「各装甲車、牽引車と通信車を中心に、守備陣形を保て!これより天武を起動するので
総力を上げて援護しろ!」
集声器に向かってフィラトフ大佐は次々に命令を下した。
「牽引車、最小限の時間で天武を正立させるんだ…正立直後、操縦士が乗り込む。リフトオフの命令まで待機せよ。」
「牽引車、了解しました。」
マリアは手袋をはめ、ハッチの脇で待機した。
「各装甲車に告ぐ!1分後12:17をもって榴弾砲の一斉斉射、12:18に天武リフトオフ
の予定。各員待機せよ!」
大佐はハッチの脇で出撃を待つマリアの顔を正面から見据えた。
「頼むぞ、…マリア…」
「…大丈夫です。必ず敵を殱滅してみせます。」
大佐はうなづき、集声器の前で時計の秒針を見つめていた。
「榴弾砲、一斉斉射!!」
装甲車の砲塔から一斉に榴弾が発射され、放物線を描きながら雪原の彼方に次々に着弾した。
「天武リフトオフ!」
大佐の号令で、マリアはハッチを押し開け外に飛び出た。
天武を乗せた架台は既に45度の傾斜角を超えていた。既に暗緑色の防水幕は兵士達の手で剥ぎ取られ、実験機であることを示す鮮やかな橙色の塗装が目に眩しい。マリアは牽引車の荷台に飛び乗り、天武の正立を待った。
援護射撃のおかげで敵の砲撃は止んでいるが、それもつかの間に違いない。
ようやく天武は正立し、それに合わせて搭乗状態に姿勢可変された。
大きく開放した塔乗口からマリアは操縦席に飛び乗った。
直後に近くで着弾があり、降り注ぐ土混じりの雪にマリアは舌打ちをした。
右面計器盤の下部にある起動用のエニグマ暗号盤の数字鍵に18個の暗号数字を打ち込む。
その最終8桁は隊員の任意識別番号で、マリアはそれにエンフィールドの製造連番を使って
いる。
暗号数字を打ち込み規定通りに暗号盤を回すと暗号盤はゆっくりと上に持ち上がり、その
下から起動用の赤いボタンが現われた。マリアが起動ボタンを押すと、天武の始動用補助機関が静かな回転音をたて始めた。
左面、正面、右面の計器盤が次々に点灯し、電視映像器に雪原の様子が映し出された。
パトリチェフ機関が始動するまでには最低でも二十分はかかるが、それまでは補助機関で戦わなければならない。できるだけ消耗を抑えなければ…
接近戦になるまえにできるだけ中長距離の射撃で敵を撃破しなければならない。
マリアは牽引車の荷台に据え付けられていた噴進砲をかつぎ、雪原をゆっくりと歩き始めた。敵が集結していると思われる地点に電視眼を向け望遠にすると、小さな集落のような
ものが見えた。朽ち果てた教会と思われる建物や、廃虚と化した建物のまわりに小さな住居らしきものが点在している。
(…あの村に潜んでいるのだろうか…)
先程の一斉砲撃の効果だろうか、敵は全く砲撃してくる気配は無かった。
(まず、魔操機兵から片付けなければ。)
部隊に最も接近していた魔操機兵に照準を合わせ、マリアは噴進砲を発射した。
噴進砲弾は白煙をあげながら一直線に進み、魔操機兵を直撃した。
魔操機兵の体は四散し、脚部の膝下のみが残っていた。
マリアは次の敵を探していた。
大神と秋水は、眠り込んだロシア兵達を装甲車の中に収容する作業にかかった。
体躯の大きな男達ばかりなので、装甲車の中に収容するだけでも重労働だった。
兵士達全員を後ろ手に縛り上げた時には二人はすっかり息を切らせていた。
「ロシアの熊達は重いなあ…少尉」
二人は装甲車に背もたれて鉛色の空を仰いだ。
「…ああ、本当に…重いなあ。」
「…少尉…どうする?ロシア兵達を満載にした装甲車で行くのか?」
「…いや…装甲車は目立ちすぎるし、火器の使い方も良くわからないからな…」
「…歩いて行くのか?少尉…それなら俺はご免だぜ…」
大神は地面に置いていたトランクを持ち上げ、ゆっくりと歩き始めた。
「おい…待ってくれよ、少尉…少尉!!」
秋水も慌てて自分のトランクを手に持つと大神の後を追った。
