翌月へ
就業日誌
平成13年1月5日(金)
- 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年の当ボイラー室は、「更新は義務である(全然楽しくない)」をスローガンに頑張ってみようと思います。
今現在リハビリ小説を1本書いているので、それが終わったらトイレット娘。の続きにかかろうと思います。昨年は決意を持って「更新を頑張ろう」と努力を試みたものの、結果的には1年の約半分を無為に過ごすこととなってしまいました。
このことを振り返ってみると、おそらく前半の週一更新ペースがたたって「もう義務感で更新するのは疲れました。放っておいてください」といったような心境で後半を迎えてしまったことに原因があったことと思われます。
その後は、なんとか義務感以外の面でも更新できるように自分の精神状態を誘導しようと試みたのですが、そんな都合の良い誘導が容易くできるはずもありません。
無理をして更新しても開設当初のようなカタルシスが得られるはずもなく、「初心忘れるべからず」などという言葉は実行不可能な戯言だと気付くまでに、そうは時間はかかりませんでした。
所詮、ホームページの更新などは義務感抜きではできないのです。
世の長続きしているホームページの10割は、義務感という名の強迫観念によって更新されていることでしょう。
おそらく「義務」などという言葉が好きな人はあまりいないので、これを読んでいる人の中には「何もそこまでして更新しなくても」などと思う人もいるかもしれません。
正直言って私も更新するのはかなり面倒でありそろそろ閉鎖したいのですが、何しろ私は敗北者なのでラブコメを書き上げるまでは閉鎖することを許さないことを課してしまっているのです。自分自身に。
まあ、アクセスカウンタの増加が1日0人になったら何の問題もなく閉鎖してしまってもいいのではないか、とは思っているのですが。しかし、新年1発目の更新がここまで後ろ向きな文章でいいのでしょうか。
平成13年1月6日(土)
- 今まで見るのを先延ばしにしていた「エクセルサーガ」最終巻を、ようやくレンタルで見ました。
エクセルサーガを借りてくる度に思い出すのが、エクセル第1巻と一緒に借りてきた「アイアンジャイアント」のことです。
おそらく、私のように「アイアン〜よりもエクセルの方が圧倒的に面白かった」などという、たわけた感想を持った人間はそうはいないだろうと思うのですが(比べるような内容でもないし)、実際アイアン〜に感動できず、しかも感動できなかった自分の感性に疑問を抱き、あまつさえ自信を喪失した人間というのはどの程度いるのでしょうか。
私の周辺にはアイアン〜を見た人がいないので、その辺りの感想を直に聞くことができず、私は自分の精神構造に非常な不安を抱いています。
もしも私のように、「アイアン〜はカスリもしなかった」などという渇いた感想を持った方がおられましたら、ぜひともご一報ください。
今のままでは私は、感性の腐りきった人非人扱いです。どうか、私は決して孤独ではないのだということを皆様に教えていただきたいのです。ぜひとも、ご協力をお願いします。エクセル最終巻は、相変わらずくだらなくて面白かったです。
平成13年1月8日(月)
- ネット上の文章を読んでいると、文中で「制作」と「製作」を混同している人が多いのですが、別にそれで意味が通じなくなるわけでもないし、私は日本語の細かい乱れにあれこれ文句をつける性格でもないので、今までは特に気にしないことにしていました。まあ、これは私自身も頻繁にやっている誤字脱字を見逃してもらおう、追求しないでください、という保身とか打算とかも働いているのですが。なんと汚い大人になったもんでしょうかね。
しかし、最近とある有名サイトの管理者の方がこの「制作」と「製作」の用法の間違いをやらかしているのをうっかり目撃してしまい、念には念を入れて辞書まで使って確認した結果自分の知識の正しさが証明され、すっかり優越感に浸りきった私は今日の日記のネタにしてしまおうと思い立ったわけです。
何かこう全然面白くない上に酷く嫌みったらしい文章になってますが、ここは一つ私の日記の面白くなさに憤慨するよりも、貴重なマメ知識を得られる幸運に恵まれたのだと思って穏便に済ませてください。
後に単語の誤った用法を心無い自称知識人に指摘され、不毛なネットバトルに発展するリスクを回避できることを考えれば、この程度の不快感は安いものです。さて、「制作」と「製作」ですが、私の手持ちの辞書には以下のように表記してありました。
【制作】芸術作品などを作ること、また、その作品。
【製作】ものを作ること。「製作」は、機械や器具など一般的に、「制作」は、絵画・映画・放送などに使う。つまり、「ホームページの制作」は「制作」であって「製作」ではありません。
まあ、こんなことを偉そうに書いたところで「だからどうした」感が強いのですが、よく間違われる割りにネット上でこの違いを指摘している文章を見たことがなかったもので、つい書いてしまいました。どちらが正しいのかわからないものでは、「リンクを張る」と「リンクを貼る」というのがありますが、私の手持ちの辞書はインターネットが一般に広まる遥か以前の代物なので、調べようがありません。
たぶんこの例では、どちらが正しいのか公式な見解は未だ出ていないと思われますが。
