帝国華撃団外伝

第5部
  
対峙

 

 鉛色の空からは、雪混じりの冷たい風が吹きつけていた。
 天武の狭い操縦室の中で、マリアはガトリング砲のトリガーに指を掛け、乱れた呼吸を整えながら目の前の状況を説明する答えを見い出そうとしていた。
 フィラトフ大佐がなぜ…何の目的で…
 憎悪と疑問の感情がマリアの中で交錯した。
 「…マリア…聞こえるかな?…フィラトフだ。」
 軍用の共用無線からフィラトフ大佐の声が流れてきた。
 「戦場で危険なのは、感傷というやつだ。自分の境遇や過去の心的外傷に少しでも触れるものが眼前に現われた時、人は感傷に溺れてしまう。戦闘中にそうした感情に囚われてしまうと、判断ミスを犯しやすく、時には致命傷にもなりうる。今の君のようにね…マリア。」
 フィラトフの抑揚のない低い声は勝利の確信に満ちていた。
 「…………あなたに………」
 マリアの脳裏に、無抵抗のまま銃弾を撃ち込まれている母娘の無残な光景がフラッシュバックした。
 「………あなたに……あなたに戦争を語る資格などないっ!!」
 自らの奸計のために戦闘とは関係の無い人間の命までも道具に使う卑劣さに、マリアは怒りに体を震わせていた。
 全てはフィラトフの計略だった…輸送部隊への襲撃…魔操機兵の出現…そしてこの卑劣な罠…全ては、天武を起動させて捕獲するための手段だったに違いない。
 「…最初から…計画していたんですね。この天武を奪うために。」
 「もちろん綿密な計画は必要だった。君達の状況判断や行動の変数を様々に変えて、何度となく図上演習を繰り返したよ…その結果、完全機能する天武を得るためには、敵襲それも魔操機兵を交えた形での敵襲という条件が必要だった。随分と弾薬を消費したが、それも無駄では無かった。」
 「たった一機の霊子甲冑を得る為に、随分と手の込んだまねをしたものですね。」
 「……パトリチェフ機関を動力とする霊子甲冑は君の乗る天武以外無いからね……君は知っているかな?パトリチェフ機関のもう一つの顔を……基本原理を少し応用するだけで、あれは最終兵器にもなりうるんだ。都市を一つ吹き飛ばす破壊力は、今までのゲオポリティクスを革新する全く新しいパラダイムとなりうる。……それによって私達は新しいツァーを迎えることが出来る……」
 「…新しい…皇帝…?」
 「…ロシアを変えるんだよ…私たちの手でね。極東方面第二機甲師団はこれから新生ロシアの皇軍となるんだ…」
 フィラトフはクーデターを目論んでいる…この天武のパトリチェフ機関を利用して…
 マリアの憎悪と怒りの感情は増幅しながら、闘争心となって青白く燃え上がった。
 「……フィラトフ大佐……ゲームはまだ終わってはいませんよ……」
 感情を押し殺したマリアの声が冴え渡った。
 「ガトリング砲弾はまだあなたの装甲車を吹き飛ばすぐらいは残っているし、……あなたが知りたがっているパトリチェフ機関の破壊能力を今すぐにこの場で試してみることもできるんですよ…大佐。」
 マリアは口元に凄艶な微笑を浮かべていた。
 切り札は私が持っている。
 自爆のための暗号数字をマリアは心の中でつぶやいた。

 01030619

 誕生日を勝手に使って済みません、隊長。でも……いいですよね?
 

 シベリア発緊急電
 

 移動通信車の中で伝声器を耳に当て交信内容を傍受していたオルガは、静かに伝声器を計器盤の上に置き椅子から立ち上がった。同僚の通信士のターニャは故障中の予備発電器の修理に躍起になっていたが、オルガの立ち上がる気配に気付き振り向いた。
 「…オルガ、どうだった?あの鉄の人形の反乱は鎮圧できたの?」
 「…わからないわ…睨み合っているみたいよ。…それよりターニャ、そんなに根を詰めていたら身が持たなくなるわよ。長丁場になるみたいだから少し休んだほうがいいわ。」
 ターニャは少し考えた後で、ドライバーを床にほうり投げた。
 「…それもそうね…少し仮眠室で休むことにするわ…」
 分厚い防音扉を開けてターニャは隣の小部屋に消えた。
 オルガは頃合いを見計らって長距離無線機に電源を入れ、周波数帯域をロシア軍参謀本部
の非常通信帯域に合わせた。
 「…こちら極東方面第二機甲師団、通信士オルガです。アクショーノフ准将への緊急電です。暗号電11077、至急接続願います。」
 