「…おい、少尉…牽引車なんて何の気してる!そんな薄のろい化け物に乗ってどうするんだよ!」
「ウイスキーのお礼をするよ…」
大神は荷台の上の部品庫の扉の前に立ち、ポケットから取り出した二つの鍵で錠を外し、
扉の下部に隠されていたボルト型のボタンを押した。扉はゆっくりと部品庫の上部に格納され、内部の様子が次第に明らかになっていく。
「…おおっ…これは…」
秋水は素直に驚いていた。
「…たいした部品だな…」
部品庫の内部には、最新鋭の十二式蒸気単車と、十二式高機動蒸気側車が並んでいた。
国防色に塗装された武骨な構造の下には高馬力の蒸気機関が備えられており、おそらくは
現時点で最も高速に陸上を走行する車両に違いなかった。
「昨年、神崎重工で試作されて今年制式配備されたものだ。十二式蒸気単車と十二式高機動側車…不整地でも高速走行が可能で、少数での斥候に向いている。その中でもこの二台は特別な寒冷地対策の改造がされている。完全かどうかはよくわからないが…」
大神の脳裏に李香蘭の得意の爆発光景が思い浮かび、説明しているうちに少し不安になっていた。
「…素晴しいな…」
秋水は、側車の正面についている帝国華撃団のエンブレムをそっと撫でた。
大神は、壁面に備えつけられた扉を開け、中から十一式歩兵銃、海軍制式拳銃、徹甲手榴弾、弾帯等を次々に取り出し、秋水にもその内の数丁を手渡そうとした。
「少尉、そんなにたくさんいらないよ。俺はこの拳銃だけでいい。」
秋水は新品の海軍制式拳銃を手に持ち、重さを計るように拳銃を揺らした。
「…いいなあ…この感じ…手にしっくりとなじむね…」
大神は、まだ実戦配備されていない歩兵用噴進砲とその砲弾、武器、弾薬、通信機を側車の座席に詰め込み、弾帯をたすきに掛けた。
(…待ってろよ、マリア…)
大神は単車と側車の固定具を外しにかかった。
「…少尉…あそこにあるのは少尉の持っている通信機と同じものか?」
秋水の指さしたところには、大神の携行していたものと同じ茶色のトランクがあった。
「…ああ、あれか…一応同じだが、中味はからっぽだ。使い物にならない…」
「計器盤とかつまみはついているのか?」
「回路盤を外しただけだから多分ついているはずだ。」
「ちょっと借りてもいいかな?」
「何に使うつもりだ?」
「後で教えるよ…いいだろう?」
「…しょうがないな…必ず返せよ…無くなったら報告書が要るんだからな…」
「…はいはい…わかりましたよ…それから少尉…」
「今度は何だ。」
「時限信管と高性能の固形爆薬が有ったら欲しいんだが。」
まるで百貨店で買い物をするような秋水の屈託のない要望に大神は呆れていた。だが、今は秋水は失うことのできない同士だった。何を意図しているのかはよくわからないが、大神はこの男に賭けてみることにした。
大神は、武器庫の小さな引き出しから、大小二つの箱を取り出し秋水に手渡した。
「この小さい箱が時限信管で、大きい箱が高性能爆薬だ。取り扱いには注意してくれ。」
大神は秋水に希望のものを手渡すと、再び固定具を外す作業にかかり始めた。
「…少尉…」
「まだ有るのか?今度は何だ!」
うんざりして立ち上がった大神に秋水は微笑んだ。
「ありがとう…少尉…」
大神はうなづき、声に出さず口を大きく動かして、ばかやろう、と答えた。
魔操機兵群は、マリアの発射する噴進砲に次々に撃破されていた。
パトリチェフ機関も完全に起ち上がり、従来の霊子甲冑とは比較にならない強大な攻撃、運動能力にマリアは驚いていた。
( …凄い…起動実験の時はそれ程感じなかったけれど…霊力との増幅作用でも有るのだろうか。)
噴進砲の砲撃の間隙を縫って接近してきた魔操機兵に、マリアはガトリング砲弾を撃ち込んだ。魔操機兵の体は閃光とともに炸裂し、千切れた手首がマリアの足元に転がった。
あと一体…
最後に残った魔操機兵は身を翻し、廃虚となった村に向かって退却し始めた。
(逃すか!)
