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誰にも認められない暗い情熱

第三回 失業者回転制度

 一人の男が、一心不乱に回転の練習を続けていた。
 彼の前後にはDDR受験者の列が延々と続いており、皆一様に緊張と恐怖の面持ちを隠すことが できずにいる。今日も、システムDDRによる社会適応者の選別は続いているのだ。
 だが、回転の練習を続けている男の顔には、周囲にいる受験者たちとは一線を画する、鬼気迫るような 決意と覚悟の表情が表れていた。流れる汗を拭おうともせずに、彼の肉体は回転のためのステップを 反復している。彼を含む周囲の受験者たちはすでに小一時間は列に並んでいるのだが、その間彼の 動きは一度たりとも止まることなく自らの肉体が生み出した遠心力と戦っているのだ。
 その様子に周囲の受験者たちは圧倒され、自分の課題曲の練習も忘れて男の回転に見入っていた。 そして、その姿に悲壮感を感じる者も少なくはなかった。

『失業者回転制度』。
 この制度はその名の通り、失業中の者は課題曲をただクリアすればいいというのではなく、 その曲によって決められている規定回転数分の回転を達成しなくては合格とは認められないというものである。
 システムDDRによってかなりの高齢者に『適切な処置』を行うことに成功したものの、依然として国内の 失業率の増加は留まるところを知らず、毎年のように『景気は底を打った』と言われながら倒産している会社の 数を見ればその発言の無意味さにため息せざるを得ないという状況が続いていた。
 政府にとって、失業率の増加を抑えることは火急の要請である。
 では、失業率を低下させるためにはどうすればいいのか。結論はもちろん、失業者の数を減らせば良いという ものであった。

 こうして、失業者にはDDRの受験の際に一層厳しいノルマが科されることなる『失業者回転制度』が実施 されることになった。あまりの理不尽さに、当然のことながら世論は猛反対したがすでに経済的に手段を 選ぶ余裕などはなく、この制度は断行された。
 この制度の非情さの最たる部分は、『失業者=職についていない者』と単純に図式化されていることであった。 例えば、専業主婦なども『失業者』と見なされてしまうのだ。

 彼は、最愛の妻を失っていた。彼の妻は、『バタフライで10回転してクリアすべし』という課題を達成できずに、 DDRの餌食になったのだ。そのときの彼の怒りと悲しみを、どのような言葉を持ってすれば表現できようか。 何もかも、狂っているとしか言いようがなかった。

 彼は失業者ではない。すでに身寄りもなく、男の一人暮しで生活は荒れ放題、汚らしく伸びた無精髭がそれを 表しているとはいえ、現在もサラリーマンとして会社に出勤し、なんとか毎日を生きてきているのである。したがって、 彼にはDDRの回転の練習をする必要性などまったくなかった。
 だが、彼は心に誓っていた。成し遂げれば、妻が帰ってくるわけでもない。端から見ていればまるで無意味な 努力かもしれない。リスクが増すだけかもしれない。だが、誓ったのだ。『妻の代わりに俺が回ってやる』と。

 今、彼は『檻』の中にいた。その『檻』はクレーンで吊るされて、『塀の内側』で熱狂している群集の頭上 に晒されている。やっとそのときが来たのだ。彼は今一度覚悟を決めようと、心を奮い立たせる。すでに彼の体からは 湯気さえも立ち上っているのではないかと思わせるほどの熱気と汗がほとばしっていた。
 そして、ついにDJのアナウンスがスピーカーから流れた。

「さァ! そォれでは次のダンサー、イってみよう! 彼はこのステージを今か今かと待ちつづけて 列の中で回りまくっていたアツイ男だ! クレイジーな回転を見せて欲しい! 曲は、ちょおっと キビしいナンバーだが、存分に回ってくれ! 『トリップマシィィィーン』!」

 曲名にふさわしい、狂気のような旋律が流れ始めた。いや、流れ始めたのは狂気そのものといったところか。
 彼は、最初から回った。練習していた通り、順調な滑り出しだった。普通ならどう見ても回れなさそうな 個所もジャンプして無理矢理回り、さらには強力な遠心力が発生する外回りの足運びさえも使い、彼は回り続けた。
 いつもなら狂ったような罵声を浴びせる群集も、彼の気迫に圧倒されるように普段よりもおとなしく、 その回転に黙って見入っているような印象さえ受ける。そして彼自身は、群集に見られているというプレッシャー など微塵も感じておらず、ただ失った妻のことだけを考えていた。

 ところが、曲の終盤に差し掛かるところで、思わぬことが起こった。床に滴っていた汗に足をとられ、スリップしたのだ。

「!」

 そのとき彼の体には凄まじい遠心力がかかっていたため、彼は派手に体を横転させた。慌てて体を起こすと、 今のミスがたたってすでにゲージがなくなりかけている。彼の心は動転し、とにかくゲージの保持に全神経を 集中させようとした。
 だが、そのときのDJの実況が彼をさらに動揺させた。

「オオッとォ〜、もはや彼の回転もここまでかッ!」

 そうだ、俺は回らなくてはならないのだ。ただこの曲をクリアしても何にもならないのだ、妻を弔うために 回らなくては。彼は自分自身に強く念じた。回れ。回るんだ。
 そのときだった。

「回れ!」
「回れ!」
「回れ! 回れ! 回れ! 回れ! 回れ! 回れ! 回れ!」

 群集が、『回れ』コールを始めたのだ。それは突如として発生した、嵐のような凄まじいうねりだった。 男は急激に心を乱し、聴覚はおろか五感の全てがこの嵐に飲み込まれるのではないかという錯覚に陥った。
 この嵐のような『回れ』コールを受けて初めて、男は自分がとんでもない場所に立っているのだということ を実感したのである。もはや集中力はなく、震える足で譜面に忠実なステップを守ることが精一杯だった。

 だが、まだ回れるはずだ。こんなことで自分の決意を曲げるわけにはいかない。最後の個所で回れるはずだ。 回れ! 回るんだ! だが、ゲージに全く余裕はなかった。そして最後のステップ個所が矢印の形をとってせり上がってくる。

 回ったら、落ちる。彼は予感した。

 それでも、彼は自分に言い聞かせた。回らなくては。回れ。回るんだ。右パネルを左足で踏み、そして……。

 彼は、回ることができなかった。

 夕暮れ時、男は自宅に帰りついた。妻の仏壇の前に立ち、線香に火をつけようと考える。だが、そう考えて 妻の遺影の前に座ったとき、彼の手は線香には伸びずに床に伏せられていた。そして、床にこすりつけんばかりに 頭を下げる。
 部屋は薄暗く、普通ならとっくに明かりをつけているところだが、今の彼にはそのような考えは持てなかった。
 夕闇が妻の遺影を隠してくれるまで、彼は土下座を続けた。



つづく

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