 追跡
 

 秋水の十二式蒸気単車と大神の十二式高機動側車は、雪煙を上げて雪原を疾走していた。
 「これだけぶっ飛ばせば、すぐに追いつくぜ、少尉!!」
 防塵眼鏡を掛けた秋水が爆音に負けない大声で叫んだ。
 「転ばないように気をつけろよ!」
 大神が怒鳴りかえすと、秋水はわざとに敬礼をしてみせた。
 (…待ってろよ…マリア…)
 大神は雪原の彼方を見据えながら、スロットルを全開にした。
 

 ロシア軍参謀本部
 

 通信室に配属になったばかりのイワノフは、突然非常用無線帯域に入電した女の声にうろたえていた。
 暗号電だって…?しかもアクショーノフ准将に直接の…
 イワノフは、当直責任者のマレンコフ少尉の顔色をうかがった。マレンコフ少尉は眉間に皺を寄せながら分厚い専門書を読んでいる。今までにも何どか読書中に声を掛けて叱責されたことが有ったことを思いだしイワノフは逡巡した。しかし、今も耳に響いている女の声はあきらかに切迫したものだ。
 イワノフは意を決した。
 「マレンコフ少尉殿…」
 マレンコフ少尉は縁無しの眼鏡をわずかに持ち上げ、訝しげにイワノフを見た。
 「…どうした?イワノフ」
 「…あ…あの…緊急電であります。」
 「内容は?」
 「…アクショーノフ准将への暗号電であります。」
 マレンコフ少尉の顔色が変わった。
 「送信者は誰だ!」
 「…オルガ…、極東第二機甲師団のオルガ通信士です。」
 …オルガ…あのアクショーノフ准将の姪の…
 マレンコフ少尉はイワノフから傍受具をひったくった。 
 「こちらヴォルガ、暗号番号をお願いします。………了解、それでは次の順に乱数設定お願いします。1…8…0…6…7………これで暗号電送信可能です。」
 しばらく傍受具を耳に当てていたマレンコフ少尉の額がうっすらと汗に光り始めた。
 暗号電の内容は参謀本部を震撼させるに十分な内容だった。
 

 一触即発
 

 第二機甲師団の戦車隊はフィラトフ大佐の指揮の下に陣形を整え、その巨大な砲門の照準を天武に合わせていた。
 いかに堅固なシルスウス鋼の装甲で覆われているとはいえ、戦車隊の一斉砲火を浴びればたとえ天武の損傷がそれほどではなくとも塔乗員の体が持ちこたえられるはずがない。マリアは、以前に無人の霊子甲冑への攻撃試験に立ち合った際の操縦席に座らせられた模擬人形の凄まじい壊れようを思い出していた。
 浴びせかけられた黒い樹脂のために天武の機動力は完全に奪われ、ガトリング砲の砲弾残量計はほとんど零だ。
 それでもなお彼等が攻撃してこないのは、ガトリング砲の威力を警戒しているのと、この天武を無傷で手にいれたいが為なのだ。
 だが、いつまでもこの対峙を続けているわけにはいかなかった。このままの状態では疲弊し消耗するのは自分だ。何とかして形勢を逆転するような契機を得なければ…
 最悪天武を一時脱出しての白兵戦を考えたマリアは、念のため搭乗扉の開閉器の動作を試してみることにした。天武の機体に浴びせられた樹脂のことがマリアは気掛かりだった。
 開閉器のボタンを押したが、わずかな機械音が唸るばかりで扉は一寸たりとも開く様子は無かった。やはり、あの樹脂が接合部分に貼りついているのだ。
 マリアは拳で計器盤を叩いた。
 方法が見つからなかった。
 今までどんな窮地に陥った時でも、必ず助かる術は有ると信じ、またその術を生み出してきたのだ…今までは。
 「…マリア…いい加減にその『鉄の処女』から出てきたらどうかね…」
 無線機からフィラトフ大佐の声が聞こえてきた。
 「…君が全ての武器を捨ててそこから出てきたら、撃ちはしない。温かいロシアンティーでも御馳走するよ…どうだね、マリア?」
 まるで家出娘をさとす父親のようなフィラトフ大佐の口調に、マリアは思いがけず洪笑しそうになった。これだけ追いつめられているというのに。
 マリアの目は自爆装置の赤い計器盤をじっと見つめていた。
 

