OWEN

ここは、イングランド代表でベッカムのチームメイトのワンダーキッドこと マイケル・オーウェンのコーナーです。
 

若干18歳でフランスW杯に

出場したワンダーキッド!!

W杯後はイングランド代表の

10番を託される!!!

エースストライカーして

一層の飛躍に期待大!!

 ←(ベッカム&オーウェン)


名前 マイケル・オーウェン
ポジション FW
背番号 10(ENG代表) 11(R・マドリード)
生年月日 1979年12月14日(25歳)
身長/体重 175cm / 65kg
所属クラブ レアル・マドリード
代表歴 国際Aマッチ18試合出場11得点(過去のデータです)
年棒 4億8000万円(過去のデータです)

96〜97年シーズン終盤のウィンブルドン戦に途中出場でトップデビューを果たし、 その1分後のゴールゲットから”ワンダーキッド(驚異の少年)”というニックネームが誕生した。 その翌月にはマレーシアで行なわれたワールドユースでU-22のメンバーとして参加し、5試合で3度
ゴールネットを揺らした。しかし9月にU-18として戦ったユーゴスラビア戦で相手DFのムラトビッチに ヒップアタックを決めて退場処分を受け、
初めて停滞を余儀なくされる。おそらくワールドカップのアルゼンチン戦で名誉を傷つけられたベッカム の退場劇は、彼にとって心の痛みを呼び覚ますものであったのだろう。あの出来事をこう語ってる。 「彼がこんなに批判されなきゃいけない理由なんてないよ、僕にも同じ経験があるから彼の気持ちは分かる んだ。こういうのは、ふとしたキッカケで起こるもので、選手は試合に深く関わってて勝ちたいと思うあまり、 フラストレーションが引き金となって理解できない行為をしてしまう。それに試合が終わってから デイヴィッドがどれだけ落ち込んでいたかも僕は知ってる。 彼はロッカールームで全員に頭を下げて回ったんだ。彼が謝る必要なんてなかったのにね。」 10月にはイングランド代表に初めて召集され、翌月にはリバプールと4年間、周1万ポンドの条件で契約更新 を行い、2月のチリ戦でわずか18歳と59日の早さでフル代表デビューを飾る。

97〜98シーズンには18ゴールで得点王のタイトルをハートソン(ウェストハム)、コール(マンチェスター・U) と分け合い、FA最優秀選手賞と
選手投票によるPFA最優秀新人賞を受賞した。その後も代表のモロッコ戦で決勝ゴールを決める活躍でフランス W杯のメンバーに選ばれる。 チュニジア戦は5分間だけだったが初出場を飾り、ルーマニア戦では途中出場で同点ゴールを決めW杯初ゴール を記録し、コロンビア戦ではスタメンを獲得。そして、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦で伝説の ゴールが生まれた瞬間をこう語ってくれた。 「デイヴィッドから最高のパスがきて、どうすればあのパスを最高の形で生かせるか判断してドリブルを選んだ んだ。アルゼンチンのプレーヤーは足を引っかけようとしたり、引きずり倒そうとしてきたけど、気が付くと 目の前にいきなり最後のDFが入ってきたんだ。そのDFを抜いた時、視界の隅にスコールズが走ってくるのも しっかり見えたんだけど、ボールが足下にあったからこれなら自分で決められるって思ったんだ。」
試合は2-2のままPK戦に突入し、オーウェンは成功したが、イングランドは2人失敗して激闘は終わった。

98〜99シーズンには、2年連続で得点王を獲得し、代表では10番を背負いユーロ2000の予選に参加した。 ルクセンブルク戦(アウェー)にはゴールを決めチームの勝利に貢献した。

99〜2000シーズンは左膝と右太ももの負傷のため序盤戦は欠場していたが、第5節のアーセナル戦で プレミアリーグ復帰を果たし、代表もユーロ2000予選のルクセンブルク戦(ホーム)での復帰第1戦で ゴールを決め復活をアピールした。

00〜01シーズンでカップ戦3タイトルをリバプールが独占!その中心にオーウェンがいたことは言うまでもない。 ワールドカップ欧州予選でもオーウェンは大活躍!!ドイツとのアウェー戦ではハットトリックの活躍!! ドイツに5‐1と歴史的勝利に貢献し、翌節のアルバニア戦でも得点を決めてエースストライカーとしての実力を示した。

2002W杯では2得点を記録。2004ユーロでは1得点を記録した。04〜05シーズンからレアル・マドリードに移籍し活躍中。

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