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止まらない汗に思い切って決断! 神経ブロックを受けてみました。
(2008年3月、北国の頸損かわら版Vol.36への投稿より)
頚椎の4番5番を損傷して20数年、様々な症状に出会うたび「山本さんは自律神経がうまく働かないからねェ」と言われ、薬や自分の工夫で何とか乗り越えてきました。
2006年の2月頃から何だか上半身が汗ばむことが多くなり、気になって(更年期障害かしら?)婦人科を受診しましたが、先生は「これはきっと自律神経のせいだと思う」と漢方薬(ツムラの五苓散)を出してくださって飲んでいたのですが、即効性があるわけもなく、だんだん発汗が多くなり頭から顔から胸のあたりまでビショビショになる程。
自分で漢方薬屋さんの漢方薬を飲んでみようとネットで「異常発汗」で出てきた長崎の漢方薬のお店を見つけ、早速電話で症状を話して1ヶ月分を出してもらい、なくなりそうになると思ったら、また症状を話して送ってもらうということを5回も続けた頃、何となく良いような気がして飲むのをやめてみたら、もう全く元の汗の出ない体になっていて、暑い夏も熱はこもって辛いのですが汗は出ず、漢方薬を試してよかったと、ごく普通に過ごしました。
そして異常発汗のことはもうすっかり忘れていた11月にまたじわじわと汗をかくようになってきて「いやだな〜」と思っていたら、あっという間に汗びっしょりになるようになって、慌てて漢方薬をまた注文して飲み始めるようになりました。以前は車椅子に乗っている時だけだったのに、今回はベッドに横になると急に沢山出るようになり、気持ち悪さと手軽にシャワーを浴びたり顔を洗ったりできない我が身を呪いました。
そうは言っても逃げ出すわけにもいかず、ベッドや車椅子そして枕も濡れるので、いつもペットシートを敷いて洗濯物をふやさないように工夫し、頭にはタオルをターバン風に巻いて、その上をニットキャップで押さえ、そして首にも肩にも胸にもタオルを巻き1日に何回も取りかえるのですが、グッショリと重くなっているので、脱水症状を恐れポカリスエット等、水分を沢山とるように気をつけました。漢方薬はそのまま続けていましたが、「今回は手強いぞ」と覚悟をしたものの全く変化の見られない日々に軽い鬱状態になってきました。
自律神経がうまく働かないからだと言っていたかかりつけの内科医もいろいろ調べてくれるようになり、喉の両側にある星状神経節ブロックをして効いている人がいると教えてくださったのは良かったのですが、私は怖くてNOと言い続けていました。
でも一向に汗が溢れる状況は変わらず、気持ちが負けそうになり、結局は麻酔科を受診することにしました。星状神経節ブロックの説明を受け、念のため同意書を書き、その日から治療が始まりました。
星状神経節というところは、体に何ヶ所かある交感神経をつかさどる場所の一つで、そこへ麻酔を5cc程注入することによって、一時的に勘違いさせることを繰り返すことで、やがて交感神経が落ち着いていくという治療です。
2007年の2月の後半から毎週右、次の週は左と続けること10回目に先生に「僕のところへ来た時よりもずっと良くなっているので、少しお休みしましょう」と言われましたが、確かに1回目からすぐ効いてはいたものの、まだ汗は出たり出なかったりとムラがあったので、「不安なので、もう少し続けたい」と言って、2週間に一度、そして3週間に一度と間をあけて8月までかかりました。
車椅子に長く座っていて、背中やお尻が痛くなったときや、お小水が溜まりすぎたとき等は、以前からそして今も、右側の頭から首、肩の辺りまでジワッと汗ばむことがあるので、時々「またか…!」と思います。
私は気管切開をしたことで首の筋肉が硬くなっているようで、星状神経節を探しにくいらしく、先生も私も緊張しますが、これからもあんなに汗が出る状態になったら我慢せずに迷わず麻酔科を訪れるつもりです。
星状神経節ブロックは、様々な症状に効果があるようです。首に注射をされるのは私のように恐怖感がある人は、病院によってはレーザーで治療するところもあるので調べてみてください。(2008年3月)

早く仲良くなろうね!マック
(1998〜1999年、北国の頸損かわら版より転載)
