帝国華撃団外伝

第四部ー1
 輸送二日目

 
 翌日、ハルビンからチチハルを経て中継地点ハイラルに向かう輸送が始まった。
 どこまでも続くかと思われた針葉樹林は、しばしば平坦な雪原となって途切れ、やがて空も大地も白一色に塗り込まれた大雪原地帯が眼前に開けた。果てしなく広がる白い大地には
ゆるやかな起伏が有り、点在する窪地には背の低い木が小さな林を作っている。
 装甲車の操縦室の窓に開けたロシアの雪原…
 凍てついた荒涼とした大地を見つめながら、マリアは厳寒期の過酷な雪中行軍のことを思い出していた。少女の細い肩に銃と兵嚢が重くのしかかり、厳しい寒さに吐く息はたちまち
凍りつき睫毛に霜をつくった。顔の半分を覆うマフラーの中に自分の呼吸音がくぐもる。大地を吹きわたる風の音、雪を踏みしめる軍靴の音…
 あの頃、私を駆り立てていたもの…私が求めていたもの…私が失ったもの…
 雪原の風景の中に様々な想いが交錯した。
 今の私はどうだろう?これが私の望んでいた世界?
 戦いが有り、舞台が有り、仲間がいて、そして……
 マリアの脳裏にさまざまな出来事がかけめぐった。舞台での稽古、降魔との戦闘、隊長としての責任の重圧に悩みながらの日々、大神少尉が新隊長として現われた日のこと、一人で全ての責任を引受けようとした時の大神少尉の叱責…
 突然、伝声器のけたたましい警告音が鳴り響き、マリアは現実に引き戻された。
 「どうした?」
 フィラトフ大佐の緊張した声が伝声器に向かって問い質した。
 「報告いたします。二号牽引車の機関に障害が発生した模様です。早急に修理が必要との
ことであります。」
 「機関に障害だと?……」
 フィラトフ大佐は少しの間思案した後、伝声器に向かって叫んだ。
 「全車両に停止を命ぜよ」
 「了解!」
 10時11分、雪原の中、天武輸送部隊は一斉に停止した。
 

 10:12 
 

 装甲車の兵員室の中で花札をしていた大神と秋水は、突然停止し暖気運転を続ける装甲車の中で顔を見合わせた。
 「どうしたんだろう?」
 最初に口を開いたのは秋水だった。何か異変でもあったのだろうか?大神は兵員室後部の天井付近にあるハッチを開け、手すりに掴まりながら身を乗り出した。フィラトフ大佐を含めた数人が、天武の予備部品庫を搭載した牽引車に集まっている。
 「どうだ、少尉。何か見えるか?」
 「……どうも、すぐ前を走っている牽引車に問題があるらしいな。」
 「故障かな?こんな雪原のど真ん中で故障かよ。」
 「…まあ、技術工兵ぐらいはいるだろうから問題は無いと思うけれどな。」
 大神は勢いをつけてハッチから降り立った。
 「どうしたんですか、大佐!」
 大神の声にフィラトフ大佐は振り向いた。
 「やあ、少尉。少々やっかいなことになった。牽引車の蒸気機関の動力伝達軸のボルトが折れてしまったんだ。」
 「修理にはかなり時間がかかるんですか?」
 「一番負荷のかかる所だからな…半日ぐらいはかかるかもしれん」
 「それでは、輸送部隊はしばらくここに?」
 「いや、それはできん」
 フィラトフ大佐はきっぱりと言った。
 「日中の部隊移動での長時間の滞留は敵からの発見につながりやすいし、敵に攻撃陣形を
整える時間を与えることになる。クラウゼヴィッツの『戦争論』をひもとくまでもなく、
ゲオポリティクスすなわち軍政学の初歩だよ。大神少尉」
 「勉強不足で申し訳ありません、大佐」
 大神は唇を噛みしめた。
 「故障した大型牽引車とその護衛用の装甲車を残し、部隊は予定通りハイラルに向かう。
大型牽引車と装甲車は修理完了後、ハイラルで部隊に合流。大神少尉と秋水君には、引き続き大型牽引車の警護にあたってもらう。いいかな、大神少尉」
 大神は大佐に敬礼し、装甲車に戻った。
 「どうだった、少尉?」
 秋水は床に転がり文庫本を読んでいた。
 「牽引車が故障したそうだ。修理に半日ぐらいかかるらしい。俺達は牽引車の護衛だ。」
 「…ということは…部隊は先に行くのか…俺達は置いてけぼりだ。」
 「そういうことだ。」
 大神は憮然として答え、備え付けの固い長椅子に座った。
 外からは他の車両の機関始動音が次々と鳴り響き、出発前の慌ただしい雰囲気が洩れ聞こえてくる。機関の回転数が上がり高まった複数の機関音はやがて遠くに消え去り、後にはっ装甲車の暖気運転の緩慢な機関音だけが残った。
 「行っちまったな…少尉」
 「ああ」
 秋水は防寒外套のポケットからトランプの箱を取り出した。
 大神は小さくうなづき、苦笑いした。
 

