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やまさんのレポート 投稿日 2007年12月3日
脊髄腫瘍の手術を受けました。41歳の男性です。
1発見日
平成18年10月末
2発見時の症状
なし。偶然見付かりました。 今考えると、尿の切れが悪かった。 L1の位置に腫瘍がありました。 なお、手術を受けた病院で見付かったわけではありません。
3症状発生時期
平成19年4月下旬
4手術日
平成19年7月上旬(手術を受けようか迷っていました。)
5手術を受けた病院
石川県金沢市 金沢大学病院 脊椎外科 医師 富田教授のグループ 電話 0762-65-2000
6金沢大学病院にて手術を受けた理由
脊髄腫瘍の手術の場合、背骨の外側(背中側)の骨をいくつか状況に応じて切除し脊髄をむき出しの状態にして腫瘍を神経ごと切り取ります。 問題は、切除した骨を元に戻すかどうかです。 戻さなかった場合、神経が骨でガードされていないため、背中に物がすれると直接神経に触れ、気を失うほどの痛みがおきる点にあります。 その点、金沢大学病院の場合、T-SAWという方式により、切除した骨をそのまま戻すことができるため、術後の生活に支障が出ることはありません。 (※神経切除による後遺症は別です。)
7術後の経過
平成19年12月3日現在、背骨も順調に付いてきており、順調です。 通常の生活ができています。 後遺症については、右下半身に痺れと神経に沿った痛みはありますが、両足で歩行でき大満足しています。
追記(2008年9月29日)
私は仕事にも戻れ、大自然に生かされている喜びを毎日感じながら生きています。 今では、この病気になってよかったと思えるようになり、毎朝、 病院に向かって手を合わせ「ありがとうございました」とお礼を言ってから出勤しています。

はいし~さんの投稿 投稿日 2007年4月24日
私が神経鞘腫と診断されたのは、去年の暮れなのですが、 症状が出たのは、約10年位前だと思われます。 右腕から右手に違和感、痺れを感じ、近くの整形外科を受診。 その当時の病名は、【頚椎椎間板症】(けいついついかんばんしょう)で、首の牽引や、パラフィンによる温熱療法@、理学療法を施されました。
当時、次男が誕生したばかりで、毎日通わなくては効果が出ない理学療法でしたので、 なかなか育児の合間に通う事が出来ず、行かなくなってしまいました。 そして去年、長女を妊娠し、妊娠7ヶ月位の時に、左側に同様の症状が出始めたのです。 でも妊娠中なので、出産する迄様子をみるしか方法がなく、出産後、4ヶ月位の時に、同じ病院に受診。 病名はまたもや【頚椎椎間板症】で、牽引、パラフィン療法をする事に…。週に1回行くのが精一杯で、効果は全く…。
そんな時、実母の知り合いの市立医療センターの整形外科のフ先生に、母が何気なく私の話をしたところ、 『MRIを撮ってみないと、簡単に病名なんて出ない』と言われたらしく、母と共に、去年の暮れに、MRIを撮りました。 私、閉所恐怖症なので、ほんと、このMRIが死ぬほど辛く、10分位でギブ・アップしてしまいました。(涙) でも、頑張ったおかげで、頭と首のちょうど境の所に、白い塊を発見する事が出来ました。 当初、先生は、【髄膜腫】(ずいまくしゅ)って言っていたのですが、ともかく、医療センターでは手術出来ない箇所に出来ているので、大学病院を紹介されました。
次の日、早速、MRIの画像を手に、友達に付き添ってもらい(年末だったので、旦那様は仕事を休む事が出来ず) 8ヶ月の娘と3人でK大学病院に行きました。 4時間待った末、診察。 『改善するのは手術しかないが、呼吸系統の神経があるところなので、最悪、自力で呼吸が出来なくなるかも知れない』xと衝撃的な事を言われ、目の前が真っ暗に…。 娘や、二人の息子の事等、家族の事もあるので、簡単に踏み切る覚悟が出来ず、家に帰り、早速家族会議。 長男が来年、高1になるので、来年は無理。その次の年は、次男が中1に。ただ、2年もこんな精神状態で過ごすなんて…。 という事で、長男が部活を引退する今年の夏休み辺りにしようという結果に…。
この時は、私、【髄膜腫】だと思っていて、いろいろネットで調べたりしてました。 K大学病院では、2ヵ月後にまた様子見させて下さいとの事で、2月20日に予約が入りました。 そして、先日、診察に行ってきました。 この時は、旦那と娘と3人で行きました。旦那は初めてみる画像に戸惑い、でも、しっかり先生の説明を聞いていました。 この時に私が【髄膜腫】と口に出したところ、先生に『えっ?髄膜腫って誰が言ったの?』と。 『医療センターの先生に言われた』と話したら『診断書にもそんな事書いてないよ。髄膜腫とは全然違うよ』って、言われました。 正直、(えっ!?)って感じだったんですが、正しい病名を聞かされました。それが、【神経鞘腫】でした。 ダンベル型ということで、画像上ですが、後ろ首の左側に丸く腫瘍が出来ていました。 大きさとかは分かりませんが、酷い人になると、首の前の方にまで腫瘍が出てきてしまうとの事。 そうなると前から手術しないとダメだけど、私の場合は、後ろ側から出来る(うつぶせ)範囲だそうです。
今の症状は、左腕~左手先の麻痺、しびれ、右手のしびれ、首の後ろの鈍痛(右側)、時々ふらつく、歩行(走り)が思う様にいかない、etcです。 先生には、今年の夏に手術をしたいとの希望を話しました。 先生は『70、80のおばあさんなら、様子を見ましょう…となるんだけど、なにせ、37歳という年齢を考えると、リスクは高く、危険を伴う手術だけど、ほおっておいたら、2~30年後、最悪、もしかしたら首から下が動かなくなったり、呼吸が急に止まってしまう可能性があるので、早めに手術した方がいい。手術するしか方法がないのだから』との話しでした。
いろいろ、今までの経過を私なりに文章にしました。分からないところとかもあるかも知れません。ごめんなさい。 今現在、1歳の娘の事や、二人の息子の事を思うと、手術は受けなければいけませんが、正直怖いです。 自力呼吸できなくなるかも…、首から下が動かなくなるかも…など、考えたら恐ろしくなります。でも、頑張るしかないんですよね。 頑張って不自由な左手を酷使し、キーボードを叩きました! 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いいたします。 それでは…

海さんの投稿 投稿日 2005年12月19日
こんにちは。
昨年(2005年12月)に頚椎腫瘍(良性)を手術で摘出し、全摘できず術後もいろいろとありましたが、手術からちょうど一年経過しました。術前は右手が使えたのに術後は全く感覚がなくなり、麻痺のため使用不可に。今は徐々に戻ってきてますが、仕事は休んでます。
胸から下が全部痺れてます。右腕は4ヶ月くらいまったく感覚がなかったです。人とぶつかってもわからず、椅子に座っても落ちる、テレビのチャンネルも感覚ないのでボタンが押せない、自分の手がどこにあるのかわからないので寝ているときも寝返りできない・・・など。全身の感覚異常と手が不自由ということで辛い状況ですが、外見はなんでもないので他人に話しても理解してもらえないです。最近では笑い話程度に話すことはあっても他人には理解できないものと思ってます。できることを探すよう心がけてますが・・・。
それでも30代前半でこのような状態となり、職場にも戻れない状態でなんとか救済措置をとっていただけるところがないか探しています。私の場合は過重労働と上司間の意見食い違いによる板ばさみなどストレスも大きな原因と思います。過度のストレスと長時間労働(システム管理者として働き、1ヶ月に残業100時間を超えたこともあり、完全徹夜したこともあります。一般的に過労死の恐れがあると言われる量です)による免疫力の低下から腫瘍ができたということで労働災害申請も提出したいのですが、どなたか労働災害申請を出されたかたはいらっしゃいませんか?