頚椎を損傷して12年。右の手首に自助具を着けてワープロを操作するようになって11年。年数ばかりは長いけれども、専らちょっとした原稿を書いたり手紙を書いたりするだけでしたので、早くからパソコンをすすめる友人はいたのですが「なんだか大変そう」という私の先入観であまり真剣には聞いていませんでした。 ところが2台目のワープロの液晶画面が傷んで見にくくなってきた頃、私の大切な右腕があまり根を詰めるととても疲れ、老化のせいで目も疲れ、だんだんワープロの前へ座るのが気が重くなってきたのです。パソコンをすすめるK氏は「それはもう口述筆記に頼るか、パソコンで何か良い入力方法を探すしかないね」といい、私はやはり手紙くらいは自分で書きたいという思いが強く、何とか腕に負担のかからない方法を模索することになったスのです。でも実際は、頚損連絡会の川原氏とK氏に情報集めはおまかせでした。 私はこのような情報機器という分野が苦手で、障害を持った人には使い方次第で本当に便利なことは良く分かってはいるのですが「あまり仲の良い友達にはなれないだろうな」という思いが結構強くありました。そこで、パソコン歴の長いK氏と、腕の使い方が似ている川原さんがすすめるものならば大丈夫と、大船に乗った気持ちでいたのです。が、私の手元にマックが届くのはそんな話を始めてから1年半以上もたってからでした。購入するのならアップル社のコンピューターと決めていたのにも関わらず、なぜ手にするのが遅くなったのか? パソコンはまだ日常生活道具として認められていないので、ワープロの枠を使って支給してもらうことにしていました。その額11万8500円。腕に負担がかからない入力装置をあれこれ考えていくとどうしても持ち出し金額が大きくなり、そこまでお金を出して「私にやる気がなくなったら・・・」「使いこなせなかったら・・・」という思いで、決めようとしては、もう少し様子を見てみようという気持ちの繰り返しでずいぶん寄り道をしてしまいました。 私が一番気になりこだわっていた物は、アップル・ディスアビリティセンターで扱っている「ヘッド・マスター」という、簡単にいうとヘッドホンのようなものの先にストローを差し込んだものを頭に付け、頭の動きがマウスの動きになり、クリックするときはストローをくわえ息を吹くという優れものでした。とても私にノとっては使い良さそうでしたが、それだけで13万8000円という驚きの値段。K氏は「それに本体とプリンターなどで50万くらいかかるだろう」といっていました。たまたま2回ほど体験できる機会に恵まれ、短い時間でしたが説明を受け使ってみることはできたのですが、思ったより首が疲れるのが気になりました。こんなに高価な物を納得いかないまま購入するのも不安なので、お試し期間のような制度はないのか、または市内や道内で使っている人の情報があったら欲しいと交渉してみましたが、どちらもダメでした。 そんなこんなで、パソコン購入を決めてから1年半に及ぶ頃、私は突然呪縛から解けたようにいとも簡単な方法を思いついたのです・・・
「さあ買おう」「いやいや、もうちょっと様子を見て」と試行錯誤してばかりで、いっこうにパソコンを手に入れられない私はある日「とりあえず本体とプリンターを買おう」と思い立ったのです。なんだか大げさな言い方ですが・・・「ヘッド・マスター」という物にこだわりすぎていたから、なかなか決まらなかったわけです。「まず、ふつうにパソコンを購入して、それから不便だったらその時考えればいいんだ。一度に全部揃えようと考えているから色々不安になってくるんだ。」と気がついたら、なんとも気持ちがすっきりして今までの迷いはいったい何だったのだろうと、自分の頭の硬さにあきれてしまいました。 それからは、話はトントン拍子にラッキーに進んでいきます。さっそく私と同じような身体状況でパソコンを上手に利用している川原氏のお宅におじゃまして、様子を見せていただいたり、触らせていただいて「ん、これなら私も大丈夫」と大胆にも自信を持ちました。 数日後、川原氏から「新札幌のダイエーに、山本さんに手頃な初心者用の一体型でカラープリンターのついたマックが15万で出ていましたよ」という電話があり、さっそく問い合わせてみると現品のみということ。一瞬迷いましたが売約済みにしてもらって、翌日近くに住む義妹に買いに行ってくれるように頼んだのです。15万という思いもかけない安さに喜んでいたら、その日はちょうどお買いあげの1割がダイエーの商品券でもらえるという日だったのです。なぜか送料もサービスしていただいてしまって。そして、その商品券もなぜか1枚多く入ってて。「ええー、こんなにいい事が続いていいの?」と舞い上がってしまうくらい良い日でした。 2日後にやっとやっと届きます、マックが!!・・・ちょっと待って、どこに置こう、台がない、台が。