 12:27 敵襲
 

 天武輸送部隊が故障地点を出発してから既に二時間が経過しようとしていた。
 ハイラルに向かう道は、平坦な雪原から次第に緩やかな弧を描く丘陵地帯へと変化していた。登り坂を登る度、装甲車の機関音が唸りを上げる。
 「温かいお茶でもどうかな、マリア」
 フィラトフ大佐は、甘い苺ジャムを溶かした紅茶を入れた大きめのカップをマリアに勧めた。
 「ありがとうございます、大佐。いただきます。」
 一口すすったマリアは笑みを浮かべた。
 「美味しいです、大佐。子供の頃によく飲んだお茶の味に似ています。」
 「苺ジャムが肝心だな…外国人のいれるロシアン・ティーが美味しくないのは大抵、苺ジャムのせいだ。彼等の造るジャムは砂糖が余りに精製され過ぎて味がたんぱくなんだよ。」
 フィラトフ大佐は音を立てて紅茶をすすった。
 「ところで、マリア…一つ質問が有るんだが…」
 「なんでしょう?大佐」
 「革命軍であれだけの功績があった君が、なぜこの国を去ったのか?私にはとても不可解だ。君なら間違いなく軍の相当の階級に上がれるだろうし、たとえ軍ではなくても、そう、
地方の党の幹部くらいにはなれたはずだ。」
 大佐の質問にマリアは戸惑った。何しろ自分自身でさえその理由が良くわかっていないのだから…
 「…うまく説明できないんですが…戦いの後、何かとても大事なものを失ったような気がしました。あの戦争で肉親や友人…私にとってとても大切な人達を失ったということだけではありません。私の中の…私の中の何かとても大事なものが壊れてしまったような気がしたんです。」
 「君は革命のために戦い、そして我々は勝利した。もっと誇りを持ってもいいのではないかな?」
 「誇りを持てる人は幸いです。けれども、私は違いました。」
 「どう違った?」
 「私は、私のことを良く知りたかったんです。国家、革命、戦争、テロル…私が関わってきたものを一度奇麗に忘れ去った上で、自分がどういう人間かを確認したかったんです。」
 「ニューヨークで君はそれを確認できた?」
 「私に残っていたのは暴力だけでした。…何もためらわず銃を撃てる能力…」
 マリアは静かに微笑んだ。その凄艶な表情にフィラトフ大佐は一瞬蒼ざめた。
 …クワッサリーは生きている…
 「……しかし…今の君は幸せそうだ…」
 「きっと色々な人達に出会ったお陰です。」
 「良い友人に恵まれたんだな。」
 「…多分…とても感謝しています。」
 フィラトフ大佐は紅茶を飲み干し、書類鞄から作戦用の地図を取り出し細かな書き込みをし始めた。マリアも読みかけの本を取り出そうと携行袋の中を探っていた時、突然、耳をつんざくような爆発音が轟き、衝撃でマリアは座席から投げ出され床に叩きつけられた。
 「敵襲です!!至近距離に着弾!」
 兵士の絶叫にフィラトフ大佐は声を荒げた。
 「うろたえるなっ!敵の位置を確認しろ!おそらく四方にいるはずだ!」
 再び爆発音が轟き、土混じりの雪が装甲に激しくぶつかる音が続いた。
 「至近距離着弾!二時方向に敵確認!」
 「砲塔手位置につけ!榴弾砲発射準備!!三号車榴弾砲発射準備せよ!!」
 フィラトフ大佐は冷静に命令を下し、兵士達は反撃の準備にかかった。
 「二時方向、榴弾砲発射!!」
 雪原の彼方に白煙が立ちのぼった。
 「一時の方向に……一時の方向に正体不明の敵発見!!」
 無線からの動揺した兵士の声にフィラトフ大佐は雪原の彼方を凝視した。
 床から起き上がったマリアは、大佐の見つめる彼方を見やった。
 雪原の彼方に立ち上がる大きな影を見たマリアの目が驚愕に大きく見開かれた。
 「魔操機兵…」
 雪原に次々と立ち上がるその影達は紛れもなく魔操機兵だった。
 「通信士オルガです。フィラトフ大佐、指令部に報告いたしますか?」
 無線からの緊迫したオルガの声に、大佐は声を荒げた。
 「指令部への報告は必要無い!すぐに殱滅できる。敵の無電の交信傍受に専念しろ!」
 大佐は壁にかけてあった双眼鏡をひったくり、窓越しに雪原の敵を追った。
 「マリア…」
 双眼鏡で敵影を確認したフィラトフ大佐はマリアを正面から見据えた。
 「天武を起動して欲しい。接近戦になれば装甲車での戦闘は不利になる。人型兵器には
人型兵器で応戦するしかない。」
 「わかりました。マリア・タチバナ、天武で出撃します!」
 大佐はゆっくりとうなづいた。
 

