「RIGHT BY YOUR SIDE」

 

一年間のフランス留学を終えて帰国した大神は………。

太正16年5月吉日

うららかな五月晴れのその日、銀座大帝国劇場の前に一台の蒸気トラックが止まった。
「あら、もう届いたのですか、ご苦労様です。こちらの方から搬入お願いしますね。」
てきぱきと指示をする藤井かすみの後で高村椿が嬉しそうに声をあげた。
「わぁ、花小路伯爵、随分早く手配してくれたんですね。いいなぁ、マリアさん。いよいよ来月ですものね。」
「さすが、伯爵家の用意したお道具ですね、豪華だわ。花組の皆さん大騒ぎね、これ見たら。」
榊原由里は早く誰かに噂話をしたくて堪らないといった様子で言った。
「支配人に知らせて来て、椿。」
「あ、もう来てますよ、かすみさん。」
蒸気トラックの音を聞きつけて米田支配人も玄関前に顔を見せた。
「おう、来たか。花小路さんは約束が早いねぇ。」
「素晴しいですね、支配人。あ、そこ引っ掛けないように運んでくださいね。」
かすみが作業中の男に声をかける。
「米田のおじちゃ〜〜〜ん。あのねぇ、お兄ちゃんが来てるよ〜〜〜。」
アイリスが米田を見つけて駆け寄って来た。
「大神が来てるのか、じゃぁマリアも一緒だな。ちょっとマリアに俺が呼んでるから支配人室へ来るように言ってきてくれ。」
「うんマリアならサロンで、かえでお姉ちゃんとドレスに付けるレースを選んでいたよ。お兄ちゃんもいっしょに。」
「そうかそうか、じゃマリアだけちょっと俺んとこ来いってな、アイリス。」
「うん、わかったよ、マリアだけだね。」
「後で大神も来るようにってな、後で。」
トラックから大小様々な荷物が運び出される。その中に一つだけ他の荷物とは不釣り合いに古い桐の大箱が存った。
「あら?支配人、この箱だけ随分古いですねぇ。きっと伯爵家のものを間違えて運んできてしまったのですね。」
「おっと、かすみ、間違いじゃねぇんだ。俺はそれを取りに来たんだよ。じゃ先に支配人室に行ってるからマリアが来たらそう言っといてくれ。」
そう言って米田はその古めかしい箱を重そうに抱えて戻って行った。
 

「マリア、貴方ならこれが良いと思うんだけれど、どうかしら。」
「……そうでしょうか。良く判らなくて……。舞台の衣装とは違うから、やっぱり判らないわ……。」
かえでの言葉に当惑した表情でマリアは答えた。
「まぁ、マリアしっかりして。もう余り日数も無いんだから。早く決めて後は皆で手分けして縫うのに。……この感じはどう?素敵だわ。」
かえではレースの中でも一番縫い取りの豪華な物をマリアの肩にあてて見せた。
「ほら、大神君も見とれてないでちゃんと選びなさい。貴方の一番大切な女の子が一番綺麗になる日の為のドレスなんだから。」
「マリアならどれも似合うよ。綺麗だなぁ、マリア……。」
大神の一言でマリアの頬が薄紅色に染まり肩にあてられていた純白のレースと好対象になった。
サロンに駆け込んで来たアイリスが広げられたレースの山を踏まない様に気をつけて近づいた。
「マリアぁ、米田のおじちゃんが呼んでるよ。支配人室においでって。」
アイリスの声でほっとしたマリアの表情の変化をかえでは見逃さなかった。
「ふっ、しかたないわねぇ。米田長官の用事が済んだらもう一度いらっしゃいね。まだ、ブライダルブーケのお花も決めてないんですからね。」
「あ、かえでお姉ちゃん、これ……、わぁ綺麗!アイリスも着たいなぁ。」
「ふふ綺麗でしょ?それなのにマリアったら……。」
「じゃぁお兄ちゃんには……。こっちのレースがぁ……。」
「おいおい、俺は……。」
そんな三人の会話を後にして、苦笑しながらマリアは支配人室へと向かった。
 

