ある日突然、一人暮しの若い男の人の家に、セールスマンがやってきました。「どうも、はじめまして。穴吹様でございますね? 私、セールスマンのウェスリー平井と申します。 決して怪しい者ではございません」
彼は丁寧にお辞儀をして、名刺を手渡しました。
「そうですか。これはどうもご丁寧に」
穴吹様は名刺を受け取ると、疑うことを知らない真っ直ぐな目でセールスマンを見返しました。
「それで、今日はどのようなご用件ですか」
セールスマンは答えました。
「実は、穴吹様に大変重要なお知らせがあるのです」
何やら深刻そうな顔でセールスマンは続けます。
「落ちついて聞いてください。今から一週間後、あなたの家に隕石が衝突することが判明しました」
「なんですって」穴吹様は驚きのあまり口からツバを飛ばしながら叫びました。
そのツバがセールスマンのメガネに少しかかりましたが、彼は怒った様子もなく話を続けました。
なんとなく、紳士的で立派な人みたいです。「信じられないかもしれませんが、本当です。今から一週間後に、あなたの家に直径30センチの 隕石が落ちてきます。そんなことになったら、人類の滅亡は免れません」
「ちょっと待ってください」穴吹様は、それはおかしいと思って尋ねました。
「直径30センチの隕石なら、被害は大したことはないんじゃないですか? そりゃ、ぼくの家ぐらいは 壊れるかもしれませんけど」
「残念ながら」セールスマンは、メガネを中指で押し上げながら言いました。
「隕石は、実に光の速さの半分というとてつもないスピードで地球に激突するのです。そのような速度では、 直径30センチの隕石といえども大気圏で燃え尽きる暇もなく地表に落下し、巨大なクレーターを作り上げるのです(※)」
「そうだったんですか。知りませんでした」穴吹様は、感心した様子で頷きました。
光速の半分の速さで移動する直径30センチの隕石をどうやって発見するのか、なんてくだらない疑問は もちろん彼には思いつきません。
人を信じることには、とても価値があるのです。「そこで、穴吹様にお願いがあるのです」
セールスマンのメガネが、キラリと鋭い輝きを放ちました。
「穴吹様のお宅の隕石落下予測地点に、激突を阻止するための措置として、地球の裏側まで抜けるトンネルを 掘るための許可をいただきたいのです。隕石を、トンネルを潜り抜けさせてやり過ごそうという作戦なのです」
セールスマンは、ムチャクチャなことを言い出しました。
目を見ると、かなり本気のようです。「えっ、地球の裏側まで抜けるようなトンネルなんて、掘れるんですか?」
穴吹様は、また驚いた様子で尋ねました。
「ご存知ないのも無理はありませんね。実は我が社の技術を持ってすれば、地球の裏側まで貫通するトンネルを 掘ることなど造作もないことなのですが、このことが世に知れると困ったことになるのです。 実は、この技術を使えば放射性高レベル廃棄物を安全に処分することができるのですが、それでは 原発が危険だからといって原発の撤退を決めた先進各国のメンツが立たなくなってしまうのです。 そこで我々としては仕方なくこの技術をひた隠しにしているというわけなのですよ(※)」
「なるほど。難しい事情があるんですね」穴吹様は、腕組みをして難しそうな顔をして頷きました。
「でも、それでわざわざトンネルを掘るのなんて大変なんじゃないですか? ミサイルか何かで 隕石を壊すとかできないんでしょうか」
正義感溢れる眼差しで、穴吹様が詰め寄ります。
セールスマンは、慙愧に堪えぬといった表情で言いました。「ミサイルなどは、とっくの昔に絶滅した兵器なのです。30年ほど前に、アメリカは核戦争で滅んでますし。 おかげで、世界的にミサイルを廃止しようという動きが起こって今ではただの1本もミサイルなんて 存在しませんよ(※)」
「えっ、アメリカって核戦争で滅んでたんですか? ぼく、カリフォルニアに旅行に行ったことがありますよ?」
「それはおそらく、熱海の海岸ではないでしょうか。飛行機のアメリカ行きの便は、実は周回飛行して日本に 戻ってきているだけなのです。生き残ったアメリカ人は世界各地に散って、 あたかもまだアメリカが健在であるかのように見せかけているのです(※)」
「じゃあ、ハリウッド映画なんかはどこで作られているんですか?」
「映画のことはよくわかりませんけど、おそらく日本の映画村じゃないでしょうか。今ならだいぶCGで ごまかせるようになりましたし(※)」
「湾岸戦争はどうなんですか。アメリカは大活躍だったし、ミサイルもバンバン飛んでたように思うんですけど」
「あれこそハリウッド映画ですよ。テレビの報道で流れていたのは、元々は映画の素材として作られた映像だったん ですけど、脚本家がゴネてボツ映像になったものを再利用しようとしたらああいうことになったらしいですよ。 実際は戦争なんて起こってません(※)」
「なるほど……世の中って、奥が深いですね」穴吹様は、心底感動した様子で深々と頷きました。
「それでは、トンネル工事の許可をいただけますか」
「もちろんです。協力しましょう」男達は、腕に血管すら浮かび上がらせてガッチリと握手を交わしました。
もはや、彼らを止めることは誰にもできません。
彼らは自分達の足で、どこまでも歩いていくことができるのです。「それでは、この書類にお名前と印鑑をいただけるでしょうか」
「わかりました。ちょっと待っていてください」穴吹様は、家の奥に勇ましく引っ込んでいきました。
彼はなぜか、なかなか戻ってきません。
ようやく戻ってきたときには、うっすらと目に涙を浮かべて青ざめた表情になっていました。「大変です。印鑑をなくしてしまいました」
「なんですって」セールスマンは、驚きと怒りに満ちた声で怒鳴りました。
「わかっているのですか。地球の運命は、あなたの印鑑にかかっていたのですよ。そのことをあなたは、 わかっているのですか」
「申し訳ありません。申し訳ありません」
「謝って済むことではありません。死をもって償いなさい」セールスマンは懐から拳銃を取り出すと、穴吹様の眉間に向かってためらいもなく引き金を引きました。
その後、彼は殺人罪で逮捕され、精神病院に収容されたということです。
残念ながら、一週間経っても隕石はどこにも落ちた様子はありませんでした。