脳腫瘍で労働災害が認められたことはあるようですが、頚椎腫瘍では初のケースとなるのでしょうか。同じような労働環境で働く人がこのような悲劇に見舞われないように願ってます。
障害者認定についても担当医に相談したところ「手も足も動くので障害認定は受けられない」と言われました。感覚異常、肢体不自由で障害者認定を受けた方いらっしゃいますか?

トトロさんの投稿 投稿日 2005年7月11日
髄内腫瘍が上衣腫で、放射線治療経験者が居られたら、是非、情報ご意見お願いします。
今年5月に髄内腫瘍の細胞摂取しました。場所がC-1 と延髄の間という 大変危険な場所なので 長年躊躇の末です。MRI画像でもくっきり写る明瞭なのう胞なので、その箇所だけ腫瘍・水を抽出することができました。
結果としては 良性の上衣腫でした。 まだC-3、C-4にかけて帯状に腫瘍が残っています。主体はC-1,C-2です。最初は放射線治療で行く方針でしたが、開けて病理検査後は、危険が伴うが再手術が可能といわれました
個人的には手術はこりごりだし、後遺症のことを考えると頭の中が真っ白な状態です
そこで、お聞きしたいのは、良性の上衣腫で 併用して放射線治療を受けたかたいらっしゃいませんか?その効果や結果など教えていただきたいのです。病院名や 副作用の様子など 教えていただきたいのです。
個人的には 非常に危険な部位である小生の患部を今一度手術することよりも、放射線治療で 改善できればと考えています。
5月の手術後、(一部摘出で)、両手の温感のにぶり、脱力感、痺れ、両足に鉛のブーツを履いたような感覚が改善されるとおもったのですが、7月現在も どんどん酷くなっています。
皆さんはどのくらいの期間で改善を確認されたのでしょうか?(術後)
現在さらに困っているのは 腰の痛みです。これが、C-1 C-4にかけての上衣腫の影響もあるのかどうかわかりませんが、腰からお尻にかけての痛みが酷く
座ると左臀部に凹凸を感じます。
坐骨神経などは 部位が違うので、脊髄の専門医は見てくれません。 皆さんは髄内腫瘍と坐骨神経の関係で困っておられないでしょうか?そしてどのように対処されているでしょうか?
情報 心からお待ちしてます。

稲富さんのレポート 投稿日 2005年3月24日
初めまして、H9年にC-1髄内腫瘍摘出手術を受けた長崎在住の稲富と申します。私の経験談が幾らかでも参考になればと、寄稿いたしました。
発症~手術:
いつ発症したかなんてのは一切解らないが、症状がはっきり表れたのは、H8年秋頃からでした。1.つまずき易い2.腕が上がらない 等の症状から整形外科にて牽引・温熱療法を行っていました。H9春になっても一向に改善しないの
で、MRIを撮ることになって、ようやくC-1頚髄腫瘍が発見されました。
説明を受けた時のショックは大きく、会社を3日間休んで家族の事・会社の事などをあれこれ考えましたが、なるようにしかならないので、とにかく関係者に事実を伝えました。(当時は横浜に単身赴任で、子供達は小1と幼稚園、これから色々な事を教えてあげないといけないのにとの思うと泣けてきました)
最初に診断を受けた(告知してくれた)聖マリアンナ東横病院では手術の必要性は認めるも、ここでは出来ない(部位が部位だけに自信が無いとはっきり言ってくれました)とのことでしたので、本院を訪ねましたが、大大学病院らしく、診察室の教授の後ろには学生(インターン?)がずらりと勢ぞろいし、手術は可能だが腫瘍を全部取り除くには、リスクが大きいので、ある程度を取って放射線治療にするとの事、いまいち安心感を得られず、それっきり訪問せず。
そうこうしているうちに、長崎の整形外科医が脳外の友達と一緒にやれないか検討したい言っているとの情報が入り出張扱いで帰省(やさしい上司でした)し診察を受けるも断念、ならばと任せられる医師を一生懸命探してくれ、5人の名前を挙げてくれました。
残念ながら九州の方は居られず、結局神奈川の国立相模原病院の三井先生を訪ねました。やれますか?との問いに自信ありげに「やろう」との返事、誰に相談することもなく即決で手術日まで決めてしまいました。(ほっといても進行していく、手術すれば低下するものの進行は止まる、どっちが良いかなんて考えもし
ませんでした)
7月1日に入院し各種検査・貯血など準備を進め9日に手術、8:30に術場へ、即麻酔をかけられ回りの様子を観察する間もありませんでした、病室に戻ったのは21時でした。家族は勿論、兄姉も遠路立ち会ってくれましたが、長かったと軽い感想。
リハビリ~復職:
二週間程は発熱・頭痛に悩まされるも、氷袋の冷たさは一切感じず痛覚も低下(針を刺されても手を握られても感じず)歩行訓練は順調に進み1ヶ月で歩行器まで進む、一方、手の方は左はそこそこ動くようになったが、右手は思うように行かず先生から「右手は諦め左で字を書く練習をするか?」との一言、なんとかならぬかとの一念で、作業療法の指導者の居る北里大学へタクシー通院も並行。夏休み中でしたので、子供達も寄宿先から毎日訪院し車椅子を押したり、リハビリ室でのトレーニングを見守ったりしてくれました。
二ヵ月後なんとか自立歩行が可能になり、長崎に帰宅、80歳になるお袋が情けない顔で出迎えてくれました。
そこから更に二ヶ月のリハビリ入院、杖があれば階段昇降も可能となり、年明けから長崎にて復職。
退院と同時に障害者申請し一種三級に認定され、年2回の相模原行きを5年間続けました、今は長崎でフォローして貰っていますが、よくこれで歩けるなって感心されています。相模原の先生曰く鯵のひらき、私の頚髄は閉じられていません。
いまだにこの結果がベストだったかどうかは解りませんが、充実した日々を過ごしていることは間違いありません。
その他:
障害厚生年金を受給しています、会社のOBの方が申請してみろとアドバイスしてくれました、3年が経っていたので、書類を揃えるのが大変でしたが、2ヶ月でパスし、更に遡って支給されたのは嬉しかった。

リバティさんのレポート 投稿日 2005年1月15日
33歳の男性です。22歳の頃、大学病院で脊髄腫瘍と診断されました。そのときは、スムーズに歩けてたし、初期だったと思います。しかし、進行するにつれ、歩行に異常が目立ち始めました。
ついに27歳の夏に「手術が必要だ」と言われ、手術を受けました。第三頚髄の硬膜内外ですが、硬膜内それも一部しか取れませんでした。術後はしばらく寝たきりで泣きたくなるほど苦しかったです。しかし、動けるようになってリハビリをしているうちに術前よりかなり歩けるようになりました。少しびっこを引いているがここまで治ればいい方じゃないかと見ました。
退院してからも遊びに行ったり車に乗ったり仕事に復帰する事ができました。階段は手すりが要るがスムーズに通過できました。杖なして500メートルくらい歩けました。
しかし、術後から1年半位してだんだん歩くにくくなり、さらに半年後、しゃがむと立ち上がれなくなりました。歩ける距離もだんだん短くなり、バランスも悪くなりました。ハムストリングと内転筋に痙性があったため、それが強まったと考えられます。膝が伸びにくくなったり曲げると内転に入ってしまうのです。つまり、膝や外転筋が低下したのです。だんだん転ぶ回数も増えてきました。それで、」杖を必要としてきました。