パソコン購入とともにどこへ置こうかをのんびり考えていた私。今までワープロは、庭を見渡す見晴らしのよい居間の一角に置いて使っていたのですが、電話ともつなぐパソコンは、電話のそばが良いんだろうなと思い(壁や天井を電話線がはい回るのはいや)ベッドルームの方へ置くようにしようかなと考えていました。 もう3日後にマックが届くというときになって、ベッドの脇に置いてあるソファーをよけてそこに置こうと決めました。よくあるパソコンラックはあまり好きではないし、車椅子では使いにくそうだし。私は、腕を保持するために車椅子にはいつもテーブルをつけているので、キーボードはその上へ置いて使うことにして、そうするとパソコン本体が置ける奥行き50センチくらいで足が入る台のようなもので良いのではないかと思ったのです。 とりあえず近くの家具屋さんへ行ったところ、手軽な値段でシンプルな机は何点かあったのですが、私が気に入ったのは、重厚な書斎用ユニットとでも言うのか、幅40センチほどの色々な長さの天板に、引き出しや戸棚を好きなように組み合わせられるもの。予算の3倍以上の値段にさんざん迷ったのですが、40%オフというセール中でもあり清水の舞台から飛び降りて購入したのです。とにかく、スペースが狭いので40×200というサイズはぴったり。私は他の人がパソコンを使う事なんて、頭をかすめることもなく「よい買い物をした」とごきげんでした。 3日後にマックが、5日後にはテーブルが届きます。ごきげんな私に父が「じゃあ、俺が使う時はどうしたらいいんだ?」とぽつり。「へ?」テーブル付きの車椅子じゃない人や(その方が多い)、健常者といわれる人(これも多い)は、キーボードをどこに置いて使えばいいのでしょう? という事で私のパソコンコーナーは、私以外には優しくない場所となったのです。 買うと決めて3日後には届いたマックも、置く台が届くまでの数日間はリンゴのマークつきの可愛い段ボールの中に入ったまま玄関で過ごしてもらいました。やがて重厚な感じの机も届き、さっそくマックを置いてみると「うーん」いい感じ。庭の木や、空が見えるとっても感じいいの書斎風。猫の顔がいっぱいのロールスクリーンもよく似合う。何でも形からはいる傾向の強い私はこれから始まる、楽しくも苦難の日々が頻繁にあるとはつゆ知らず、パソコンのある風景にちょっと満足して?ひとりにんまりしたのです。 説明書に目を通し、ビデオでの説明も真剣に見て、もちろんなにかと困った時、すぐそばで助けてくれる介助者のゆみこさんにも、基本的なことを知っていてもらわなくてはなりませんから2人で。 まずは、本体のみをとりつけて、電源を入れるのは自分でできましたが、棒が一本ついただけの自助具ではどうにもなりません。まず、川原さんに電話をして、マウスを使わないで操作ができる「イージーアクセス」の設定の仕方を教えてもらってOK!マウスを1ミリも動かすことができなくても、数字キーの10個だけでマウスの代わりをしてくれるなんて感激!本当にマックにして良かった。 キーボードも他のメーカーのものよりコンパクトなので、右腕しか動かない私にとっては最高。嬉しいことばかり、まずはめでたし、めでたし。 (何が、めでたし、めでたしだ。本当におめでたい奴。これからみっちりとしごいてやる。)・・・意地悪マックのつぶやき