私は根拠もなく「張る」の方を使用しているのですが、これは実にくだらない問題なので、「張る派」と「貼る派」の対立が起こって両者の間に一大ネットバトルが発生し、多数の犠牲者が出てインターネットは例によって各メディアから糾弾、なんてことは絶対に起こらなさそうであり、少し残念です。
平成13年1月18日(木)
- 油断していたら、うっかり10日間も日記をサボってしまいました。
どうもカルドセプトの大会の予選(28日)が近づいているせいか、ネットの活動もカルド中心になってしまって自分のサイトの運営がおろそかになってしまっています。
まあ、サイトの運営がおろそかになっているのはカルドから始まったことじゃないのですが、やはり情熱の矛先がカルドにしか向いていないという現状は憂慮すべきものがあるでしょう。
今の私がどのぐらいカルドに入れ込んでいるのかというと、情熱の比率がだいたい カルド9:小説1 という情けない数字をはじき出してしまうぐらい入れ込んでいるのです。
こんな状態で無理して小説を書くのは、いや、小説が書けない自分を責めるのは、いい加減疲れたので。
この際、自分を許してしまうことにしました。そうです、許してしまうのです。
とりあえず、28日の予選が終わるまでは、小説は書きません。非常に残念ですが。リハビリで書いていた書きかけの小説も中断です。実に残念です。ところで、ドリームキャストとファンタシースターオンラインを買ってしまいました。
まだ開封していないのですが、私はいったいどうするべきでしょうか。
平成13年1月21日(日)
- 昨日から札幌に行ってました。カルドセプトの対戦会に出るのと、押井守監督の映画「アヴァロン」を見るためです。
カルドの対戦会は日頃の精進の成果を出せて、なかなかの成績でした。28日の予選に向けてますます気合いが充実したのを感じました。(小説そっちのけ。いや、投げ出したわけでは。)アヴァロンは……うーん……カルドの疲れが残っていたのか、映画の待ち時間にうっかりDDRなんてやってしまったのがまずかったのか、途中で寝てしまいました。10分〜20分ぐらいでしょうか。内容の把握には問題なかったのですが、これは要するに、私にとっては「目が覚めるような面白い映画」ではなかったということであり、ちょっと残念です。
確かに凄いことをやっているような印象は受けるのですが、それで興奮できるのかというと、私はそうではなかったわけで。
攻殻機動隊も、あまり面白いとは思わなかったし。
たぶん、私は「押井守の脚本」は好きなのですが、「押井守の世界観」はそんなに好きではないということが、こういう印象を受けた原因だと思われます。
そういえばマトリックスも今一つピンとこなかったし、私はこの手のサイバーパンクとは相性悪い人間なんでしょうか。
正直、サイバーパンクは世界観の構築は良くてもストーリーはおざなりなものが多いような気がするのですが。
今のままでは、いかに周囲から高い評価を受けようとも、固定ファンだけが見て喜ぶだけのジャンルのような気がするんですよね、サイバーパンク。PSO(ファンタシースターオンライン)は、怖くてまだやってません。
今は、カルドが! ブックの最終調整が!
平成13年1月26日(金)
- リハビリ用の小説も書きかけのまま放置状態、せっかく買ってきたPSOも一切手をつけず(なんか、人が買った途端にセガがドリキャスから手を引きやがるそうです)、ひたすらカルドの大会予選ブックの調整調整です。
私はこれまで、勝つために最善の努力をしてきました。
例え「更新しなさいよ」と言われようが、「早くレスを書きなさいよ」と言われようが、「二兎を追うものは一兎をも得ず」の諺に習って一心不乱の努力を続けてきたのです。
ホームページ管理者としてはあるまじき行為だということは重々承知しています。もはや、「言い訳の達人」と呼ばれた(呼ばれてないって)この私の実力を持ってしても、当ボイラー室の現状を追求されて言い逃れることは不可能でしょう。許されようなどとは思いません。
しかし、だからこそ! だからこそ、管理者の立場を捨ててまでもカルドに打ち込んだことを後悔しないために、私はこの予選を突破するつもりです! するつもりでした。つもりだったのですが。なんというか、ここにきて全然勝てる気がしません。
所詮カルドもボードゲームの一種であり、ある程度の実力が要求されても結局は運で勝負が決まってしまうのです。何十人の人間が予選に集まるのか知りませんが、その中で予選を突破できるのはたった二名です。二名なのです。これで、どうやって勝てというのでしょうか。私は少年マンガの主人公ではないのです。世界は私を中心に回ってはいないのです。
もしも私が主人公だったならば、こんな弱音を吐いているとどこからともなくヒロイン格の女性が現れて私を励ましてくれるものですが、私はどう考えても「ヒカルの碁」で言うところの、先生に「よく打ちました」などと言われ涙ながらに席を立ち去る名も無いキャラの風情ですか?
それでは仕方がないので、私は負けたときは「オフィス北極星」(ちょっとマイナーか?)のミスター山田のように「誇るに足る敗北は卑しい勝利に勝る」という言葉を吐いて潔く立ち去ろうと思います。まさにこのセリフこそ私の座右の銘、キングオブ言い訳です。つうか、誇るに足りてません。やはり勝つしかないのでしょうか。