そしてついに、平成13年6月に二度目の手術を受けました。二度目は同じ場所で硬膜内は全て摘出しました。入院中も退院後もリハビリを必要とされました。前回ほどの回復はなく、杖が手放せません。しかし、しばらく使っていた車椅子もめったに必要がなくなりました。担当医も他の患者さんも「上手に歩いている」と言ってくれました。
前回の術後より、筋力や体力がかなり落ちているものと考えられます。また、痙性が強まっているものと見られます。歩く距離も500メートルどころか50メートルが精一杯です。休みながら200メートル歩くと疲れて動けないくらいです。杖がないとバランス良く歩けず、危険です。
仕事は工場閉鎖で辞め、再就職先も見つからず、授産施設に通所しています。それでも車の運転は可能(AT限定)なのでそれも健常者並みに。旅行は、個人では無理で障害者ツアーで行けるくらいでしょう。休みには車でぢょく遊びに行きます。13年前から始めたビデオ撮影も続けてますが前回の術後・健常者の頃ほど動けないのが残念です。前回の術後は、体幹機能障害2種5級だったが2回目の術後は同障害で1種2級です
現在は、漢方薬を服用したり整骨院に通院しています。症状の重さから言うと完治は無理だが、前回の術後まで回復できたらと考えてます。杖無しで安全に歩けたらと思っています。現在は、不幸中の幸いで良性腫瘍だけでそれも全て手術で摘出可です。漢方薬は即効性が無いし、将来的に悪性に変わったり、手術で摘出できなかったりなどで、歩けなくなるとか、悪化も考えられるので油断できませんが。追突などされると脊髄損傷になりやすく場所によっては手が使えない歩けないなどのおそれもある。一度追突された事があったが、こちらは普通車相手は軽トラだったので頚椎捻挫で済んだが。

Oさんのレポート
私も頚髄腫瘍の手術を受けました。 2004年11月15日
私は、2000年の10月に頚髄腫瘍の手術を受けました。
場所は、C1、C2レベルの硬膜内外腫瘍と言うやつで、手術前のMRIを見たとき、何処までが腫瘍で、どこに頚髄があるのかわからないほど、大きくなってました。
手術後に摘出された腫瘍をみた私の姉によると、ピンポンだまぐらいの大きさが有った様です。
手術は、京都府立医大の名医の先生にして頂きましたが、後数ヶ月遅れたら、体が動かなくなってたと言われました。手術は、「XXX開放術」とかいう頚椎上部の鶏冠状の骨を削って腫瘍を摘出する方法でした。手術後4年経過し、腫瘍は全摘出できたのは非常に幸運でした。今は、6ヶ月に一度経過観察を受けに病院に行っています。
後頭分右側の皮膚感覚が鈍いとか、痙性(けいせい)が左手中心にでたりすることがありますが、それでも、良い先生にめぐり合い、自分の足で立って、呼吸をし、物を食べ、生理現象が普通に来てきることを本当に感謝しています。
首関連の病気(特に頚椎関連)で御悩みの方は、是非、一度無理をしてでも、京都府立医大で診てもらう事をお勧めします。
2004年11月28日追記
ちょっと術後のお話をさせてください。退院後は1ヶ月間はカラーの装着が必要でした。今も半年に1回は経過観察で京都府立医大に行っています。今年の春まではMRIを取って術後をみて頂いてました。
前のメールでも行ってたのですが、一部腫瘍が後頭部の知覚神経を巻き込んでいたので、切っているため、特に温度に対する感覚が鈍くなっています。しかし、輸血もなく抗生物質も2日のみだったのは良かったです。
ただ、どうしても長時間机に座ったり、パソコンいじったりすると疲れるので、首の体操をするのと同時に、首や背筋、腹筋を鍛える運動をするように言われています。
もし参考になるならと思い投稿しました。
www.jsrs.jp
これは、日本脊椎脊髄病学会のホームページですが、ここに全国指導医リストがあります。専門に脊椎、脊髄の疾病を診て頂ける先生方のリストです。関連の病気で御悩みで、良い先生を探しておられる方はここを参考にしてみては如何でしょうか?すでにご存知のようでしたら、すいません。

FILLYさんのレポート
頚髄腫瘍の手術体験(2003) 2004年3月12日
はじめに
はじめまして、2003年の春3月に頚髄腫瘍(C1、C2)硬膜内髄外腫瘍の摘出手術を受けて来ました神奈川県在住で30代後半のFILLYと申します。発見時には3cm以上のダンベル腫瘍で脊髄の太さも半分程に細くなっている状態でした。この病気については「脊髄腫瘍、つまり脊髄の中や周辺に腫瘍ができて脊髄の機能を低下、廃絶。 腫瘍そのものはほとんどが良性ですが、診断や治療が遅れると直すことはできません。年間の発症率は人口十万人に一人余り、脳腫瘍の約十分の一程度の頻度ですが頚髄腫瘍だとさらにまれです。あなたの場合は、厄介な事に頚髄の一番上の部分に出来ています。」と説明を受けました・・・・。
確かに自身の回りには同じ病気になった直接の知人は誰も居ません。私自身が宣告(?)を受けてから色々調べまわりましたが、家庭の医学での記載はほんの少しだけ、ネット上でも殆ど情報無しで困り果てる経験をしました。最初は「何が厄介なのか?」も理解出来ず、「手術は嫌だから薬で何とかして!」と先生にゴネたりもしていました。「何で自分がそんな確立の病気に?!?!」と今でも信じらない思いでいます。 たまたま直接の知り合いでは有りませんでしたが、友人のコネクションでドクター達が色々アドバイスを下さり良い方向に進めたと思います。
術後一年の現在も今抱えている頭痛、右後頭部の感覚異常、右上半身の痺れ痛みとだるさ、手先の細かい作業が辛いなどの不自由さが今後どこまで回復するのか? また完全摘出には及ばなかったので今後再発も考えなければならないのか? などよく分からない状態でいます。
探して探して探してやっとこのBBSにたどり着き経験者の方の生の声を聞くことが出来ました。もっと経験者の方々のお話が伺えたら、また僭越ながら私の経験が誰かの何かの役に立つのではと思いレポートさせて頂きます。
告知と報告(2003年1月28日)
病名確定の診断を受けた日に家族と友人へこのようなメールを送りました
「先日21日のMRI撮影の結果『頚髄腫瘍』が見つかりました。良性か悪性かはまだ分からないけれど見る限り他への転移はなさそうとのことです。第一頚椎と第二頚椎の中間辺りの右手側(外側からだと、ちょうど右耳の後ろ側の後頭部部分)の骨の内側外側にまたがる柔らかい腫瘍がありそれが脊髄(神経の束)と血管を圧迫している。もともと右手側胸郭出口で圧迫されているのにさらにその上流でも圧迫が生じているので症状がひどくなっているとの事。また親指側のしびれや転びやすくなったり、すぐへろへろになっちゃっているのはこの腫瘍が原因と思われるそうです。
それで、急ぎの問題は胸郭出口症候群よりも頚髄腫瘍の方で場所的に呼吸中枢を司る神経がある場所なので腫瘍が大きくなってしまったり、何かの衝撃で問題の頚椎にショックが加わるとそのまま呼吸が止まってしまう可能性が有るので大学病院で専門医と相談の上なるべく早めに手術するよう指示がありました。
今のかかりつけクリニックの整形外科担当医が聖マリアンナ医科大病院からの派遣先生であること、またクリニックの医院長先生本人は内科医だけれども慶応大学病院出身なのでこの2つの病院ならばすぐにでも取り次いでくれるそうです。あるいはこちら(脊髄)の方面に明るい良い病院誰か知ってないだろうか?
