相も変わらずの暴力と罵声と嘆き。それらの、人間の持ちうる最も醜く、最もエネルギッシュな 力の渦が、塀の上に陣取っている人間たちを戦慄させる。こんなことが、いつまで続くというのだろうか？
こんなことが毎日のように行われることがどれだけ異常なことか。これを行うことを義務付けた奴らは、 まともな心を持った人間なのだろうか。正気の沙汰とは思えない。狂っている。あまりにも狂っている。
『塀の上』にＤＪブースを構え、そこに陣取っている彼らは、およそまっとうな人間の仕事とは思えぬ
作業に従事していた。そこに陣取った彼らはＤＪ（デス・ジョッキー）と呼ばれ、その非情な職務内容から
一般の人々からは蔑みの目で見られていた。
彼らの仕事は、システムＤＤＲの課題曲をクリアできなかった者の選別、そして選別された人間から
戸籍を剥奪し、そういった人々から社会参加の権利を奪う最後の手を直接下すこと、即ち塀の内側、
『保護区域』に追いやることであった。
彼らとて、好き好んでこのような非人間的な職務に就きたくて就いたわけではない。だが、おりしも
日本は空前の大不況。仕事を選り好んでいる余裕など、現在の日本にはあろうはずもなかった。日々の糧を
得ることが精一杯の人々にとっては、どんな仕事であろうとも日銭が稼げるだけでありがたいものの
はず。
そのはずだ。だが……。
「次の受験者を上げてくれ」
ＤＪは、力のこもった口調で言った。今しがた、またしても一人の社会不適応者を『落とした』ばかりだ。
彼は気が重かった。だが、だからといってその感情を表に出すわけにはいかない。そんなことでは、この職務は
務まらないのだ。
良心の呵責に苛まれ、精神に異常をきたしたＤＪを彼は何人も知っていた。そして、そうなった
彼ら自身もまた、ＤＤＲによって社会不適応者となっていったことも。
感情を、心を殺さなくてはＤＪは務まらない。今の彼は、彼の形をした機械、システムＤＤＲの一部なのだ。
塀の外側では、ＤＤＲの受験者たちが緊張した面持ちで列に並んでいた。憑かれたようにシャドウステップを
する者、脚譜を見てブツブツ言いながら足踏みしている者、この期に及んでも羞恥心から体を動かすことを
ためらい、練習している受験者を奇異の目で見ている者。
彼らにとっては、もはやダンスとは娯楽などではない。社会的に生き残るための苦行と化しているのだ。
「入りたまえ」
列の先導員が、先頭の受験者を促した。受験者である中年男性は、促されたままに歩き出す。
その歩く先には、奇妙なことに『鉄の檻』としか言いようのない、禍禍しい箱型の物体があった。
その中には、目線の高さにモニターが設置され、床にはＤＤＲのフットパネルが貼られている。
中年男性が中に入ると、鉄格子が閉められた。瞬間、いわれのない恐怖を感じる。
先導員が合図を送ると、塀の上に設置されたクレーンによって、『鉄の檻』は持ち上げられていった。
『檻』が塀の上にまで持ち上げられると、クレーンは旋回して、『檻』を『塀の内側』の上空にまで
掲げた。そして、そのまま無遠慮に下降させていき、地上４メートルほどのところで『檻』を固定させる。
『檻』の中にいる中年男性の眼下には、『檻』を見上げて狂ったように騒ぎ立てる社会不適応者たちの
姿があった。彼らは『檻』の中年男性に向かって、口々に騒ぎ立てた。
「落ちろ中年！」
「合格しようなんて思うなバカヤロー！」
「とっとと降りろ、オヤジ！」
「地獄に落ちろ！」
「落ちろ！」
「落ちろ！」
「落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！ 落ちろ！」
それは、社会不適応者となった者たちの、地獄の底から噴出するマグマのような叫びであった。
「ひいっ」
中年男性は恐怖心から顔面蒼白になり、ガクガクと震える膝を支えきれずに尻餅をついてしまった。
そこへ、スピーカーを通して容赦なく通告する声があった。ＤＪのアナウンスである。
「さあ、それではイッてみようか！ この試験に落ちたら社会復帰するのは絶望！ イカれた奴らに ならないためにも死ぬ気で踊らされてくれ！ それでは最初のナンバーはこれだ！ ちょいと厳しいぞ！ いってみようか、『リトルビッチ』！」
ＤＪが言ってるそばから曲がかかり、群集の盛り上がりは一層激しくなった。中年男性は慌てて
立ちあがり、モニター画面にせり上がってくる矢印の通りにステップを開始しようとした。
だが思わぬことが起こった。本人の意思に反し、緊張と恐怖のあまり、体が震えて言うことを聞かないのだ。
さらにこのことで動転した彼はパニック状態に陥り、この日のために練習して体に覚えさせたはずの
脚譜を完全に失念していた。
もはや正気を保てなくなった彼は、結果的にみっともなく足をバタバタと動かし、あがき、もがき、
のたうちまわるように動くことしかできなかった。いつのまにか自分が涙を流して嗚咽していることすら、
彼の意識の外にあった。
そして、群集の嘲笑が彼の耳に届く。彼の精神は恥辱に苛まれ、もうダメだ、これ以上続けたくない
というあきらめに襲われた。そう思った瞬間、冷静にモニターを見ると、ちょうどダンスゲージが
なくなりかけているところだった。
画面上にはMISSやBOOの文字が踊り、ゲージが回復する兆しはない。
瞬間、彼の脳裏に走馬灯のようにこれまでの彼の人生、つらかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、
その他もろもろ、家族や親友たちのことなどが、次々と脳裏をよぎっていった。
人生を振り返らなければならないときがきてしまった悲しみに彼の心は包まれた。
だが、これまでの彼の人生を振り返るには『リトルビッチ』のＢＰＭはあまりにも早く、あまりにも
あっけなくその瞬間はやってきた。
唐突に、「ガンッ！」という鈍い音と共にモニター画面の中で壁のようなグラフィックが表示される。
「あっ」と思ったときには、彼の体は宙に浮いていた。『檻』の床が開き、彼は落とされたのだ。
落下した彼が地上に叩きつけられると、群集たちは歓喜の声をあげてさらに熱狂をヒートアップさせ
ようとしていた。
「次の受験者をあげてくれ」
ＤＪは、たった今人生の社会的終局を迎えた中年男性のことなど振り返る余裕もなく、 力のこもった口調で言った。
人よ、彼らに名を問うなかれ。
今の彼らには、心はない。生きてはいない。死んでいる。誰もが死んでいる。
デス・ジョッキーと呼ばれる彼らが殺すのは、ＤＤＲの受験者ではない。
彼ら自身の心なのだ。