「二人でお茶を」

後編
かえでの部屋の前に立つとマリアはトレイを左腕に載せ片手で支えた。
空いた右手を軽くひねり眼の高さまであげドアをノックしかけた。
その手がドアに触れる直前で止まる。
丁度その時部屋の中から洩れ聞こえてきた会話に躊躇したのだった。
『……駄目じゃないか。』
『大丈夫よ、それに今夜中にやってしまわなければならない仕事が残っているから……。』
『いや駄目だ、駄目だ。まだ熱も下がっていないじゃないか。
ほらこれを飲んで早く横になるんだ。』
『……ありがとう。』
『そうそう、素直に休むんだよ。』
普段のあの二人のやり取りからは想像しがたいような会話が繰り広げられている。
でも、そういうものなのかもしれない。
大切な人の側に居る時は。
(私は?私もそうなのだろうか?)
何気なく聞いてしまえば他愛のない会話なのにさり気なくお互いを思いやる言葉。
マリアはふっと微笑むとそっと右手を下げた。
風邪で寝込んでいるかえでと看病する……。
二人の為にいれて来たお茶だったのだが今は必要無かったようだ。
「どうやら余計だったみたいね……。」
そう小さな声で呟き踵を返そうとしかけたが思い直した様にサロンに向かって歩き出した。
せっかく用意したお茶だもの一息入れてから部屋に戻ろう、と思ったのだ。
副指令室の隣の部屋の前を通りかかった時、急にドアが開いて大神が出て来た。
これから夜の見回りをする為だろう懐中電灯を手にしている。
「やぁ、マリア。」
ドアを開けたとたんにマリアが視野に入ってきたのでちょっとびっくりしたように大神は声をかける。
「隊長、これから見回りですか?御苦労様です。」
「いや、これも仕事だからね。マリアこそこんな遅い時間にどうしたんだい?」
お茶の用意をしたトレイを抱えているマリアの様子に怪訝そうな表情で尋ねた。
「……いえ、……サロンでお茶を飲んでから休もうかなと……。」
「そうか、余り遅くならないうちに休むんだよ。
春めいて来たとはいえまだ夜は冷えるし、風邪も流行っているらしいから。
そう言えば、かえでさんも寝込んでいるそうだし。」
「はい。」
「マリアに風邪をひかれたら大変だから。
お茶を飲んで身体が温まったらすぐ休むんだよ。
風邪の予防には充分な休息だからね、マリア。」
「隊長……お気遣い、ありがとうございます。」
マリアは大神の優しい言葉に頷きながら、もう少しだけ大神と言葉を交わしていたいと思った。
多分今耳にしたかえで達の会話のせいかもしれない。
「そうだわ、隊長。もし宜しかったら見回りの前にお茶を一杯いかがですか?」
マリアの言葉に大神はにこやかに微笑みを返しながら応えた。
「うん、そうだな、御馳走になろうかな。それにしても随分準備が良いんだね、マリア。」
トレイに眼をやりながら大神が言った。
マリアが二人分のティーカップを用意しているのに気付いて言った言葉だ。
大神の視線を追ってマリアもトレイに眼をやりちょっと赤面しながら付け加えた。
「ごめんなさい、隊長。実はこれ……。」
歩きながらマリアは簡単に説明した。
大神は先に立ってサロンのドアを開けるとマリアが通る間ドアを押さえていてくれる。
マリアはテーブルの上にトレイを置くとカップに茶漉しを乗せ、コゼーを外してポットからお茶を注いだ。
紅茶の香ばしい香りが広がる。
「ジャムはどうしますか?隊長。」
「マリアと同じでいいよ。」
「じゃ、2杯入れますね。どうぞ」
ソファに腰掛けた大神にソーサーに乗せたティーカップを渡すとマリアも自分のカップを手にしてその横に腰掛けた。
「ありがとう、マリア。」
そう言って一口お茶を啜ると大神はマリアに尋ねた。
「あれ、いつもと味が違うけれど?」
「あ、かえでさんの為にと思っていれて来たものですから……。」
「ああ、そういえば随分前に話してくれたね、風邪をひいたらラズベリージャムを入れたお茶を飲むと良いって。」
頷くマリアに大神は続けた。
「子供の頃は大好きなラズベリーのジャムを沢山入れて貰えるので風邪をひくのが楽しみだったって……。
最後にもう一匙入れてくれるようにお母さんにねだったって話していたよね。」
大神にその話をしたのが何時どんな状態でだったか思い出したとたんに顔に血が上って火照るのが判った。
動揺した気持ちを押さえようとマリアは頬を染めながらお茶を一口飲んだ。
それからテーカップの中で甘くすっぱいラズベリーのジャムがゆらゆらと揺らめいているのを見つめながらようやく口を開いた。
「隊長……、そんな……、そんな事まで覚えてらっしゃったんですか?」
マリアの問いかけに大神は照れたような表情を浮かべながら頷き黙って残りのお茶を飲み干すと立ち上がった。
テーカップをテーブルの上に置きながらマリアの方を振向くと名残り惜しそうな顔で言った。
「御馳走様、マリア。美味しかったよ。さてと、もう一仕事片付けてくるとするか。」
「そうですね、ではそろそろ……。」
ソファに腰掛けたままのマリアの頬に大神は前屈みになって顔を寄せた。
マリアは瞳を閉じると甘く優しい溜め息をつきながら唇を重ねた。
「……お休み、マリア。」
「……ええ、おやすみなさい……隊長……。」
 
 

サロンから出て行く大神の後ろ姿を見送った後マリアはテーセットを片づけながらそっと呟いた。
「One for you、 one for me、 and ……」

 
 
 
 
 
1999・7・30(完)
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