来週紹介状を書いてもらってその足で専門医に行こうと思います。」
何だか調子が悪いなぁ~病名確定まで(1998年夏~2003年1月)
(心配してメールで色々アドバイスを下さったY先生への報告としてまとめたメールです)
2003/01/31 15:06 色々とご心配頂き有難うございます。今までの処置経過と今後の予定について報告します。 住まい: 神奈川県 一番近い大学病院は聖マリアンナになります。 今後の予定: 来週2/4に現在のかかりつけの先生に面。その際 MRIを返していただき、聖マリアンナでの過去の実績や手術の見通し等を相談して来ていただいた結果を伺う。その上で聖マリアンナへ入院するか、他の病院へ紹介状を持って行くかを相談予定。現在考えているのは A)紹介状をもって必要な施設の整った大学病院で診察。慶応戸山先生、または聖マリアンナであれば直ぐに予約を取ってくれるそうです。 B)東京のTクリニックのT先生訪問(*脳神経外科医で義兄夫婦の友人なので相談してみる事になりました)再度頭部、腹部を含めMRI、レントゲン、エコーで転移の有無を確認、現在 町のドクターから大学病院・専門病院へのドクター間でのコーディネイトをしているそうなのでどこに掛かるべきかを相談予定。
私自身の病歴: 1991年 頸部リンパ腫瘍(?)の疑いで緊急入院:結果良性、原因不明 *この時全身のレントゲンとCTを撮ったので、この時点では頚髄腫瘍は無かったと思います。生検も受けましたが原因不明でした。 2002年春 大腸ポリープ:良性 今まで悪性腫瘍の経験はありません。 父・母方とも家系としてガン患者は今のところおりません。
今回MRIを受けたいきさつ: 現在のかかりつけ(聖マリアンナの整形外科の先生が来ているクリニック)に胸郭出口症候群で約1年前からかかっており(それまで色々と他の病院もまわ色々な診断を受けてきました)、1/14の定期診察の際に「この一年ストレッチをして薬を飲んできたけれども背中、腕、手のしびれ痛みがなかなか良く成ってこない、右肩の上にボーリングの玉が乗っかっているように重だるい。日によっては凄く辛い!夜も痛みで目がさめる、11日より寝違えの様な症状で首が廻らないし首を動かすと、右の首から背中がビィーンと痛い!!! ひょっとして悪化してきているのではないでしょうか? 左のつま先を引っ掛けて先日駅の階段で転びました、ここ数年でよく転ぶのだけれども年齢的にはまだ早いんじゃなか?」等と訴えたところ、首のレントゲン(異常なし)→ 反射テスト(異常有り)/胸郭出口テスト(両腕とも異常有り、特に右側の方がひどい)→ 念の為MRI となりました。足の痺れは今のところ感じません。呼吸も苦しいとの自覚はなし。
今までの経過: どこからが腫瘍の関係になるのか分かりませんがもともとは胸郭出口症候群の診断で始まりました。ここ数年で内科、整形外科、カイロ、整体、接骨院、会社の産業医と色々な所へ通いました。
以下詳細経緯です: 1998年春頃 右手のピリピリ感と頭痛、右指の腫れと筋肉痛、全身のだるさ、首・肩・背中に掛けての凝りが酷い:会社近所の総合病院の内科&整形外科受診:内科では異常なし、整形で首、胸のレントゲンとCT胸郭出口の診断、鎖骨の間が狭い(右のみ)と言われる。指は関節炎→ 鎮痛剤と鎖骨を削る手術の提案→薬のみ服用、手術は断わる。
1999年春~2000年春 (会社の引越しでその後は下記の病院へ転院しました) 上記の症状が年々酷くなり、頭痛で吐き気もするようになる。相変わらず薬で対処。
2000年6月~2002年春 肩こり、頭痛、右腕が重だるい、首をまわすと引っかかる感じ、じっと座っているのが辛い:銀座のカイロプラックテックへ。頸肩腕症候群、骨盤のゆがみ、第4頚椎があらぬ方を向いたまま癒着しているとの診断→ 首の矯正、肩、背骨の矯正&マッサージ この首の矯正の際、自分の頭の中で「ゴキュッ」と音がして一瞬呼吸がとまる感じ、悲鳴さえ出せず。3分程度口もきけずハフハフと浅い呼吸をするのが精一杯。首から下が動かなくなり、自分の手足が何処にあるかも分からない感覚で立ち上がることも出来ず。15分ほどで普通に呼吸して喋れる様にはなり手足の感覚も戻ったが今度は後頭部から頭全体へズキーンズキーンと脈打つような頭痛が始まる。さらに30分程寝かされていて回復。首はだいぶ楽にまわせるようにになった感じ。 *この時のカイロの先生の説明では「良くある事なので心配ない」との事でしたが、今考えるとこの頃には既に腫瘍は育ちつつあったわけですよね? 後日整形、脳外の先生にかかるようになってからこの話をしたら絶句して、「下手したらその場で四肢麻痺や呼吸困難になって死んでいてもおかしくない!よく何とも無かったね。」と・・・・・今更ながら怖いです。
2001年6月頃~12月 右肩~指までの症状が悪化、ペンを握る、箸を持つのが辛い、ボタンをかけるのにも異様に時間がかかる、財布の中から小銭が上手く摘み出せない:日本橋の整形外科受診:首のレントゲン、握力の計測。OAストレス、頸肩腕症候群、腱鞘炎、関節炎の診断 → レーザー、マイクロ波、マッサージと抗炎剤、鎮痛剤
完全には治らないのでより酷くならないようマッサージ等を続けて下さい。と言われました。以後半年程通うが症状がよくならない、薬の出し間違いがあまりに酷いので現在のクリニックへ転院。
2002年~ 肩こり、右腕の重もだるさ、右肩甲骨の辺りがギュウッと引絞られるような痛み、お箸がうまく使えない、ボタンを掛けるのに人の3倍位時間が掛かる、右指先の違和感(厚手の手袋をはめているような感じ)、右ひじに痛み、右手の小指側2本が冷たくなる、さらにつまずきやすくなった:上記の銀座のカイロにて握力、反射などを調べる→首は治っているので胸郭出口のせいだろうとの診断。反射が過敏なのは原因は分からないが体質的に過敏なのでしょうとのこと。握力は右が左の半分程度に落ちていた。
2002年2月~ 現在のかかりつけクリニックの整形外科を受診。(聖マリアンナの整形外科の先生が当番医で診察):首、胸のレントゲンと腕を上げたり後ろに引いたりしながら脈を診る検査、左右の指先で紙をはさみそれを先生が引っ張るテスト、指と腕の内・外側をなでて感覚を調べるテスト→胸郭出口の診断(しかも両側とも!!!)→ ビタミンB12の錠剤 鎮痛剤、シップ。いずれMRIと筋電を調べましょうとのことで、しばらくは肩こり体操と薬で様子見。薬はその後ロキソニン、ミオナール、ノイロトロピンが追加。
2002年秋~ 痛みがひどくトリガーポイント、モーラステープが追加となる。注射を打ってもらってから約一日間は少し楽になる。