マリアは、ガトリング砲を撃ちながら魔操機兵を追って走った。
魔操機兵は左右に身を交わしながら、小さな小屋のた建ち並ぶ集落に逃げ込んだ。
この、集落に他の敵もいるに違いない…
マリアは建物の影に身を潜めながら、周囲を窺った。
村は周囲を小高い丘陵で囲まれており、その丘陵を背にする形で教会や集会所が建てられているようだった。
小屋の影に魔操機兵の姿がかい間見えマリアはガトリング砲を発射し魔操機兵を追った。 魔操機兵は教会前の小さな広場に向かって走っていた。
「パマギーチェ!……パマギーチェ!!」(助けて!……助けて!!)
突然の助けを求める悲痛なロシア語の叫びにマリアは耳を疑った。
「パマギーチェ!!…」
周囲を見渡したマリアの目は、助けを求める声の主の姿に釘付けになった。
広場の脇の集会所の柵に母娘らしい二人が縛りつけられており、母親は声を枯らして叫んでいた。娘は年の頃は十二、三才ぐらいだろうか怯えた表情で絶叫する母親の顔を見上げている。
魔操機兵は母娘に向かって走って行く。
マリアは猛然と走りだし、背後から魔操機兵に飛びつき地面に組み敷いた。二つの機体は雪原を何度も転がったが、パトリチェフ機関の威力は絶大で、マリアが軽く魔操機兵の腹を蹴り上げるだけで魔操機兵はあっけない程簡単に吹き飛んだ。
マリアは、倒れた魔操機兵の前に立ち、その頭にガトリング砲を撃ち込んだ。
巨大な機械同士の戦いの恐ろしさに、柵に縛りつけられていた少女は顔をくしゃくしゃに
して怯え泣き叫んでいた。
(…可哀そうに…)
『…フショー フ パリャートケ…』(もう、大丈夫)
拡声器を使ってマリアは哀れな母娘に優しく話しかけ、母娘の前に近づいた。
母娘から数メートルの距離まで近づいた時、突然、天武の足元の地面が盛り上がった。
驚いて振り向いた時にはもう遅く、どろどろとした黒い液体が天武に降り注いだ。天武を四方から囲む形で偽装されていた噴出口から噴き出す液体はたちまち硬化し、脚部に浴びせかけられた大量の液体が天武を拘束するのに三十秒とかからなかった。
必死に脱出を試みるマリアに今度は銃弾が襲いかかった。
銃撃音は空気をびりびりと震わせ、非情な銃弾は柵に縛りつけられていた母娘の体を貫いた。銃弾が肉を貫く度に母娘の体は壊れた人形のように前後に揺れた。
「ニェーット!!」
マリアは絶叫し、ガトリング砲を乱射した。
………
敵の攻撃は止んだ。
………
だが、母娘の体は微動だにしなかった。
………
こみあげる感情を押し殺しながら、マリアは呼吸を整えた。
その碧の瞳は憤怒に燃えていた。
マリアの目の前には、既に砲塔の照準を合わせた装甲車と、完全武装の兵士達がいた。
そして、その背後の雪原の彼方からは、無限軌道の轟音が轟いていた。
緩やかな雪原の起伏を乗り越えて現われたのは戦車隊を中心に編成されたロシア陸軍の機甲師団だった。
「…ご苦労だったね…マリア…ゲームはこれで終わりだ…」
正面中央の指揮装甲車から拡声器を通したフィラトフ大佐の低い声が響きわたった。