤの外の感じです。 加齢、障害者理由故の家族間のトラブル発生など考えなくもないのです。 小子化,老老介護故にも、なぜ施設とか地域とかに分ける必要があるのか。我々には両方必要です。多分経費にかかわっての事と思いますが、集団よりも個々のほうが安く済むのですか。 現在の行政措置に加え,必要な地域に9から20人程度の公設民営でのグループホームをぜひ設置をお願いできないでしょうか。新しくルールを作り、ニュー重度身体障害者療護施設をです。わがままな事と言われかねないとも思いますが、今を生き生かされての人間模様に少々疲れすぎ、がそこここに頼るべき,寄るべきの終の住み処を探し続けています。
全国頸髄損傷者連絡会機関誌「頸損」No.87(2005年11月発行)より 道内でも当地は温かい期間は短いように感じられます。お盆も過ぎると15度以下の気温が多くなり野外の散歩も少なくなり室内で過す時間が多くなります。 北国の頸損かわら版への投稿から(2004年2月) はじめまして。わたしは網走管内にある身障療護施設にK市から処置委託者として平成11年入所、受傷10年目。18年生まれ、元自営者です。
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