2003年 1/11 朝起きたら首の寝違えの様で首が動かない、動かすと右の首から背中がビーンと痛い 14 定期通院の際、首を寝違えた旨報告。前回レントゲンから約一年経つので首の状態を確認との事で撮影:異常なし。反射テストで異常が出る(深部腱反射の亢進バビンスキー反射の出現)胸郭の痛みもあまり良くなっていないので別の病気かもしれない、MRIも念の為に撮ろうと言うことに。 21 A整形外科でMRI撮影、診察は無し。(大学病院だと2ヶ月待ちとの事なので提携病院へ予約を取ってくれました) 28 先生にMRI提出「C1、C2の間部分に頚髄腫瘍有り、SOFT TISSU MASS,一部境界不明瞭:大学病院などで専門医にかかり手術したほうが良い、ここのクリニックでは検査機械も揃っていないし、手術も出来ない、このまま放っておいて腫瘍が大きくなってしまうと呼吸が止まってしまう可能性が有る、緊急ではないと思うので家族の方とも相談して来週までにかかりたい希望の病院があれば決めて来て下さい、自分も大学病院に帰って専門医にMRIと今までの経過を説明し相談してみますので来週また今後の事を相談しましょう。」との指示を受ける。この日からレンドルミンが処方されるようになりました。
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その他突発で通ったところ
鍼 赤坂の整骨院(2001年秋~2002年12月) *ギックリ腰の治療でもその都度通院 握力計、脈のテスト(万歳)、触診(?) 胸郭出口症候群、ストレートネックによる首・肩・背中のコリと腱鞘炎、慢性疲労
→ 首の矯正、首、背中、腕への電気針、マッサージ
日本橋の整骨院(2002年9月頃~11月頃) 触診(?) 骨格のゆがみ、筋肉疲労による極度の肩こり → 首、肩、腕の骨格矯正、マイクロ波、牽引、マッサージ
と言ったところです。 結構あっちこっち行きました。どこの病院でも何だか言う事が違うので困った・・・といった所で長いことジプシー状態でした。長くなってしまい申し訳ないです。
告知~情報収集~入院先決定まで(2003年1/28~2/10)
1月末に報告メールを送った友人経由で色々なドクターからアドバイスを頂きました。結構な量なのでこの詳細は付録としてレポートの最終部分に記載しておきますので宜しかったら見て下さい。
2/4 かかりつけ先生と面談し聖マリアンナの脊髄・脊椎の専門医と相談した結果の報告を伺う:3年程前に似た状態の患者のオペ経験有り。手術は成功して患者は社会復帰している。もしも術中に万が一の事があっても、ERが有るので直ぐ対応できる。 * 入院期間:約3ヶ月 * 手術方法と時間:全摘を目標に20時間程度になる見込み。 * 頭蓋骨を一部切り取って更に首の骨を後ろから一度はずして腫瘍摘出。 * 社会復帰まで:リハビリなど順調に行って約半年後位。 * 手術の危険性:1)首から下の麻痺、人工呼吸器の装着となる可能性有り。2)一部に麻痺が残る、場合によっては車椅子使用になるかも。3)人工呼吸器を使用しての生活となるかも。
2/6 東京都内の「Tクリニック」でMRI、CT、エコーの検査を受け、先生とどの病院のどの診察科に行くべきかを相談。 診 断:第一、第二頸随部の硬膜内髄外腫瘍。頭部・内臓部ともに転移は無し。恐らく良性の腫瘍と思われるが、摘出し病理検査しないと最終的には分からない。 * 腫瘍の大きさからして中期での発見と思われる。本来なら四肢麻痺がすでに出ている大きさだが、うまい具合にそれらの神経がそれほど圧迫されていない状態、自力で歩いて来た事にびっくりした。 * 今までの経過を見る限りではとてもゆっくり育っているが、このまま大きくなれば呼吸中枢を圧迫する、またじきに四肢に麻痺が出てくるので摘出手術が絶対に必要。 * 現状で外部から問題箇所に衝撃が加わればそのまま呼吸中枢が圧迫され呼吸が止まってしまう事もあるので、そのような状況を避けて入院まで生活、つまり外出禁止。(転んだりしないでねー!と注意を受けた) * 入院した後は担当医師のオペ日程調整により近日中に計画手術になると思われる、それまでに様態が急に悪化すれば緊急手術となる可能性もある。 * 部位的に脳神経外科と脊髄・脊椎の整形外科の両領域の境界なので両方の専門医の元での手術がベター。 * 本日の結果を基に今晩にでも逓信病院の脳外に先輩Dr.が勤務しているので、逓信が得意とする手術か? またもし得意分野でないとしたらどこへ行くのがベストかを個人的に電話相談してみます。とのことでした。
2/10 Tクリニックで書類と画像一式を受け取り、逓信病院 脳神経外科へ。獨協医大病院から脊髄の専門医が2名交代制で来ているとのことなので、その日に予約を取り直してもらう。Tクリニックで撮った画像資料、診察結果など一式を提出。
2/18 逓信病院 脳神経外科へ 画像診断&診察 * 手術の見通し:頭蓋骨は切り取らずに首の後ろの骨をはずしマイクロサージェリーを行う。 * 手術の時間が長ければ長いほど危険度は増すので、今回は良性の腫瘍の可能性が高いので頚椎の内側で脊髄を圧迫している部分のみを摘出予定、可能性としては低いが、もしも残した部分が今後また大きくなってきて頚動脈を巻き込むようであれば時期を見て再手術を考える。また術中の病理検査で悪性と判明したら危険を冒さない範囲内で取れる限り取り次の治療へ移る。 * 手術時間:6~7時間の予定。術後自己呼吸が出来ない、或いは意識が戻らない場合はICUへ、問題なければ回復室で3日位、その後一般病室へ。 * 入院期間:3週間程度 順調であれば術後5日目から歩行練習を始め、抜糸後は退院可。その後は1ヶ月ほど自宅療養し1ヵ月後に定期検診。 * 手術の危険性:歩いて入院してきた患者さんはみんな自力歩行で退院して行きました。髄内腫瘍も含め年間20件前後は手術しているので、イチかバチかというような極度に難しいケースでは無いですが、だからと言って絶対安全、大丈夫と言う事も出来ません。
と言う説明を受け、なんだかあまりにも力強いお言葉と丁寧な説明に至極納得し、相性も良さそうだし・・・・・とお願いする事に決めました。相談の結果、逓信病院での入院手術も可能だけれど、ホームグラウンドの獨協での処置のほうが看護婦さん手術スタッフともに慣れている、また術後の変化状態にも執刀医が直ぐに対応出来るとの説明で結局栃木行きと成り、1ヶ月後の手術予定に入れてもらい後は入院日程の調整をしてもらうことに成りました。
自宅安静~入院
先生からの入院日決定の連絡を待ちながら家にこもって過ごしました。この間にいきなり会社に行けなくなってしまったので、電話や郵便で引き継ぎと事務手続きを処理。ただ、病名が分かってからは今まで飲んでいた鎮痛剤を含む薬類の服用を止めていたので痛いし辛いし眠れないしで家でジーッとしているのはとても辛かったです。いっそ早く手術を済ませて楽に成りたいとは思うものの・・・・その後は果たして又この家へ戻って来る事が出来るのか? 戻って来れたとしても今までと同じ生活が出来るのか? と一抹の不安も有り、身辺整理に取りかかってみたり、それさえしんどくて途中で放棄したり・・・、でも私は絶対大丈夫!と自身を鼓舞したり、もらっている睡眠薬の残数を数えてみたりと色々な事を考えました。
入院~手術~退院 (2003年3月上旬~下旬)
