「君よ知るや北の国」

 

開け放した窓から流れて来る夜風に花の香が漂う中、机の椅子に腰掛けたマリアは頬杖をついて物想いに耽っていた。

『人を大切だと思う気持ちがマリアを弱くすると言うのなら、いくらでも弱くなればいい……君は……俺が守る。』
最終決戦へ臨む際の翔鯨丸での会話を反趨しながら……。

マリアは胸元に下がる金のロケットを外すと蓋を開いた。
中で微笑む鳶色の瞳を見つめながら話しかけた。
「隊長……、ユーリ、もういいですよね?」
パチンと音をたてて蓋を閉じるともう一度首に掛け直す。
立ち上がり窓を閉めると部屋を出た。
大神はそろそろ夜の見回りを終えて部屋に戻る頃だったから。
 
 

数日前……。
大神はマリアが一人で書庫に居る所に入って来た。
「やあ、マリア調べ物かい?」
「あ、隊長。いえ……暫く本を読む時間が無かったものですから、何か読みたいなと思って……。」
「そうだなぁ……やっと平和になったから本も読めるよなぁ……。」
大神はそう言うと黙り込んだ。
マリアは大神があやめの事を思い出しているのを察して同じように黙り込んだ。
大神は棚から本を一冊抜き取るとパラパラとページをめくった。
「隊長も何かお探しですか?よかったら手伝いましょうか?」
「いや、マリアに用があって探していたんだ。」
「私にですか?」
「ああ、その今回の戦いやなんやかやですっかり遅くなってしまったんだけれど……。」
大神は妙に照れながら切り出した。
「?」
「この間のココアのお礼に何が良いか考えていたんだ。」
「まぁ、隊長。」
マリアは大神が必死で切り出した話題がバレンタインの時の事だったので微笑んだ。
大神はマリアの笑顔を見るとさらに照れながら言葉を続けた。
「うん……いやその、何だなぁ。実は翔鯨丸の中でした約束を覚えているかい?マリア。」
「……はい。」
「それで勝手だとは思ったんだけれど長官に休暇願いを出しておいたんだ、俺とマリアの。さっき長官から許可が下りたものだから。」
「隊長、それは……。」
マリアの顔からは笑顔が消えていた。
「ただマリアにとっては手放しで帰省を喜べる訳無い事も判っている。」
「……。」
「君が望まないのなら無理強いはしない。」
「……隊長。」
「でも俺は君の国を見せて貰いたいな。あの時も言ったけれど……。」
マリアは唇を小刻みに震わせながら答えた。
「……少し時間を貰えますか?」
大神はマリアの手を取ると両手で包み込みながら言った。
「判ってる。よく考えて自分の気持ちに正直な答えを出してくれ。」
「隊長……ありがとうございます。隊長のお気持はとても嬉しいです。」
「マリア……。」
「……。」
「ゆっくりでいいから。」
「はい。」
 
 

マリアは隊長室の前に立つとドアをノックした。
中から返事は無い。大神はまだ見回りを終えていないようだった。
そのままドアを開けて中に入ると室内を横切って大神のベッドへ腰を掛けた。
きちんと整えられたベッドカバーが大神の真面目な性格を示していた。
マリアはそのままサイドテーブルの上に置いてある読みかけの本を手に取った。
厚い皮装の本には金箔押しの文字でVom Kriege/Karl von Clausewitzとあった。
勉強熱心な大神らしく本にはところどころ内容をメモをした紙が挟み込まれていた。
平気で本に直接書き込みをする人も居るが、マリアも本を汚すのは好きでは無かったので大神の仕草が共感出来て嬉しかった。
(隊長らしいわ……。)
そんななにげない大神の仕草を思い浮かべただけで胸が高鳴った。
ひとりの人をここまでいとおしく思える日々がまた来るなんてロシアを旅立つ時には思いもしなかった。
やはりこれからしようとしている選択は間違い無いと気持ちを強くした。
ページを繰るとメモ用紙の他に少し厚めの紙が挟まっている。
マリアはそこで手が止まった。
いったい何時の間に撮ったのだろう。
大神が花組のブロマイドを集めていたのは知っていたしマリアのブロマイドも持っているというのは高村椿から聞いて知っていた。
しかしそこに挟まれていたのはマリアのスナップ写真だった。
白い大輪の百合の花に顔を近づけているマリアが居た。
帝劇のロビーに飾られていたカサブランカの白い花があまりにも綺麗だったので思わず足を止めて眺めていた時のものだ。
そう言えばあの時、榊原由里が内装工事の仕上がりを報告書に添付しなければならないからと大神にカメラを持たせて帝劇内を撮影して歩いていた。
そこに写っているマリアの顔は自分で鏡を覗き込む時や舞台用のスチール写真の撮影の時とはまったく違っていた。
(私……こんな顔してるのかしら……。)
ドアのノブに手を掛ける音がしてマリアは慌てて写真を元通り本に挟み込むとサイドテーブルの上に戻した。

「ふぅ……。」
大神は溜め息をつきながらネクタイの襟元を緩めて入って来ると、マリアに気付き話しかけてきた。
「やぁ、待たせちゃったかな?見回りの途中でアイリスのジャンポール探しをしていたものだから時間がかかったよ。」
「アイリスのお約束ですね、隊長にジャンポールを探させるのは。ふふっ。」
「ははは、確かにお約束だなぁ。このところ毎晩だものな。」
そう言いながら大神はマリアの隣に腰掛けた。
たあい無い会話をしながらどちらからともなく二人は互いの温もりを感じられる距離へ近づいて行った。
 

(1999・3・14/未完・続く)

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