次のコラムへ性懲りもなく、前回のテーマの続編である。
まずは、前回のコラムを読んで当ボイラー室の作業日報に 寄せられたろーたろうさんの書き込み を紹介しておきたい。
しかし、その際やはりダンスとしてリズミカルに踏んではいけないでしょう。
動きはあくまで抑制し、緊迫感が漂い、ドシン!ダン!と激しく震脚し、
血走った目はキッと見開かれ口元から半ば泡を吹きこめかみには血管が
浮き出てハァハァと呼吸を荒げつつプレイするのが正しいかと。
西田先生の思想よりも危険すぎます。
素晴らしいプレイ風景の描写である。そこまでの凄まじいプレイを目の当たりにしたならば、 もはやDDRの如き軟派なゲームなど興ざめしてしまって、プレイする気も失せてしまうであろう。
しかし、ここまでのプレイを要求される崇高なゲームならば、既存のゲームセンターの雰囲気には 似つかわしくないのではないだろうか。やはり、こだわるのならば舞台としての演出を考えなくては ならないだろう。
役立たずコラムの第2弾では、さらに具体性を持ったガサラキのシステム的な部分を考察していこうと 思う。さて、ゲームの演出だがここは一つ、店内の全てのスピーカーをガサラキゲーム筐体の制御下に置いて、 プレイヤーが100円硬貨を投入した瞬間にあらゆるゲームや有線放送などのスピーカーの音声が遮断され、 店内が水を打ったような静けさに包まれるというものはどうだろうか。
そして、やがて静寂の中から重々しい能楽の演奏と共にプレイヤーの心臓の鼓動音が響き渡っていくのである。
100円硬貨の投入と同時にゲーセン内の雰囲気が黎明の如く一新され、店内がガサラキの無窮の世界に否が応にも 引き込まれる。想像するだに興奮して止まない。
もちろん、他のゲームをプレイしている客からは苦情が殺到するであろうが、この程度の困難に 妥協するようではガサラキのゲーム化など語るに値しないというものである。ところで、上記のろーたろうさんの書き込みには「リズミカルに踏んではいけない」とあるが、 これをゲーム的にさらにシビアに判定するための要素として、「フットパネルに体重をかけ続けなくては ならない個所がある」というものはどうだろうか。
体重をかけ続けるということはつまり、「動いては いけない」ということである。この要素を追加することによって、ダンスのようにリズミカルに踏むことは 事実上不可能になるだろう。
さらに、この体重負荷を他のパネルに連続移行しなくてはならない個所などを用意すれば、 「摺り足」の表現も可能である。ここまでやれば、もはや見た目はDDRとは完全に別のゲームとなり、 「能ゲー」という新ジャンルを確立したも同然であろう。最後に、「緊張感の演出」についても述べておきたい。
前回のコラムでは心拍数をモニターし、その上昇率が高くなくてはクリアできないというゲームシステム について説明したが、そのシステムを成立させるためにはやはりプレイ中に緊張感が伴っていなければならない。
別に緊張感がなくても、心拍数を上げるためには激しい運動をすればいいのだが、これは「能ゲー」である以上、 無駄な動きは極力抑制しなければならないだろう。本物の能のシテならばともかく、一般のプレイヤーには 「無駄な動きは微塵も見せずに激しい運動量をこなす」などというマネは到底無理である。
そこで、心拍数を無理なく上昇させるためには緊張感が必要になってくるのだが、これには昔からゲーマー という人種が行っている行為でうってつけのものがある。「ハイスコア狙い」である。
ハイスコアを狙っていると緊張感から心拍数が上昇するということは、ゲーマーならば容易に理解していただける と思う。ハイスコア争いは、ハイレベルになればなるほど常人にはおよそ耐え難いプレッシャーが かかるものだからだ。さらに、ハイスコア狙いというプレイスタイルには「能ゲー」にふさわしい利点がある。必然的に、 「無駄な動きがなくなっていく」のである。つまり、ハイスコアを狙っていくと必然的にプレイスタイルが能の動きに 近づいていくのである。
心拍数の上昇率がスコアに加算されるシステムにすれば、スコア狙いが好調時の際には緊張感から心拍数が増加し、 それによってさらにスコアが加算され、さらにプレッシャーがかかり心拍数が増加するという連鎖反応を引き起こす ことにもなるだろう。以上のように、「ガサラキ」のゲーム化は実現すればかなり凄いものになると思うのだが、やはり凄いだけで 売れないと思うので実現はあり得ないであろう。以上。