雪の夜は二人で

夕暮れからの雪は街の喧噪を包み込むように静かに降り積もっていた。
駅前の繁華街では覚束無げな足取りの酔客が家路を忘れる。
繰り返し流れるジングルベル。
仄かなオレンジ色に輝くショウウインドウの灯が雪を透かして路行く人々の足元を照らし出している。
赤や緑でとりどりに包まれた贈り物やケーキを大切に抱えて歩く人々が行き交う。
そんな賑やかな駅前通りをどのくらい歩くだろうか。
ほんの少し離れた通りから閑静な住宅街へと続いて行く。
家々の窓からクリスマスツリーに付けられた色鮮やかな電飾が煌めいて見える。
窓の中、サンタクロースを待切れずに眠り込んでしまった子供達の枕元には大きな靴下。
明日の朝の笑顔をじっと待つように大きなリボンが掛けられたプレゼントが置かれていることだろう。

そんな家並みの中でひっそりと暖かなあかりを灯している窓辺があった。
クリスマスにしては地味な飾り付けだが、心地よい室内。
テーブルの上には二人分の食器とグラスが聖夜を祝う晩餐の為に置かれている。
今どき珍しい暖炉には本当に火が焚かれていて部屋を暖めている。
マントルピースの上に飾られた小さなクリスマスツリー。
キャンドルが揺らめきツリーとその横に置かれた幾枚かの写真をセピア色に照らし出す。
ウエディングドレスとタキシード姿で教会の前に立つ若い二人。
生まれたばかりの赤ん坊を愛おしげに抱く父と母。
一枚毎に家族が増え少しずつ子供達が成長していく写真が並んでいる。
子供が5人並んで写る写真はそれぞれに父と母に似たところが微妙に違っていて楽しい。
この家の住人の数十年間に及ぶ人生がマントルピースの上で記録映画の様に何度も繰り返されている。
そんな中に飾られたモノクロームの古びた写真。
何度も手に取って眺められたものと見えて木製のフレームが黒光りしている。
大きな劇場の前で撮られた集合写真の中に映る少女達の笑顔が眩かった。

サイドボードの上で電話のベルが鳴る。
「あぁ、俺が出る。」
初老の夫婦がソファに腰掛けていた。
電話に近い方の夫が立ち上がりながらそう言った。
彼女は受話器を取る夫の後ろ姿に声をかけた。
「希夢の具合を聞いてね……。」
夫は背中を向けたまま解ったというように白髪頭で頷いた。
「ああ……、そうか良かった。
今かあさんに変わるから……。」
そう言うと夫は彼女に受話器を手渡した。
受話器の向こうから賑やかなざわめきとともに彼らの末娘の声が聴こえて来た。
「お母様?
今夜はそっちへ行けなくてごめんなさい。
希夢の熱も下がって来たから新年には行けると思うわ。
やっぱり突発性発疹だったってお医者様が……。
ああっ、バビィお願いそれはまだ後よ!」
「そう、突発だったのなら一安心ね。
来れないのは気にしなくても大丈夫よ。
こちらはお父様と二人で静かに過ごしているわ。」
「そうね、たまには二人でゆっくりイヴを過ごすのも良いかもしれないわね。
お父様とお母様の大恋愛の想い出でも語り合ってね。」
「嫌ねぇ、親をからかうものじゃありません!
でも、今夜はなんだか昔を思い出すわ……。」
「ふふふ、お父様もお母様も羨ましいカップルだわ。
ああっ、希夢、ケーキはまだよ。
バビィも、プレゼントは後からにしてね。
ごめんなさいね、お母様。
バビィが頂いたおもちゃを早く開けたがってぐずってるの。」
「ええ、ええ、早く開けさせてやりなさい。
それじゃ、旦那様にも宜しくね。
メリークリスマス!」
「ええ、それじゃ。
愛してるわ、お母様。
メリークリスマス!」
そう言って娘が受話器を置く。
相手が電話を切った事を確認してから彼女もそっと受話器を置いた。
 

電話を切ると部屋の隅に置いてあるステレオセットに寄りプレーヤーの蓋を開けた。
アンプの下のガラス扉を開いてLPレコードを取り出すとプレーヤーに乗せ慎重に針を落とした。
擦り切れた古いレコードから流れるクリスマスソング。
彼女はレコードに合わせて低く囁くような声で歌い始めた。
「……with every christmas that I……」
暖炉の前に置かれた座り心地のよさそうなソファに戻り腰を掛け瞳を閉じて静かに歌う。
夫は聴き慣れた彼女の歌声に耳を傾けている。
元は舞台女優だった彼女の声は低くてもとおりが良かった。
歳とともにかつての声量は衰えてきてはいるがその分より一層深みの増した歌声だった。
二人だけの穏やかな時間が流れてゆく。
それからふと眼を開けるとサイドテーブルの上に置かれている数枚のクリスマスカードを取り上げた。
カードを一枚一枚開きながらメッセージを眺める表情は楽しげだった。
しかし、幾枚目かのカードを開くと心無しか彼女の表情が曇った。
毎年届くカードは古い友人達からの物が櫛の歯が抜けるようにぽつりぽつりと減って行く。
親友の子供から届いたカードには彼女の近況が芳しく無い事を言葉を選んで簡潔に記されていた。
歌声がいつしか途切れ、力の抜けた手からクリスマスカードが膝掛けを伝って滑り落ちた。
彼女の瞳からこぼれ落ちたひとすじの涙。
隣からゆっくりと大きな手のひらが差し伸べられ膝の上の彼女の手を包み込んだ。
同じように年輪を刻み込んだその手のひらは、しかしあの頃と少しも変わらずに同じ温もりだった。
「ねぇ、あなた……。」
涙を拭うと彼女が口を開いた。
「こうやって過ごして来れた事に感謝しています。」
「そうだね、マリア。
後どのくらい同じ時間を過ごしていけるだろうか。
だけど、今のこの時間を大切にしていたいね。」
夫が昔と変わらない優しい瞳に笑みを浮かべて応えた。
「本当に……。」

彼女の脳裏には幾つものクリスマスの光景が走馬灯の様に駆け巡っていた。
生まれて来る子供を待ちわびて幸多かれと祈った夜。
年毎に大きくなるケーキと子供達の歓声が響き渡るイヴのお祝い。
この部屋の中で小さな手がサンタクロースへの手紙を書き、テーブルに溢れそうだった御馳走が並べられたのはついこの間の出来事のように思える。
そして思い出すのはあの年のクリスマスイヴ……。
ゆっくりと二人通りを歩む肩の上に粉雪が舞い降りていた。
教会へと向かう彼の息遣いと自分の胸の鼓動までつい昨日の事の様に蘇って来る。
あの日二人で神に祈りを捧げた気持ちが今も変わらない事に感謝しながらもう一度夫の顔を見つめた。
夫は彼女の肩に手をまわすと二人はそっと頬を寄せ合った。
レコードのクリスマスソングが流れ続ける……。
 

『出逢った事の喜びを大切にしていようと。
生きているからこそたくさんの出逢いがあるのですから……。』
 

(1999・12・27完)


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