入院初日 胸部、頸部のレントゲン、造影剤を入れてのMRI、心電図、採血 病棟担当の先生が改めて感覚、反射、筋力などを診察、足の感覚麻痺もかなり進んでいたようです。 2日目 AM:外出許可をもらって病院周辺を探索、周囲には何にも無い・・・PM: 術後使う抗生物質のアレルギーテスト、握力測定 3日目 お見舞いに来てくれた友人と(内緒で)外出してガストでお食事 4日目 何も無し 5日目 麻酔科の先生の診察と説明:腕と手の甲などの血管を見て点滴入れる場所の目安確認、人工呼吸器を入れる際の管の太さの確認(口をアーンと開けて大きさをざっと見た)、声帯が多少傷ついて声が出にくくなるかも。機器があたって歯が多少欠けたりするかも・・・などの説明 夕方から執刀医の先生から術前説明:本人と家族を集めての手術の手順説明、起こりうる危険の可能性説明と質疑応答。(輸血の危険性と必要性、肝炎(10万分の一)・エイズ(400万分の一)の感染可能性の説明と暴れた場合は抑制!の同意など)後頭部に繋がる知覚神経の根元に出来ている腫瘍の為、その神経自体切ってしまうとの説明。首の骨についてはC1、C2、だけでなく、C3までいじる可能性有り、切り取ってしまう部分には1年位で自分の骨と融合する人工骨を入れるとのこと(以前は本人の腸骨-腰の骨-を使っていたらしいです)
6日目 AM:脳血管造影検査。太ももの付け根から動脈に管を入れて造影剤注入、それをレントゲン撮影して血管の状態(位置とか血流とか病変)を調べる。検査後は6時間のベッド上安静、太ももの砂嚢圧迫2時間 もちろん検査前はお食事抜き
夜:睡眠薬と下剤を頂戴しましたがやっぱりスヤスヤとは眠れない~
7日目 手術当日 朝6:30 シャワー 7:30 院内の床屋さんで剃髪 後頭部と襟足のみで上の髪は残してくれました 8:00 部屋に戻って手術着とT字帯に着替え、左手に氏名と血液型を自分で記入
準備が出来た頃看護婦さんのお迎え、車椅子に乗っていざ手術室へ移動!!この時「ちょっと爪が伸びているので切っておきましょう!」と爪切りを渡され、移動中にパッチンパッチンと切っていました、なので、あんまりドキドキしている暇が有りませんでした。 8:30頃 手術室入り口到着 車椅子からストレッチャーに乗り換え、手術室の看護婦さんに引き渡されて名前確認。そのまま天井を見ながらあちこち通過して手術室へ、入院担当の先生、先日の麻酔科の先生が揃っていて、よろしくお願いしますのご挨拶。口にマスクをつけられ、くすぐったいのでそれを気に入る位置に直している間に「ではこれから麻酔の薬を少しずつ入れていきます、この後少しチクッとしますよ。」「はーい!」と返事をしたところまでしか覚えていません。この後に手順として「数字のカウント」とか有ったのか無かったのか不明ですが、私はそこまで持たなかったようです。
手術自体は7時間程かかったそうですが・・・本人はその間の記憶一切ありません。名前を呼ばれて目を開けると「終わりましたよー」と一言。もう夕方になっているらしい。既にこの時には酸素マスク、心電図モニター、酸素量の計測器、点滴、導尿管を装着済みで回復室のベッド上でした。家族も集まってきていました。 切開は後頭部からうなじにかけて縦に約15cmほど。縫った上からガーゼを重ねてテープで止めてありました。あと何故か両こめかみにカサブタが出来ていました。頭(傷口もこめかみも)がズキズキ痛く、痛み止めを所望するも術後数時間は飲んじゃダメとのこと・・・しばらくして粉薬を貰い飲むがあまりの苦さに吐き出した。それでも痛いと訴えているとしばらくして鎮痛薬を注射してくれました。やがて眠りに落ち、それから2日間は回復室で昼夜もよく分からないまま過ごしました(この間薬のせいでしょうか、ロケットの発射台に居たりする楽しい不思議な夢や幻覚を色々と見ました)。3日目までは起き上がると髄液漏れを起こす危険があるとの事で頭をベッドから離さずにゴロゴロ。寝返りは可との事なので一つの姿勢のままだと辛かったので、あっち向いたりこっち向いたりを繰り返しました。この間2度ほど熱を出し両脇の下に氷を抱かされました。痛いし、寒いし、寝返り打てないし、「ご飯もちゃんと食べないと点滴をはずせません!」と宣言されてそれも辛かったです。
8日目 回復室で寝たきり ストレッチャーに移され検査室へ、レントゲンとCTと採血 移動の際の振動で頭が痛くて涙が出ました 発熱有り
9日目 6人部屋に移動し寝たきり 昨日から引き続き発熱中 寝たままMRI撮影 昨日より移動時の振動による痛みは減った気がする 夜には点滴から解放
10日目 ベッド傾斜20度で寝たきり→貧血を起こしベッドを平らに戻す
11日目 ベッド傾斜90度で寝たきりというか座ったきり 結構順調 傾斜角度をちょくちょく変えて楽な姿勢を探していました
12日目 導尿のカテーテルから解放、トイレまで自力歩行の許可
鏡を見てビックリ:顔の右半分がぷっくり腫れ、右首の付け根も腫れて盛り上がっている。髪の毛も手術時の消毒用イソジンで固められていてガビガビ
13日目 ナースステーションから一番離れた6人部屋へ引越し ヨロヨロと人につかまりながらも歩いて移動し、お見舞いに来てくれた人々と食堂へ行ってお茶 → 後ほど貧血を起こし熱も出す 傷口の消毒
14日目 貧血 半分抜糸
15日目 完全抜糸、シャワー許可をもらい早速シャンプー トイレに閉じ込められる事件発生:3つ並んだトイレの真ん中個室に居たら、奥のトイレが溢れたらしいどんどん足元に隣から水が流れてくる。普段ならサクサクと逃げ出せるが何せ体が思うように動かない・・・どうにか便座の上に体育座りで手足を収納し洪水を避け救助を待つ・・・・・20分後位に救出される
16日目 病棟内なら自由に歩いて良し!との許可 早速売店へ
17日目 院内自由歩行の許可 もちろん売店ほかへ散歩しまくる 顔の腫れは少しひいてきてはいるけれどまだ変、浮腫んで顔はゆがんだまま
18日目 25に退院の許可がおりる 入院仲間と院内散歩
19日目 病院敷地内の庭や駐車場、学校などを2時間程フラフラと散歩、途中休憩数回 結構疲れる
20日目 退院
幸い腫瘍の正体は手術前の見立ての通り、感覚神経の根元に出来た神経鞘腫 (Schwannoma)という良性のものでした。99%は摘出出来たそうですが、一部硬膜にびっちりと張り付いていたとの事で100%完璧な摘出は出来なかったそうです、しかし当初予定では脊髄を圧迫している内側の部分だけの摘出を予定していたので外側も含めほぼ全部取って頂いた訳なのでこれは大成功なのでしょう。取りきれなかった部分は硬膜を破くわけにはいかないので、レーザーで焼いてあるそうです。
術中の出血もそれほど無く輸血もしなかったし、C3も開けずに済みました。 頭痛は人によって直ぐに無くなる人もいるし1年半位かかる場合もあるとのことでした。 また今回の手術による後遺症などの出来うる限りの回復には2、3年かかる(脊髄の細胞が一日あたり細い針の先の先の先っぽ位しか再生しないとの説明がありました)そうなので、胸郭出口症候群による障害がどの程度残っているかはその頃にならないと分からないそうです。 術前に「どうせ全身麻酔をやるなら両方一気に手術を!」と希望を申し出たら先生にはあきれられました。退院後はしばらく自宅で療養、4月の下旬に東京逓信病院で診察を受けて下さいとの指示。 鎮痛薬については通常の処方薬局では在庫してない成分もあるとの事で「お薬レシピ」を持たされ現在も自宅最寄の処方薬局に私の分だけですが切れないように用意して貰っています。