2、3度友人のパソコンを触っただけ、やっと私のマックです。手紙が、今までのワープロより気持ちよく書けたら良いなという程度にしかパソコンを認知していなかった私も、やはり自分のマックが目の前にあるとワクワクしてきます。 CDをセットすると、説明ビデオで見たお姉さんが登場し、幼稚園児にも分かるようにパソコンというものを語ってくれます。(もう忘れていますが)おっしゃるとおりに基本操作を終え、ほめられちゃったりして「なーんだ、簡単、簡単」と、思っていられたのは、ほんの数回まで。 「パフォーマの手引き」にはいると、順番にすすめていかないと叱られるは、ちょっと間違うとチェックされるは、何か手違いがあると、ジャンという音とともに「警告」という手のひらマークが出てくる。 「一所懸命やってるんだから、いいじゃない。ちょっと待ってよ」 「そうそう、今は間違ったの!ちょっとぐらいいいじゃない」 マック相手に、言い訳しても始まらない。悲しい作業が続く。何度も何度もやり直しているうちに、おかげさまでマウスキーの使い方にはどんどん慣れて、スピードを上げることができた。 でもこいつは、ちょっとやそっとの間違いを許してくれるものではない。」ということがよーく分かった数週間でした。
とにかく仲良くなるには、理屈ではなくさわりまくる(?)しか良い方法はないと知り、時間を見つけては2時間ほど向き合うようになる。ちょっとやそっとの乱暴では壊れないというし、大切なものは保存しておけば強制終了したってかまわない。何となくパソコンの<お約束>のようなことも分かってくる。 分からなくなるとそこでやめて、説明を読む。その日はもう時間がないので、次の日マックに向かって昨日読んだ説明のとおりやってみる。「なーんだ」と思っていると、又小さな困難にぶつかる。今日はここまで・・・と諦めて又明日の宿題。 両手が使えないと本当に不便と思いながらも、これが出来たらきっとそのあとに、もっと素敵なことがあると何気なく信じて頑張ってしまう。 フリーダイヤルで、分からないことを教えてくれる、パフォーマホットライン と言うのもあるのですが、なかなか繋がらない。やっと繋がって「マウスを操作できないので、数字キーで操作しています」とまず前置きをすると、「えっ」と聞き返されてしばらく待たされて、やがて「そのことについては調べて、こちらから夕方連絡します」ですって。そっちが都合が良くても、こっちは今知りたいの!夕方じゃあもうベッドでひと休みしているし、マックに向かっているときに、そのままで教えてもらえるのがいいなと思ったのに。本当に!!
こうして駄文を「北国の頸損かわら版」に載せていただくようになって1年がたちました。パソコン歴が1年半。しみじみ思い返してみると、やはり「こんなはずじゃあなかったのに」という気持ちが大きいのです。 機能がたくさん付いたワープロくらいの気持ちでつきあおうと思っていたのに結構気持ちには気合いが入っていたし、早く仲良くなって「けっこう出来るのよ、私って」とアピールしたかった。 残念ながら、私の浅はかな期待を簡単にかなえてくれる魔法の箱ではなかった。 思い起こしてみると、重要なポイントポイントを人任せにしていた事に気付く。ちょっとトラブルを抱えているときや、設定の仕方が分からないときは、遊びに来た弟や、息子や、息子の友達や、とにかくそれで仕事をしていたり好きそうな人をとっつかまえては、頼み込んだり、触ってもらったりして何とか解決をするのだけれど、彼らのやり方は説明が足りない。私に対して。若い人たちは特に。目にも止まらぬ早さで(ちょっと大げさ)長ーい10本の指を、いわゆるブラインドタッチとやらで、シャカシャカやっちゃって「これで、OK」といわれたって・・・ね。 とりあえず、問題は解決したけれど、私にとって分からないことは、分からないまま。そして、マウスキーで入力しているとさんざん説明してあるのに、かれらが触ったあと、電源を入れるとメニューバーにコップマークがない。あれは私にとって、水戸黄門のの印篭みたいなもので「マウスキーで入力できますよ」「一本の棒でお好きなように、あなたの心のままですよ」という何よりも大切なものなのに。 ちょっと、愚痴っぽくなったね今回は・・・。まだ続きま〜す。

専属・専任・専門の介助者とともに
1997年・北海道頸髄損傷者連絡会レポート集より