 疑惑
 

 相変わらず大神はポーカーで負け続けていた。
 「もう降参だよ。」
 大神は持っていた五枚のトランプカードを床に投げた。
 3のワンペア。
 秋水の広げていたカードはハートのフラッシュだ。
 やれやれといった風情で秋水は散らばったカードを一つに束ね、革ケースの中に仕舞い込んだ。
 「少し外の空気でも吸ってくるかな。」
 秋水は立ち上がりハッチを開けた。身を乗り出した秋水はハッチのステップに腰をかけ、
煙草を吸いながら故障した大型牽引車をぼんやりと眺めていた。
 「…おい…少尉…」
 秋水は装甲車の中の大神を手招きした。
 「少尉、あれを見ろ。おかしいとは思わないか?重大な故障と言ってるわりにはあいつら
随分とのんびりしている」
 秋水の指し示す大型牽引車の運転席の兵士は大きな口を開けて寝ている。助手席の兵士は、にやにやしながら手紙のようなものを読んでいた。
 「…確かに、のんびりしているな…」
 「今晩中にハイラルで部隊に合流しなければならないというのにな。おかしい…」
 「新聞記者の勘って奴かい?」
 「疑問があるととことん調べたくなる性質なもんでね…少尉は、何か無線機のようなものは持っていないのか?」
 「緊急用のは持っているが、『はやかぜ』との連絡専用だ。」
 「見せてくれないかな?」
 「駄目だ、民間人には見せられん!」
 「軍人だの民間だの言っている場合かよ!何も起きていなきゃそれでいいんだ。だが、何かが起きていたらすぐに手を打たなければならない。さもなきゃ手遅れになる。」
 秋水は気色ばみ、拳を固めた。
 大神は秋水を見据えたまま、茶色の革製のトランクをたぐり寄せた。
 二個の小さな鍵を取り出して解錠し蓋をあけるときちんと折り畳んだシャツや書類を入れた封筒などが現われた。大神がトランクの底の周囲に打たれた鋲の内の四個の鋲を同時に押すと小さな金属音とともに底板が跳ね上がり、中から青灰色の計器盤が現われた。
 「ほう!なかなか凝った造りだな。」
 秋水は片膝をついて小型無線機の計器盤を覗き込んだ。
 「…大丈夫だな…ロシア軍の周波数帯でも受かりそうだ。」
 秋水は計器盤の中央の周波数つまみをゆっくりと回した。
 拡声器から雑音に混じってロシア語が飛びかっていた。時折打ち寄せる波のような雑音が
会話をかき消していた。
 「随分詳しいんだな…」
 無線機を当り前のように操作している秋水に大神は感心してつぶやいた。
 「なあに、昔オルガに教えてもらったんだ。…誰もいない無線室の中でね…他にも色々と教えてもらったけど…」
 「…なるほどね…」
 「ロシアの無線技術は日本から十年は遅れている。大陸間の長距離の通信には今でもあのばかでかい通信車に頼るしかないし、近距離の交信は暗号もかけていないからこんなふうに筒抜けだ。……おっ…少尉…」
 秋水の表情が真顔になった。
 拡声器から聞こえるロシア語の交信は、たとえ意味がわからなくともたたごとではない様子だった。激しくまくしたてる異国の言葉には緊張感がみなぎっている。
 「……前方に敵発見……一斉射撃…『鉄の男』?…接近…」
 「戦闘が起こっているのか!」
 大神の声に秋水は黙ってうなづいた。
 「多分……間違いない。交信している将校の名前にも聞き覚えがある。」
 「ならば…なぜ、俺達はここで足どめされている?」