 発見
 

 雪原を疾走する大神は、彼方に輸送部隊らしい影を認め、後ろを走る秋水にサインを送った。気がついた秋水はしばらく水平線の彼方を凝視していたが、短く警笛を鳴らして制動を掛けた。後方視認鏡で停止した秋水の姿を捕えた大神も急制動を掛けた。
 「どうした?」
 防塵眼鏡を外して大神は秋水の方を振り返った。
 「……少尉…あれは、輸送部隊にしては数が多過ぎやしないか?」
 大神は、腰に下げていた高倍率の小型双眼鏡を取り上げ、焦点を調節した。
 ぼんやりとした像は次第にはっきりした焦点を結び、それは戦車隊、自走砲、装甲車で編成された機甲師団であることが判った。雪原にもくっきりと大部隊の移動を示す無限軌道の条痕が刻まれている。
 「……凄い……機甲師団だ…」
 大神は秋水に双眼鏡を手渡し、秋水も双眼鏡で機甲師団の様子を視てとった。
 「…輸送部隊の援軍に来たんだろうか?…それとも…」
 秋水はある可能性について大神に意見しようとしたが、その言葉を呑み込んだ。たとえそうだとしても時期が早過ぎる。まして、その可能性を考えたまでの経緯を大神に説明している余裕は無かった。
 「…少尉…俺はあの機甲師団に接触するのは少々危険じゃないかと思う。少し遠回りになるが西側の丘陵の裏を通って北側の丘陵の上から機甲師団の様子を偵察した方が良いと思うが…」
 不思議な男だ。とても軽薄で付き合いきれない奴だと思う一方、状況判断に長けている部分もある。ツイードのオーバーコート姿で蒸気単車にまたがる秋水を見ながら大神は思った。
 「…そうだな…相手の動向もわからず突っ込むのは危険過ぎる…。」
 二人はうなづき防塵眼鏡を掛け、雪煙を上げながら再び発進した。
 

 ロシア軍作戦指令室
 

 ほぼ壁面全体を覆っているロシア地図を背にしたアクショーノフ准将は、通信士官であるマレンコフ少尉の報告にじっと耳を傾けていた。マレンコフ少尉の報告内容が事実だとすると早急に手を打たなければ、いたずらに反乱軍の勢力を増長するだけだ。
 まさか、あのフィラトフが…
 数々の戦功と、独自のゲオポリティクスでロシア軍の基本戦略の素案を作成したフィラトフが反乱を目論んでいるとすれば、その鎮圧には相当の流血を覚悟しなければならない。おそらくフィラトフは武装反乱が発覚してからロシア全軍がサンクトペテルブルグ防衛の陣形を組むまでの時間や、直接制圧部隊を編成する時間も計算づくに違いない。気にかかるのは今回の武装反乱計画が極東方面第二師団単独のものなのか、或いは他の機甲師団にもフィラトフへの賛同者がいるのかどうかということだ。もし他の機甲師団が反乱軍に加われば…
 アクショーノフ准将は、最悪のシナリオを想定していた。
 報告によれば、フィラトフは降魔組織の人型兵器を投入している。ロシア軍の基本戦略を考えた男と、機甲師団兵力と、降魔組織が結託した時……
 アクショーノフ准将はその考えを振り払うかのように首を横に振った。
 「…マレンコフ少尉…オルガとは今連絡はとれるのかね?」
 「いいえ、准将…わずかな間隙をついて秘密裡に交信してきました。こちらから呼びかけるのは危険だと思われます。」
 「…そうか…」
 苦渋に満ちたアクショーノフ准将の横顔に姪の安否を気づかう感情を見てとったマレンコフ少尉はうつむいた。
 「…マレンコフ少尉…情報参謀と首都防衛軍司令を緊急召集してくれ…これから反乱軍制圧の作戦会議を開く。」
 マレンコフ少尉は敬礼して慌ただしく部屋を出て行った。
 (…オルガ……)
 広い作戦指令室の中でアクショーノフ准将は一人ため息をついた。
 