きちんとした座位を取っていると右腕を動かす事が可能です。指先は動きませんが、自助具をつけると食事、歯磨き、新聞めくり、ワープロ、リモコン操作などができ、十字型のプラスティックのレバーを操作する事によって電動車椅子も自由自在に操れます。とはいっても自助具をつけたり外したり、物を使いやすくセッティングしてもらわなければいけない事を考えると、全てに介助が必要という事にもなります。 特に慣れた人に介助されたいと思うのは、ベッドと車椅子の間の乗り移り、眠る時の体勢、入浴、排泄。慣れた人というのは介助経験の豊富な人という意味ではなく、私の身体によく触れて、私の事をよくわかってくれている人という意味です。 受傷後に1年ほど入院していた脳神経外科へ問診と投薬のため4週に1度通院しています。2〜3ヶ月おきに血液検査、3〜4年おきにMRI検査を受けています。泌尿器科へは2ヶ月に1度、尿検査のために通院。年に1度、造影剤を注射してレントゲンを撮っています。腸の働きを良くするための薬の他に筋弛緩剤、昇圧剤等も服用していて量も結構多いです。健康管理は適当に規則正しく、適当に羽目を外して。 歌が好き(カラオケよりもギターやピアノの伴奏でみんなで歌うのが)で、今はアイヌの伝統的な楽器トンコリに魅せられていて、トンコリを手作りしアイヌ語で歌う加納沖さんに夢中。土でできたもの、木でできたもの、染めたり織ったりした布を見るのが好き。猫グッズを集めるのも楽しみのひとつ。 道道から少し入った住宅街にある自宅は木造2階建て。隣にある両親の家と廊下でつなげており、玄関前にスロープがあります。1階はフローリングで段差なし。台所、居間、寝室をカーテンや家具で仕切ったワンルーム風。エレベーターがないので私は2階には行かれません。表通りに出れば小さな用事は足せますが、大きな店舗や区役所、JRや地下鉄の駅までは電動車椅子で20分以上かかります。10分もかからない所に農試公園や発寒川があって、良い散歩コース。 息子が2人とも独立したので、現在は介助者のIさんと猫3匹が同居者。2年間の入院生活を終え退院する時、介助者については両親と月に2回ほど泊まりに来る義母以外私の頭になく、他人の手を借りる事など思いも及びませんでした。「何とかなるわ」と気楽に考えていた自宅での生活も、両親が目に見えて疲れてくるのが辛くなり、息子たちが難しい年頃にさしかかる時期でもあったので他人が頻繁に出入りするようになるのは気が重かったのですが、民間の家政婦協会から家事を手伝って下さる人を派遣してもらいました。3〜4人入れ替わってやっと1人の人に落ち着き、1日おきに来てもらう事になりました。さらに慢性寝不足の母を何とか解放してあげたくて、週5日泊まり込んで夜の私の介助をしてくれる人の派遣をやはり家政婦協会に依頼。こちらも何人も入れ替わって(断られて)、やっとお互いに納得できる人に出会い決定。大変経費のかかる贅択な体制ですが、私の精神的な苦痛(両親に大きな肉体的負担をかけている辛さ)が軽くなりました。 この状態は自宅へ戻って8ヶ月目くらいから約5年間続きました。このような体制でもなかなか細々とした事までは手が回らずにいたので、私が車椅子に座っている間、そばにいてくれる人がいたらという事で友人に話したら、その知り合いの知り合いの知り合いを紹介してくれてお互いに気が合って決定。このHさんには週4回、午前10時半から午後4時半まで、わずかな時給をお払いして様々な事をしてもらっています。外出の時は勿論一緒ですし、入浴も含めて身の回りの世話、自然に溜ってくる様々な物の整理整頓、部屋の模様替えや飾りつけ、手紙や書類の代筆等々。 そして現在介助者として同居してくれているIさんは、やはり家政婦協会から付き添いとして病院に派遣されていた10年以上の経験を持つベテランの方ですが、病院が基準看護になり仕事がなくなるのではという不安を抱えていたところに私と出会い、お互いに求めていた人に出会ったという感じで決まりました。Iさんには私の介助だけではなく、私の身体が不自由でなかったらしている事(主婦の仕事、母としての仕事、元気だけれども高齢の父母の手助け等々)まで何もかもしてもらっています。 こうしてHさんとIさんとの2人体制に入って3年半ほどになります。仕事としては重なる部分もあって明確に分けている訳ではないのですが、2人にはできるだけ長く手助けしてもらいたいと思っているので、お互いに負担にならないようにその場その場の状況で判断し、介助の仕事は2人一緒(入浴、掃除等大掛かりな仕事)だったり、単独だったりします。個人的に契約して介助者を得るという事は、私の場合に限れば自由の範囲を広げてくれてとても快適だけれど、もしIさんやHさんに突発的な事故が起きた場合にはその保証がないという不安もあります。