 「多分…厄介者なんだろう。それに運が悪けりゃ厄介ついでに始末される可能性もあるな…。前部兵員室には完全武装のロシア兵が5人…運転手やら何やら数えたら8人ぐらいは相手にしなきゃならんな…」
 「…ここに残っている連中は俺達を監禁するように命令されているだろうか?」
 「うーむ、わからんな…もしその気ならとっくにハッチに鍵をかけて缶詰にしているような気もするし……どうする、少尉?このままじっとここにいるかい?それとも、ここを出て
部隊の後を追ってみるかい?」
 まるでハイボールにするかジンにするかというような秋水の軽いのりに大神は唖然とした。
 「…おい、だってあんたもさっき言っていたように、最悪、完全武装の兵隊を敵に回さなきゃならないんだぜ。」
 「軍人さんは頭が固いな…すぐに戦争をしかけようとする…まあ待ってろよ…」
 悪戯っぽく片目をつぶると、秋水は立ち上がりハッチに向かった。
 「おい、どこに行くんだ!」
 「ロシアの熊達にちょっと酒でも飲まないか?ってね」
 秋水はグラスを傾ける仕草をしながらハッチを出ていった。
 外が賑やかになったのは、秋水が出ていってから5分も経たない頃だった。
 ハッチを開けると大神の前に兵士達が勢ぞろいしていた。どの兵士も見上げる程の大男ばかりだ。秋水はにこやかに笑い、兵士達の背を軽く叩きながら談笑している。
 「やあ、少尉!ロシアの男達は呑んべえばかりだ!イギリスのスコッチをふるまうと言っただけで全員集合だ!少尉、すまないが俺のトランクをとってくれ。」
 大神が秋水にトランクを渡すと、秋水はトランクの中から、小さな真鍮のカップのセットと大ぶりのスキットルを取り出した。10組のカップは大神と秋水も含めて全員に行き渡り、秋水は次々に兵士達の持つ小さなカップにスキットルの中の琥珀の液体を注いだ。
 大神の前に来ると秋水はにやりと不敵な笑みを浮かべた。それから自分のカップにも液体を注ぐと、トースト!というかけ声を掛けるなり、秋水はカップの中のスコッチウイスキーを一気に呑みほした。
 秋水が最初に飲んで安心したのか、兵士達は次々にカップの中の液体を飲み干した。
 「さあ、飲めよ!少尉」
 大神が口をつけると紛れもない上等のスコッチだった。
 「一体何を考えているんだ、あんた!マリアやオルガが大変な目に会っているのかもしれないんだぞ!それを…」
 大神が秋水に喰ってかかろうとしたその時、どさっと倒れる音がして振り向くと兵士が膝をついてうつ伏せに倒れていた。
 「気をつけろ、少尉」
 ロシア兵達はカップを落とし、次々に雪原に倒れていった。腰の短銃を引き抜こうとした兵士も、足をもつれさせて雪原に転がった。
 「…俺も飲んだはずなのに?」
 訝しむ大神に、秋水はスキットルを持って、スキットルの表面に飾られたメダルを指し示した。
 「このメダルを上にすると特上のシングルモルトで造られた12年物のスコッチウイスキーが出てくるんだが、下にすると強力な催眠藥入りの安ウイスキーが楽しめるってわけだ。」
 「悪党め」
 大神はカップの中に残っていたウイスキーを飲み干した。
 

(第四部・続く2・13)
第4部ー2を読む

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