* 頚椎症の手術を受けた人は3日目には歩いていました。 * フィラデルフィアカラー(術後首につけるギブスのような物)は私の場合着けませんでした。傷は後頭部だからカバー出来ないし、はめていると肩が凝るし、動き辛いだろうし・・・との事で免除に成りました。もっと下の部位だと必須らしいです。 * 輸血用採血:私はこれもしませんでした。結局輸血も無しで手術出来ました。 * 手術後の食事:寝たままだと食べ辛いだろうとの先生の配慮でおむすびを出してくれました。けれども口を開ける事も飲み込む事も辛かったので普通食に戻してもらいましたが・・・・その後のメニューで出て来たのは「カレーうどん」「おでん」で後頭部をベッドから離さずにこれらを食べるのはかえって辛かったです。クレーンゲームの要領で食べていましたけれど。
自宅療養 2003年3月末~4月末
手術も無事終わったしそこそこ歩けるみたいだし自由な時間を楽しもう!と期待していましたが、とんでもなかったです。最初の2週間はとにかく頭は痛いし、起き上がる時には首も痛いし・・・貧血立ちくらみで寝ているしかない状態でした。もう家の中をフラリフラリと歩くのが精一杯で玄関の外に出るのもしんどかったです。 3週目あたりからはマンションのポストまでゆっくりですが郵便物を取りに行ったり出来るようにはなりました。薬局に薬を取りに出かけるのも以前の5倍位時間がかかりました。 もうヨロヨロヨチヨチとちょっと歩いて、立ち止まっては休憩して・・・貧血起こしては所構わずしゃがみこんで・・・・の繰り返しでした。病院内で歩くのとシャバを歩るくのでは全然違うのですね。
1ヶ月目定期診断 まだまだ人の波には乗れずラッシュ時の電車に乗るのが恐ろしくて車で連れて行ってもらいました。 病院の中に居ると何だか安心です。人工骨のくっつき具合は順調らしい。頭痛、手と体のしびれ、足のもつれなどはあるものの、手術前にあった右肩上のボーリングの玉は少し小さくなった感じです。 とにかく頭痛がキツイ日々。右の首付け根にあった腫れは手術によって出来た血腫とのことで、じきに吸収されてしぼんでいくそうです。もしもいつまでも消えていかなければ、その場合手術で取る事もありますと言われました。主治医の先生からは会社復帰OKの許可が出ました。有給も使い果たし既に欠勤がついてしまっているのでリハビリも兼ねてと早速復帰しました。
職場復帰 2003年5月1日 満員電車の立ちっぱなしはしんどかったので、各駅停車で途中休憩を入れながらの通勤を開始しました。「本日より無事職場復帰いたしました。まだ経過観察中で服薬もしていますが予定よりも早く復帰する事が出来ました。」と各方面に早速通達して復帰しましたが、産業医の指示で当面は時短出勤となりました。主治医が完全復帰にOKを出しても、産業医が許さない!という壁にぶち当たってしまいました。この頃には血腫はほぼ消えてなくなりました。
三ヶ月目定期診断 レントゲン、MRI、診察。レントゲンで人工骨の部分が真っ黒く写ってました。潰されていた頚髄は少しは太ったかな?といった感じで以前との違いははっきり言って私には良く分からない、まだえぐれていてまっすぐには程遠い。でもその隣にあった腫瘍は確かになくなっていた。頭痛の間隔が少し開いてきたけれどまだまだ薬は手放せません。わき腹辺りのゾワゾワ感もまだ時々出現。やはり膝が笑うこともまだしばしば。
半年目定期診断 レントゲンとMRI、診察。押しつぶされてひしゃげていた脊髄自体の太さも少しづつ順調に増して来ているらしい。今度は私が見ても「おっ!ちょっとえぐれが減ったかな?」と思えるぐらいには前と違っていました。人工骨もずれておらず順調にくっついてきているとの事、右手指先が冷たーくなってしまう頻度は明らかに減ってきました。頭痛も弱まって来ているし不調の波の間隔も空いてきているので良いそうです。OKが出たので・・・少し飛行機の揺れが怖かったですけど、旅行に行ってしまいましたー。
術後1周年 現在も経過観察中で、鎮痛剤なども変わらず服用中です。術後半年だった秋の頃に比べると12月中旬位から3月の現在まであまり体調も良くなく頭痛も強いこわばりも頻繁で薬が手放せない日々です。背中や腕のしびれと痛み、足元の躓きやすさもまだまだ残っています、先日もお使いで出かけたデパートの通路で踏み出したはずの次の一歩が出ておらずベッターンとつんのめって転びました。 もしや・・・もう再発!? と思い2月に受診相談しましたが、毎月面会してお薬を出してくれている地元の先生も、執刀主治医の先生も「季節的なものです、手術からまだ1年も経ってないんだから仕方ないです。春になればもっと楽になりますよ。そして次の冬は今回の冬よりは楽に過ごせる筈ですよー」とのお答えでした・・・。と言う事は、次の冬も絶好調では過ごせないと言う事ですかね? それからこれは今週になって発覚した事ですが、右の指先にした怪我が痛くないんです。駅のホームに血がけっこう大量に落ちていて誰か鼻血で大出血でもしたのかと思っていたら自分の指先から血がボタボタ・・・どこかに引っ掛けたらしく指の側面の皮がギザギザにベローンと剥け血がしたたり落ちていました。でも、これっぽっちも痛くない! 感覚麻痺でしょうか? 先週左手指先を切ってしまった時にはヒリヒリジンジンとしていたのに・・・。 今日でちょうど手術から丸1年です。
2004年3月12日
2003年1月28日 レポート本文にもある「病名告知の報告&相談メール」を友人達に送ったところ、そのうちの一人がお知り合いのドクター達に私のメールを転送してくれました。その結果、数名のドクター達が様々なアドバイスを寄せて下さいました。 何処の病院へ行ったら良いのやら見当もつかなかった私にはその後の病院決定の際にとても参考に成りましたのでご参考としてお知らせします。 *既に1年近く前にやり取りしたメールですので、該当の先生が今現在もその病院にいらっしゃるのかどうかは不明です。
――― 以下は頂戴したアドバイスです ―――
いろいろな意見がでてきたので、かえって迷うかもしれないけれど出てきた病院を一応HPで調べて雰囲気つかんでください。それから、一緒に考えよう。こういうのって、徹底的に調べた後、最終的には、案外、自分の直感で決めるのがいいのかもしれないな~なんて思う。とにかく、はじめに直感を感じたところから行ってみる。もし、ちがっていたら、またそのとき考えて変えてもいいんだからね。
●和歌山のドクターですが、とても信頼のおける人です↓ ************************** お友達が書いていられるように、脊髄は脳外科でも整形外科でも扱われます。私の同僚(脳外科医)に尋ねたところ、骨ではなく脊髄自身の病変(脊髄腫瘍など)であれば脳外科が扱うことが多い、関東では「慈恵医大、脳神経外科の阿部俊昭教授」が権威、聖マリアンナや慶応の事情はよく知らないとのことです。今日のところはこの程度の情報しか集められません。お役に立てばよろしいのですが。お友達がベストの治療を受けられることを祈っております。