介助者に払う経費はとても大きいのですが、交通車故の保険金をやりくりして今のところは何とかしています。補助制度として自動車事故対策センターから母に介助手当てが出ています。札幌市の全身性重度障害者介護費助成制度も利用してみようと思っています。息子たちに学費がかからなくなったので少し楽かと思うのですが。 私たちのような重度障害者は、なかなか公的なサービスは期待できません。24時間誰かの手を必要としますし、特に問題は夜にあります。そして私のように家族や友人の出入りや外出が多い状態では、時間や仕事内容に制限のある公的なヘルパー制度を利用するのはとてもきついものがあるのです。今は障害を持った人と何か一緒に楽しみたいとボランティア登録している人も多く、有料でケアサービスする所も多くなりました。地域や隣近所の人に声をかけたり、友達と話す度に誰か居ないか聞いてみたり、通信物に広告を出したりと焦らずにあちこちに種をまいておくと、きっとお互いに条件の合う人が見つかるのではないかと思います。 外出の際に利用する交通機関は100%民間のリフト付きタクシー。普通タクシーや乗用車では乗る方も乗せる方も負担が大きいのです。JRを利用したのは1度だけ。小樽まで、それも片道だけの利用でした。駅員さんたちの対応はとても親切なものでしたが、琴似駅にはエレベーターが設置されていないので電動車椅子はダメ、介助用車椅子でも混んでいる時はダメ、あらかじめ電話をしなければダメ、早目に行ってなければダメ・・・地下鉄も数回利用してみましたが、私の家から地下鉄琴似駅までは電動車椅子で40分近くもかかるのでそれだけで気が遠くなってしまうし、仮に駅まではタクシーを利用したとしても、目的の駅に着いてからの事を考えると用事を足す前にエネルギーを使い果たしてしまいます。 在宅生活を始めた次の年、近くにリフト付きタクシー会社ができ、それ以来そこ一筋で他の会社は利用した事がありません。予約は1週間前までにという事ですが、車両台数が多いので3日前ぐらいでも大丈夫。ただ火・木の正午頃から3時過ぎまでは市の入浴サービスに利用されているし、車椅子マラソンや障害者の大会のような催しの前後は忙しいので要注意。受け付けは午後7時までです。(6時以降は留守番電話の時もあり)24時間の利用が可能で、車椅子なら2台まで乗る事ができ、ストレッチャーもOKです。初乗り料金は740円、介助料が1回1500円かかります。(11枚綴り1万5000円の介助チケットあり)介助料が必要な事、金額についても日常的に利用したい私にとっては問題ありです。でも1人で出かける時や階段の多い不便な所へ出かける時などは、心おきなく手助けを頼めるので助かります。札幌市から配布されるタクシーチケットは48枚綴りで、1枚につき初乗り料金と1割分が引かれるようになっています。観光貸し切りは4時間3万円・8時間5万円。(1時間ほどのオーバーは許容の範囲) 私の旅の移動手段はリフト付きタクシーしかないので、相性のいい運転手さんを指名して、食事もお茶も宿泊も一緒。一緒に旅を楽しむのがポリシー。ただ車代が膨大になってしまうので、2泊3日の旅を年1回するのがやっと。これも介助者のIさんと出会ってから恒例になりました。 積丹に生協の保養施設『シーサイド余別』ができたおととしの夏の終わり、車椅子で利用できる部屋があるというので、海に沈む夕日を眺めながらウニに舌鼓を打つというイメージを大きくふくらませて行ったら何とそこは山の中。海が見えるどころか波の音や磯の香りさえしない静かな静かな林に囲まれて佇む『シーサイド余別』。余別という所がどこにあるのかも知らずに行った私も悪いのですが、誰?シーサイドって名前つけたのは!で、周りは自然のままの広々とした林に遊歩道。少しは雰囲気を楽しめるかなって思って聞いてみると、自然のままなので車椅子では一歩も入れないのだそうです。車椅子は自然を破壊するもののようです。 専属の介助者が2名もいるという事で経済的には大変ですが、信頼できる介助者がいるという事は私の生活に不可欠であり、何よりも「両親に負担をかけない」「息子たちを束縛したくない」という考えを貫くためには必要です。

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