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就業日誌

平成12年11月7日(火)

 仕事の昼休みに銀行で金を下ろしたのですが、そのときの預金残高を見て「この金を買い物公園のビルの屋上からバラまいたらどんなに爽快だろう」と想像し、うっとりと目を細めたりしました。

「何をバカなことを」と皆さんは仰られるでしょう。
 ちよっと真剣に考えてみたのですが、日頃の鬱憤を晴らすのに人を殺す人はいたとしても、ビルの屋上から金をバラまく人というのはそうはいないのではないでしょうか。
 もしかしたら、歴史上でも一人もいないかもしれません。
 少なくとも、私はそんなことをした人物の噂は聞いたことがないのです。
 昔、ドラマの中では長渕強がヘリに乗って金をバラまいてましたが。
 もし実際にこの驚くべき行動をやってのけていたなら、彼は歴史上に名を残す英雄になっていたような気はしないでしょうか。

 では、もし実際に私がビルの屋上から金をバラまいたとしたら、その後の私を取り巻く世界はいったいどのように変わるでしょうか。
 容易に想像できることとしては、奇人変人扱いどころか狂人として見られることがあるでしょう。

「なんでそんなバカなことをしたんだ」
 いや、そんなことを言われても、そもそもバカなことをしたかったんだから仕方がないのでは。
「そんなことをするぐらいなら俺にくれれば良かったのに」
 それでは意味がありません。私は金を『捨てた』のではなく、自分の愉しみのために『使った』のです。
「金を粗末にするな」
 金は尊いからこそ、この行動に価値があると思うのですが。
「動機はなんなんだ」
 生まれてきてしまった腹いせです。

 ダメです。
 なんと言い訳しようとも、実際にやってしまった後では全て手遅れであり、私の社会的信用は失墜し、病院を紹介され、治療を勧められるに決まっているのです。
 想像してみてください。
 もしもあなたがビルの屋上から金をバラまいたとしたら、周囲の人達がどんな目であなたを見るのかを。
 新聞にはあなたの名前が実名で掲載され、自宅には週刊誌の記者が押し寄せ、市民団体からは抗議の声が絶えません。
 赤の他人にとっては笑い話のタネでしょうが、親兄弟は涙を流しています。
 いったい彼が何をしたというのでしょうか。
 ただ単にビルの屋上から金をバラまいただけで、まるで人殺しのようなこの扱い。
 彼はこのとき初めて、『金を粗末にする』ということに対していかに一般の人々が強い拒絶反応を示すのかを、思い知ったのです。

『ジパング少年』というマンガで読んだことがあるのですが、人間は例え記憶喪失になったとしても金のことだけは絶対に忘れないのだそうです。
 人間が金を得ようとするのは、もしかしたら本能なのかもしれません。
 その金を粗末にするということはまさしく本能に逆らう行為であり、ビルの屋上から金をバラまくという行為は、投身自殺以上に自暴自棄で異常な行動なのかもしれないのです。
 実際にやってみてようやくそのことに気付いた彼は、金というものの持つ力、呪いの魔力にただただ恐れおののき、社会と隔絶された布団の中にじっとうずくまることしかできませんでした。

 と、このようなことで仕事中にずっと悩んでいたのですが、これでいかに今の私が精神的に病んでいて更新どころではないかがお解りいただけたでしょうか。



※そもそも、金をそういう風に扱うのは犯罪だったような気が。


平成12年11月20日(月)

 実はすっかり忘れていたのですが、Q書房の第6回3000字バトルの結果がとっくに発表されてました。忘れていたので、投票もしていません。参加したからには必ず投票しようと心に決めていたと言うのに、なんという堕落ぶりでしょうか。

 で、結果ですが。
 ええ、予想通り私の「メテオ貫通トンネル」は一票も獲得できませんでしたとも!
 まあ、あれで一票でも獲得できていたらその方が異常だと思うので別にいいのですが、あんな作品でもちゃんと感想を書いてくださる方が数名おられたりして、恐縮しつつその感想を読ませていただきました。
 読んでみると意外と好意的な評価もあったりして驚きだったのですが、やはり相当批判的でキツイ感想もありました。

「終わらなかったから殺した感じ。未消化作品。作者本人がアイディアや今までの文章には意味がありませんでした、と言っているようなもの」
「大工が家を最後まで責任をもって建てるのと同様、物語を書く人も責任を持って決着をつけて欲しい」

 まあ、あの作品はそういうものだということは自覚した上で投稿したのですが、やはり他人に言われてみると衝撃が違うというか、なかなかショックだったりします。
 というか、何かこう沸沸と湧き上がって来る悔しさのような感情がまだ私の中にあったことに、自分で驚きました。
 やはり創作というものは、自己完結して悟ったような気になっていてはいけません。
 例え聞こえてくる感想が予想の範囲内だったとしても、他人の批判を直接受けることは作品の参考になるばかりではなく、精神的に大きな刺激になるのだということを改めて思い知りました。
 と、なんかちょっとまともに小説系サイトな文章を気取ってみましたが、それじゃあすぐにでも小説を書き始めるのかというと、それはまた別の(以下略)


