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誰にも認められない暗い情熱

最終回 踊るものとして

『DDR健康管理法』が廃止になって以来、初めての成人式がつづがなく始まろうとしていた。
 若者達は初々しいスーツや晴れ着などを着て会場に赴き、何の苦行も経ずに成人できることの喜びを 噛み締めている。
 壇上では激励の挨拶に立った市長が、DDR法が廃止されたことにより以前のような 無益で残酷な式が行われることはないことを繰り返し熱弁していた。そして、これまでDDR法という 狂った政策によって無残にも犠牲となっていった人々のことを忘れてはならない、我々はこの悲しい過去を 重く受け止め、二度とこのような過ちを繰り返してはならない、とも。
 市長の挨拶が終わると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。式を見届ける父母達は、一人残らず涙を 流している。いや、そればかりではない。当の成人した若者達もまた、多くの者が涙を流していた。 声をあげて号泣している者すらいる。
 前年までの成人式は、成人前の若者にとっては恐怖と抑圧の象徴であった。それが、DDR健康管理省長官の死を きっかけとして瞬く間にDDR法が廃止されたことにより、DDR法施行前のように穏やかな成人式を祝う ことができるのだ。そのことを喜ばない者など、一人としているはずがなかった。皆、そのことに感動していた。
 しかしこのような感動は皮肉にも、DDR法施行前の成人式では得られないものであった。

 前年までの成人式は、苛烈を極めていた。
 成人式を迎えた若者は直ちにDDR法の対象となり、その日をもってシステムDDRを受験しなくてはならなかったのである。 課題曲は、成人男性は『パラノイア』、成人女性は『ドゥビアイドゥビ』であると定められていた。
 式の会場は、始まりこそ今と同じ会館のホールだが、そこで受験者が数十人づつ巨大なトレーラーに乗せられる。
 トレーラーのコンテナ部は檻そのものといった形になっており、当然その中には、あの忌まわしい『システムDDR』の 筐体が備えつけられていた。そしてトレーラーが発車すると同時にシステムDDRが稼動し、移動するコンテナの中で 一人づつDDRの受験が開始されるのだ。もちろん、コンテナが檻そのものである以上、受験の模様は道行く公衆の 面前に晒されることになる。
 『塀の上』で行われる通常の受験と違う点は、通常では課題曲をクリアできなかった場合に床が開いて 『保護区域』に落とされるのに対し、成人式では課題曲をクリアしなくてはトレーラーを降りることは できない、ということである。
 もちろん、トレーラーの向かう先は『保護区域』であることに変わりはない。 ましてや、移動するトレーラーのコンテナ内でのDDRが通常よりも遥かに困難であることなど、説明するまでも ないだろう。
 路上から送られる家族の必死の声援も空しく、課題曲をクリアすることができずに泣き叫びながら 『保護区域』へと送られて行く若者達の姿は、阿鼻叫喚の地獄絵図としか言いようがない残酷な光景だった。
 そして蛇足ながら、当時の成人式に出席する若者の服装はスーツや晴れ着などではなく、ジャージに運動靴というのが 通常であったということも付け加えておこう。

 だが、今は違う。世界はやっとあるべき姿に戻ったのだ。
 DDR法が施行されていた頃は、運動能力に自信がない若者や老人、伴侶を失って後を追おうとする者の自殺など、 悲しみにたえない出来事があまりにも多すぎた。
 ある日突然、隣人や自分が社会不適合者として日常から消え失せるという恐怖。怯えていた。誰もが怯えていた。 人々は、恐怖から逃れるために努力を強いられた。無駄な努力だと笑い蔑むことなど誰にもできるはずはなかった。 誰も彼もが、認められない努力を続けていた。
 だが、それも終わった。時代は、平穏を求めていた。もう、怯える必要はない。暗黒の時代は終わった。
 誰にも認められない暗い情熱の時代は、終わったのだと、誰もが、そう思っていた。






「諸外国でも、システムDDRの導入を検討し始めたようですな」

 DDR健康管理省。通称DDR省。その巨大なビルディングの一室で、何者かの冷静な声が響き渡っていた。 窓からの陽射しが逆光となって、男の姿は細身のシルエットしか認めることはできない。男は手にしていた バインダーを閉じると、口元に歪んだ笑みを浮かべてこの部屋にいるもう一人の男の方を振りかえった。

「当然だろう。何も、高齢化社会に悩んでいたのは我が国だけではないのだからな」

 彼は言い終わると、横柄な態度でふうっと、タバコの煙を吹いた。陽射しに照らされた紫煙が、空気中の塵とともに漂う。 そのゆらめきは、これからこの国を再度覆おうとしている暗雲のようでもあった。

「問題は、そのような社会的なことだけではありません」

 男はバインダーを机の上に置くと、そのまま軽快に歩きながら話を続けた。

「根本的に、システムDDRは人間の社会にとって必要不可欠なものなのです。自然界では、能力のない個体は 淘汰され、捕食される運命にあります。しかし、人間の場合はその社会性故に、能力のない者も生かされ続けるのです。 それは、むしろ残酷な救済と言えましょう。彼らは一生劣等感を味わいながらも、権利の名の元に生き続けなくては ならないのです。それは、生物としてあまりに惨めな姿だと言えるでしょう。DDRは、人間にとって生物学的に 必要なシステムなのです」

 灰皿にタバコを押し付ける音がした。冷笑を具現化したような音であった。

「難しいことはワシにはよくわからんがな」

 椅子から立ちあがりながら、話し続ける。

「とにかく、引き続き今の役職につけるだけでもありがたいわい。なんと言ったかな? 新しい省庁の名前は」

 思想を軽視し、保身のことしか考えていない発言を受けて、やや不愉快といった様子だったがともかく 彼は答えた。

「DDR先進国である我が国としては、世界をリードしていかなくてはなりません。そこで、DDRを上回る 新しいシステムの準備を急ピッチで進めています。省庁名は、そのシステムの名前に準じて」

 冷徹な笑みを浮かべて、彼は言った。

「SSR健康管理省となります」






 今や娯楽施設と化した元DDRトレーニングセンターでは、今日もダンスに興じる若者達の姿があった。  リズムに合わせて体を動かすことは楽しいものだということを、彼らは久しぶりに思い出していた。  なぜ踊るのかというと、楽しいからだ。
 そんな単純なことを、ずいぶん長いこと人々は忘れさせられていた。歴史上、どんな地域を見ても 人々は踊っている。踊ることは、気持ち良いのだ。
 無意味に体を動かし、汗を流し、リズムを求める。ただそれだけのことだった。
 もう、誰も険しい顔をして矢印を追う必要はないのだ。
 彼らが外に出ると、気持ちの良い風が吹いてきた。汗を拭いながら空を見上げると、抜けるような青空が 広がっている。
 その空は、新しい時代を迎えた彼らを祝福しているかのようにも思えた。



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