「マリアです、失礼します。」
「すまねぇな呼び出して。かえで君の用事はすんだのかい?」
「……いえ、まだです。」
ちょっとはにかんだように微笑んでマリアは答えた。
「そりゃ、いかんな。まあこういった事は男には判らんからなぁ。ところでマリア。」
米田は机の上に乗せた箱に視線を移しながら言った。
「マリア、お前さんよ、日本に来てから何年になる?」
「7年……ですね。」
「その間花小路さんがお前さんの親代りを引き受けてくれてた。今回の事でも色々面倒を見てくれている。」
「はい、大変有難い事だと思ってます。」
「それはそれで良いんだが……。」
「何か不都合でも?」
「いや、花小路さんの事じゃねぇんだ。実はな、マリア……。まあ、その箱を開けてくれや。」
米田が指し示した古い桐の箱の蓋には緻密な彫り物が施されている。
何か大切な品物を保管する為の物だというのが窺い知れたので、米田の言葉を怪訝に思いながらもマリアは箱の蓋を慎重に開けた。
中には一つずつ丁寧に上等の和紙で包まれた物が、ぶつかり合わない様にきちんと詰め込まれていた。
「あの……。」
「中身を出してみな。」
包を一つ取り出して解くと端正な顔立ちをした木目込の雛人形が出て来た。
綾織の金糸が少しくすみがかかって時間を経た雛人形だという事は窺えるが、大切に保存されていたので人形の表情は穏やかだった。
「まぁ、可愛らしい。」
マリアは思わずつぶやいた。
人形の顔をまじまじと見つめながら米田が言った。
「なんだか大神みてぇな顔したお内裏様だぜ。」
「あら、本当。ちょっと似てますね、うふふ。」
「持ってきな。」
「ありがとうございます。……でもこれ、雛人形ですよね。確か雛祭は3月なのに何故今頃これを?」
マリアは雛人形を両手で持ったまま米田に問いかけた。
「マリアの……お母さんのだ。」
「えっ?」
「おめぇ日本に来てから今まで、こっちの親戚に逢いたいとは一度も言わなかったな。」
米田の言葉に驚いたマリアは深く溜め息をついた。
それからゆっくりと言葉を選ぶ様に答えた。
「……母は、日本の親戚にはもう逢えないと言ってました……。」
「そりゃあ、お母さんにしたら親の止めるのも聞かずにロシアに行っちまったんだから、もう2度と逢えないと思っていただろうな。しかしな……。」
米田は口をつぐむとマリアに背を向けて窓の外を眺めた。
「ロシアに駆け落ちしてしまった娘の身の上を案じて暮らしてきた両親、マリアにしたら祖父母だな、が居るって事は動かしようの無い事実だ。」
「長官、私は……。私はその事については……。」
「それに、その雛人形を処分しないで大切に仕舞ってあったってぇ事は何時か娘が自分達の所に帰って来るだろうと待っていたってぇ事だぜ、なぁマリア。」
「……。」
「俺がお前さんが日本に来ている事と、今回の事を話したら『孫の為に』と花小路さんの所に届けてきやがったんだ。」
「でも……。私は……。」
「いいや。俺はお節介と言われても、お前さんをこの帝撃から嫁に出す以上、ちゃんとしてやりたいんだよ。」
「………。」
マリアはそのまま黙り込んだ。
「大神です、お呼びですか。」
「おう、へぇりな。」
「失礼します。」
「……。」
振り返ったマリアの顔を見て大神は彼女が今まで泣いていたのではないかと危惧した。
「すまねぇけどよ、その箱をマリアの部屋まで運んでやってくれ。」
「これですか?……お雛様か、あれっ?」
黙って雛人形をもう一度箱に収めているマリアの手元を見て大神が言った。
「これはもしかして……。」
大神の言葉の含みに米田は答えた。
「おう、そうよおめぇ気がついたか?」
「家紋が……、丸に橘。」
「?」
マリアは大神と米田の顔を見比べた。
「そういう事さ、大神。じゃ、早く運んでやんな。」
支配人室を出ていく二人の後姿を見ながら米田は独り言ちた。
「あいつもマリアの事となるとめざといなぁ……、ははは。」
 

2階への階段を上りながら大神はマリアに話しかけた。
「お母さんの実家……橘の家から届いたんだね、これ。」
「……。」
部屋に入り大神は雛人形の入った箱を静かに机の上に乗せた。
マリアは黙ったままベッドの脇に腰を下ろし膝の上で組み合わせた両手をじっと見ていた。
大神もマリアの隣に腰を下ろした。
「マリア……。」
マリアは顔を上げずに話し出した。
「隊長、私……、父と母を亡くした時も、ロシアからアメリカへ渡る時も……日本へ来る時も。ずっと一人っきりだと。……今さら。」
「女の子が生まれて雛人形を用意すると、その子がお嫁に行く時に嫁入り道具として持たせるものなんだ。俺の姉達もそうして貰っていたよ。……きっとお母さんに持たせてやれなかった代わりだよ、マリア。」
大きく見開いたマリアの瞳から涙が溢れ出た。
マリアはそのまま大神の肩に頭を持たせ掛けて来た。
大神はマリアの肩に手を掛けて引き寄せると、いつまでも抱きしめていた。

1999・2・10・完
BGM・EURYTHMICS・greatest hits

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