平成12年11月26日(日)

 久々にリンクを更新しました。当ボイラー室にリンクを張ってくださった、とり子さんの『つぐみ農場 On ねっと』です。
 コンテンツを読んでいて思ったのですが、読んでいるうちに小説よりも雑文の方に目がいってしまうのがどうにも。
 いや、なんかリンク張っておいてこんな批判めいたことを書くのはどうかと思うのですが、こんなことを書くのは、これが私のサイトの場合だったらどうだろう?と思ったからで。
 例えば、雑文と小説の両方が同時に更新されていたりしたら、果たしてウチに来てくださっている方々はどちらを先に読むんだろう、とか。
 要するに、私の書くものは小説と雑文のどちらが面白いんだろう?などと思ったわけです。
 まあ、基本的に小説よりは雑文の方がお手軽だし、書いた人の考え方とかがダイレクトに分かったりするのも雑文の方なので、なんとなく皆さんも雑文の方を先に読んでしまうのではないかと思うのですが。
 文庫でも、後書きを先に読んでしまう人は多いですし。
 結局、どちらが面白いとかいう問題ではないような。
 むう、結論出すの早すぎであまり良い文章ではありませんね。
 最近、自分の思考を文章で引き伸ばすのがなかなかできなくて、弱っています。

 今閃いたのですが、雑文をわざと「読むな」と言わんばかりにつまらなく書けば相対的に小説が面白く感じられるのではないかという、悩める文芸サイトにとって有用ではないかと思われるサイト運営テクニックを思いつきました。
 このテクニックの欠点は、単なるつまらないサイトになってしまう恐れがあることでしょうか。
 やめた方がいいと思いました。


平成12年11月30日(木)

・久々にリンク集の整理したり、紹介文を書き換えたりしていました。
 少し前まで、以前は毎日チェックしていたサイトもロクに巡回しなくなるという堕落ぶりだったのですが、最近は少しづつネットワーカーとしての自分を取り戻しつつあります。
 久々にリンク先のサイトを見て回ると、嶽花さんが結婚していたり、Bakajinさんがメルマガを発行していたり、渡邊モリヲさんがコジャレになっていたりと、私が堕落している間にも世の中は動いているのだという当たり前のことをしみじみと実感しました。

・さて、突然ですが、思い立って今日から旧来のトップページに戻しました。
「トイレット娘。も終了していないというのに、あのトップ絵を取っ払うとは何事ですか」
などという非難の声は、容易に予想できます。
 おそらく当ボイラー室の常連の皆様は、さぞかしご立腹のことでしょう。
 私のやったことは非難を浴びて然るべきものであり、失望されようがブックマークから削除されようがリンクを外されようが、全く文句の言えたことではありません。
 しかし、ここで私を親の仇と言わんばかりに掲示板を荒らしにかかる前に、私の言い分を聞いていただけないでしょうか。

 まず皆さんに知っていただきたいことは、私はあのトップ絵にしていたCGを目にする度に、正体不明の脱力感を覚えるということです。
 実感のこもった文章で表現することができないのがもどかしいのですが、私はあの絵を見る度に、これが自分の運営しているサイトだということが信じられなくなるのです。
 確かに以前のトップページもお世辞にもカッコイイとは言えない三流サイトの風体でしたが、あのCGをトップ絵にしてからは、自分のサイトを見る度に、まるで日曜日の朝に目覚まし時計が鳴ったときのように、これは何かの冗談ではないかと自分の目を疑ってしまうのです。
 私はこれまで、自分なりに誇りを持って自分のページを更新してきました。
 しかし、あのCGが飾られたトップページを見て、いったいどこに誇りなど見出すことができるというのでしょうか。

 ここまで読んで、そもそもそんなに文句を言うぐらいなら最初からトップページに飾るな、と思った方もおられるでしょう。
 事実、その通りです。あのCGを贈っていただいたろーたろうさんにも、「あのように飾られるとは思わなかった」と言われました。
 しかし、今まで三年間も一つのサイトを運営してきて初めて貰った記念CGを前に、価値観の錯覚を起こしてしまった私をいったいどこの誰が責められるというのでしょうか?
 いや、誰にも責められはしません。断じて責められるわけはないのです。もしそれでもあなたが私を責めるというのなら、それは誕生日のプレゼントがバーチャルボーイだったことに仕方なく喜んでしまった幼い子供を責めるのと同じ行為なのです!

 というわけで旧来のトップページに無理矢理戻した私の気分は澄み渡った青空のように実に爽快で、勢いでトイレット娘。の続きでも書こうかと思いましたが、あのCGを引っ込めた途端に更新したのではろーたろうさんが
「機ィ殿が更新できなかったのが自分のせいだったとは……」
などと自分を責めて苦しんでしまいそうなので、それを防ぐためにひとまず今世紀いっぱいぐらいは当ボイラー室の更新をサボるという案はどうでしょうか。







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