●これ↓は、東京共済病院の先生から ********************** 同級生ですが獨協大学脳神経外科の金彪君が最も信頼されています。彼は定期的に東京逓信病院(だったと思うけど)に来て、診療もしています。詳しくは明日獨協大学に連絡してみてください。
●東京医科大学の先生から↓ ********************** 聖マリでも、慶応でもいいので(どちらも慶応閥)、整形外科にとにかくはやめにいくように。東京医科大学は、選択肢にいれないほうがいいかも、、、。
●がんセンター放射線科医Yドクター←ものすごくいい人から、レスが来たのでおくるね。 ********************** 寝る前のメールチェックで、大変そうなメールが入ってきたのでとりあえず、分かる範囲でお答えします。加えて、質問したい事項もありますので、時間のあるときにご友人に聞いてみて下さい。頚髄腫瘍はおっしゃるように、境界領域で整形外科でも扱いますし、脳神経外科でも扱います。ただ、整形外科の先生でも専門外の人は受診しても、見てくれないかもしれません。同様のことが、脳外科の先生でも言えます。もし、時間がないのでしたら、脳外科の先生のところに行くほうが可能性が高いと思います。そこで質問です。お友達のお住まいはどちらですか?神奈川でしたら、同僚の整形外科や脳外科のDr.によさそうなところを聞いてみることも出来ます。整形外科の悪性腫瘍で東京でお住まいだと、大塚の癌研病院が経験豊富なのですが・・・・・。大学は、いろいろな病気を診ていていいのですが、教授助教授によって、得意分野が違うので、場合によってはあまり見たことがないという教室(驚かして申し訳ありませんが)もあります。大学の名前が売れているからといって、どんな病気にも経験豊富とは言えないのが現状です。 アドバイスのまとめとしては 1.取り合えずであれば、脳神経外科へ 2.時間があれば、情報を集めて考える となります。さらに質問。今回、MRIを受けた理由はなんですか?手がしびれた?足がもつれた?それとも、乳がんなど別の癌の経験がありますか?転移の可能性があるとまた話が違ってきます。原発の頚髄腫瘍というのは極めてまれでネットで検索しても情報を得るのは難しいと思います。良性、悪性の可能性によって、選ぶ方向が違ってきます。原発か転移かでも。どの可能性が高いのか・・・・? 今思ったのですが、悪性の可能性も否定できないのであれば、国立がんセンターに行くというのはどうですか?僕が勤めていたのは、もう10年以上も前になるので知っているDr.が残っているのかどうかは今の時点では分かりません。もし東京にお住まいであれば、少しお金がかかりますが、一昨年、国立がんセンターを退職して、がんになって悩んでいる人を対象に相談室を開いているDr.を受診するという手があります。
がん相談センターと言います。 今、HPのURLは手元に無いのですが。がんセンターに近いということで、銀座にオフィスをもっていて、全国からのがん患者さんに対応しています。自費診療で、面接は40分1万円ぐらい。メールでの相談は、1通りが5千円ぐらいだったと思います。長年がんセンターにいた人で、その人の紹介だったらがんセンターの整形外科でも脳外科でも、早く見てくれると思います。僕も、最新の放射線治療については時々質問を受けて恩を売っていますので(?!)、もしご希望があれば少しは無理を聞いてくれると思います。 アドバイス 3.東京にお住まいであれば、悪性の可能性もあるので国立がんセンターの受診を考える。 まとまりがつかなくなりましたが、情報によって、東京にお住まいだったら 癌研病院が良いのか 国立がんセンターが良いのか神奈川にお住まいだったら、どこが良いのか 考えていきたいと思います。とりとめのないご返事で申し訳ありませんが、だいたい意味はご了解いただけたでしょうか?さらに情報があれば、もう少し踏み込んだアドバイスも出来るかもしれません。何か思いついたら、またご連絡いたします。 それでは。 ーーーーーーーーーーーーーー 上の話に出てきた大塚の癌研病院も国立がんセンターも知り合いのドクターがいますので、聞いてみることはできますよ。なお、神奈川がんセンターは、二俣川です。
先生から、メールふたたび。 ----- Original Message ----- Sent: Friday, January 31, 2003 12:48 PM Subject: 急ぎ、訂正情報です > 先ほど、同僚の整形外科と脳外科のDr.に情報を確認いたしました。 > やはり境界領域で難しいとのことです。 その中での情報。 > 整形外科で脊椎を専門としているところ。 > 慶応大 > 整形外科 戸山Dr. 脊椎の手術が専門とのこと。 >もし、脳外科にまわされても大丈夫であろうとのこと。 > 東京医科歯科大 > 脊椎脊髄神経外科 四宮Dr. やはり脊椎の外科が専門とのこと。 > ただ、脳外科にまわされたとき、腫瘍が得意かは?だそうです。 > 脳外科のDr.の話では、 > 脊椎を特に得意としている人は分からないとのこと。 >手術は脳外科のほうが丁寧だけど、頚椎の骨をいじるので腫瘍を取った後の骨の再建を考えると、 >整形外科とうまく連携が取れる病院がいいのだが、外からでは連携の状況はわからないとのこと。 > 以上を考えると、慶応の戸山Dr.あてに紹介状を書いてもらうのが > 今のところ第一候補のようです。 > 取り急ぎ、連絡しました。 時間がないので、外来日などは調べるひまがありません。 > 申し訳ありませんが、HPなどで確認してみてください。 では、また。
●こちらはずっとFILLYが相談に乗って頂いていた会社の産業医さんからのメッセージ ********************** 腫瘍ですか・・・・今までの症状の原因だったということ・・・病院については、(脊髄を専門にみていただける病院という事で)
応、聖マリアンナともに脊髄の専門外来があり、施設も充実しているようなのでどちらも良いと思いますが、それ以上の病院があるかについては、現地ならではの情報を探すことになると思います。また、手術や術後の経過についてはそれぞれ違いますので、担当の医師にお尋ね頂くのが良いと思います。手術の成功祈っています。
以上
このあたりも参考にしました。 http://www.ho.chiba-u.ac.jp/17/4SEKIZUI/SSHUYO/SSHUYOtop.htm http://www.city.naze.kagoshima.jp/HouseCall/encyc/123/58/199_0_0_0.html http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/noge/ex/01.html

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