 最終公演
 

 丘陵地帯の裏を抜け小高い丘の斜面に腹這いになって身を隠しながら、大神と秋水は眼下に広がる光景の異様さに愕然としていた。
 丘の下の集落の中央の広場には、ガトリング砲を正面に構えた天武が仁王立ちになっており、その天武の前には全砲門を天武に向けた戦車隊が対峙している。そしてそこから少し距離を置いた後方にはフィラトフ大佐の率いる輸送部隊の装甲車群が並んでいる。
 「…一体どうなっているんだ…」
 天武の機体の下部はどろどろとした黒い物質に覆われており、全く身動きが取れないようだった。
 (…マリア……君は…)
 大神は斜面の下側に置いてある側車に戻り、トランクを取り出して再び斜面を駆け上がった。もどかしげにトランクを開け隠し蓋をはね上げて無線機を取り出し、帝国華劇団の専用暗号無線のボタンを押した。
 突然、天武の操縦室に鳴り響いた華劇団専用無線の警告音に驚いたマリアは、誤報ではないかと疑いながら、暗号解読の番号を打ち込んだ。
 「…マリア!…マリア!…応答してくれ!」
 呼びかける大神の声に、マリアは胸が一杯になった。余り嬉しくてすぐに声にはならなかった。
 「…マリア!…聞こえないのか!マリア!」
 急に目が熱くなり、マリアは天を仰いだ。
 「…隊長…」
 無線機から微かに洩れたマリアの応答に、大神は安堵のため息を洩した。
 「無事なんだな、マリア!」
 「……隊長……どこにいるんですか、隊長…」
 「君のすぐ近くにいるよ。君の後ろの丘の上にいる。」
 「…駄目です…隊長。…早く…早くここから逃げて下さい!」
 マリアの声は震えている。大神は窮地のマリアを想い胸が張り裂けんばかりだった。
 「…落ち着くんだ、マリア……一体どうしてこうなった?」
 「…最初から、計画されていたんです。輸送部隊が敵から攻撃を受けて…魔操機兵も現われて私はフィラトフ大佐の命令を受けて天武を起動させました。しかし、それらは皆フィラトフ大佐が仕掛けた罠だったんです。大佐の目的は起動状態の天武を捕獲して、クーデター
に利用するつもりなんです。」
 「…クーデターだって?…」
 「詳しいことは私にもわかりません。ですが、あのパトリチェフ機関を利用しようとしていることは確かです。……新型の爆弾に応用するような話をしていました…」
 あのフィラトフ大佐がクーデターを目論んでいるとは…
 大神は輸送計画会議でのにこやかで如才のない大佐の言動を思いだし、大佐の底知れない闇の部分に慄然とした。
 「…わかった、マリア……武器は、…武器は残っているのか?」
 「…ガトリング砲弾は…残り250発…連続射撃で1分強しか有りません…」
 「…わかった、マリア…俺が奇襲をかける。俺が斜面をかけ降りたら、ガトリング砲で援護してくれ…弾が尽きたら天武から脱出するんだ。」
 「…隊長!…相手は戦車隊なんですよ。無理です!……それに、天武からの脱出は不可能です。……搭乗扉が開かないんです…」
 「…マリア…出来ないことばかり考えるんじゃない…出来ることを…助かることを考えるんだ…今までも俺達はそうして切り抜けてきたじゃないか…」
 「…………」
 「…俺は必ず君を助ける、マリア。」
 力強い大神の言葉にマリアの心は惑乱した。大神の声は自信に満ちているが、戦車隊を相手にどうやって戦うというのだろう。大神を死なせるわけにはいかない。

 死ぬのは自分だけでいい。

 マリアは、自爆装置の赤い計器盤に手を伸ばした。
 「…マリア…いいか、俺が助けに行くまで待っているんだ…」
 何て優しい声なんだろう、マリアは自分は幸せだと思い微笑を浮かべた。
 「…やっぱり、駄目です、隊長。天武を敵に渡すわけにはいきません。敵を道連れに…自爆します。…それしかありえません…隊長の命令に背くことになりますが、死ぬのは私一人で十分です。隊長を死なせるわけにはいきません。」
 マリアは、自爆装置に暗号番号を打ち込み始めた。
 「マリア!駄目だ!あきらめるんじゃないっ!!マリア!…マリア、マリア!!マリア、マリア、マリア!マリア!!」
 無線機からマリアを呼ぶ大神の声は絶叫に近かった。
 「…さようなら、大神隊長…あなたの部下で幸せでした………」
 マリアは最後に大神に伝えたい想いを口にしかけたが、喉元まで出かかったその言葉を呑み込んで、無線機のスイッチを切った。

 これから、最後の私の舞台が始まる。
 最後まできちんと努めあげなければ…

 帝国歌劇団花組
 マリア・タチバナの
 …最終公演…

 まばゆいスポットライト…
 割れんばかりの拍手…喝采…
 舞台に投げ込まれる花束…

 私のグランドフィナーレ……

 …見てて下さいね…

 …隊長…

 ………大神…さん………

 マリアの震える人さし指が自爆装置の起動スイッチを押した。
 
 

(1999・2・27第5部つづく)
 
 
 
 
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