『以前、藤枝副司令より話のあった新隊長が本日着任してきた。
海軍より帝国華撃団に配属された大神一郎少尉。
支配人室の前で出会ったので挨拶をする。
少尉は着任直後でかなり不安そうだった。
「若い男の子が女の子達の中にいきなり放り込まれたら戸惑う事も多いでしょうから、サポートしっかりお願いね。チームリーダーとして。」とは、副司令の弁。
確かにあの雰囲気では副司令の言うように花組を統率していくのは心もとない。
しかも来た早々に隊の規律を乱す行動が見受けられた。
早計な判断はまずいのだろうが、私はまだ彼を「隊長」とは呼べない。
隊長として受け入れられるだけの器かどうか見極めてからでなくては。
少尉を隊長として認める事が出来たらその時に初めて「隊長」と呼びたい。
しかし米田長官が能力の無い人間を隊長として召喚する訳は無いはず。
しばらくは様子を見る事にしよう。』
ここまで書き終るとマリアはペンを置いた。
「隊長…………か。」
小さくため息をつくと、首筋の後に手を回して金色の細いチェーンの止め具をはずした。
チェーンの先に下がる丸い金色のロケットを大切そうに掌の上に乗せ握り締めた。そのままどの位時間が過ぎただろう。
「……隊長。」
そうつぶやくと両手で顔を覆った。弾みでマリアの手から転げ落ちたロケットが床にぶつかり軽い金属音をたてた。その拍子に閉じていたロケットの蓋が開いた。
椅子から立ち上がってロケットに手を伸ばそうとしたマリアは蓋が開いてしまったのに気付き慌てて拾い上げた。掌の上にロケットを乗せると中の写真を見つめ中指でそっとなぞった。
(戻れない、でももう一度だけ……、隊長。)
崩れ落ちるように椅子に座り込むと、両肩を指が食い込む程にきつく抱きしめた。硬く瞳を閉じ、仰け反った喉元がしらじらと月明りに照らされている。唇を震わせるマリアの頬を一筋の涙がこぼれ落ちた。
「はぁっ…うっ…うぅっ、あぁっ……。」
押し殺した嗚咽が堪えきれずにマリアの唇から漏れる。
(こんな弱い心はニューヨークを出る時に捨ててきたはずなのに……、なぜ今頃……。)
昼間の怜悧明晰な彼女の姿から誰がこんな哀しい泣き声を想像出来るだろう。
しかし今の彼女の姿を見たとしたら、たとえどんなに冷たい心の持ち主でも、いや悪魔でさえも彼女の側に駆け寄ってその涙を拭う為のハンカチを差し出してしまうに違い無い。
ひとしきり泣いた後でマリアは涙を拭うと、気持ちを切り替えようとして先ほどまで書き込んでいた日記帳を手に取った。
もう一度読み返そうとしたのだが、書かれている文字は意味の無い記号の羅列にしか見えなかった。
日記帳を閉じると、マリアは机の上に置いてあるもう一冊目のノートを開いた。
しばらく白紙のページを見つめた後、決心したように再度ペンをとって書き始めた。
『大神一郎少尉、着任ご苦労様です。私が今まで帝国華撃団、花組のチームリーダーとして果たして来た……。』
その後、夜更けまで静まりかえったマリアの部屋の中では、紙の上をペンが走るかすかな音が鳴り続けていた。
<マリアの日記、5月某日>
『今月は私とさくらが舞台に立つ。フランス革命の話……。愛ゆえに、愛だけで、革命……。どうしてあの時私は、いや考えてはいけない……。』
『花やしき支部から副司令が戻られる。』
『赴任してきて一月経ち少尉も随分帝撃に馴染んできたようだ。責任感も気配りも、隊員達をまとめるための努力も見受けられる。ただ実戦に於いてそれらがどう出て来るかまだ不確定な要素の方が大きい。まだ駄目。例のノートは無駄になるかもしれない。』
<マリアの日記、6月某日>
アナウンス「これにて帝国歌劇団花組公演シンデレラを終了させていただきます。」
「あの、マリアさん。今日はどうかしたんですか?」
カーテンコールが終って舞台袖に戻った時小声でさくらが話かけてきた。
「……。」
「あ、マリアさん……。あぁ、行っちゃった。本当にどうしたのかしら?マリアさん。」
『夢。昔の夢。忘れたいのに……。』
「探していたんです。ありがとうございました。」
マリアはロケットを拾って貰った礼を言った。
「失礼します。」
「あ、マリア……。」
まだ何か話しかけたそうにしていた大神をその場に残し、部屋に入ったマリアは鏡の前に立った。
(私としたことがこのロケットを落とすなんて……。)
ロケットを身に着けながら大神の言った言葉を思い出した。
(この、……ロケットが綺麗だなんて。)
コートのベルトを解きながらベッドへ向かって歩き出す。
(眠るのが辛いわ……。また今夜もあの夢を見るのかしら……。)
いつもの様にロケットだけを身に着けた姿でベッドに入るとゆっくりと眼を閉じた。