ボイラー室へ

自作小説集へ

DDRコーナートップページへ

誰にも認められない暗い情熱

第六回 権利の価値

 閑散とした広いロビーの中で、革張りのソファに鎮座する壮年の男の姿があった。 男は厳かに腕を組み、タイマーが作動した時限爆弾でも見るかのような険しい表情で ロビーに置かれているテレビジョンを見つめていた。五十インチの巨大なモニターの中には、 DDR制度の理解を国民に求めるコマーシャルが流れていた。




「ダメだよ、父さん! 僕、ドゥビドゥビなんてクリアできないよ!」
「あきらめるな! 今度は、父さんも隣で踏んでやるから! もう一回だ!」
「やった! クリアできたよ、父さん!」
「よくやった! 明日は、パラノイアだ!」

 フットパネルに立って息子を担ぎ上げる父親。そして汗の光る二人の笑顔をバックに、テロップ。

『努力によって勝ち取った権利こそ価値があると思いませんか。DDRに、ご理解を。――DDR健康管理省――』




 ……何度見ても、嫌なコマーシャルだ。
 壮年の男は、内心毒づいた。

 DDR健康管理法が施行されてから、一年が経とうとしていた。超高齢化社会がもたらした経済危機を 乗り切るため、という名目で開始されたこの制度が実際に経済危機に対する有効な手段になり得たかというと、 答はノーであった。確かに失業率は低下した。失業者の数を『減らした』のだから当然といえば当然だ。 だが、失業者が減少したからといって産業が活気づくわけではない。むしろ人口の減少が需要の減少を招き、 そのためにさらに失業者が増加するという悪循環が生まれていた。
 社会不安の増大も肌で感じられるほどであり、秩序は乱れ、犯罪発生率は上昇の一途を辿っている。
 彼は、もはやシステムDDRは引き返すべきときに来ていると考えていた。

「警視総監」

 唐突に彼に声をかけたのは、無個性な顔つきをした黒いスーツの男であった。

「長官がお待ちしております」

 男の言葉に頷き、警視総監は立ち上がった。

 長官室の扉は、質素なものであった。この巨大なビルディング、『DDR健康管理省』内の他の部屋の扉 と比べても、特に違う造りにはなっていない。だが、この扉の向こうで待ち受けるただならぬ気配を、総監は 感じ取っていた。もちろん、この部屋であらかじめDDR省の長官と会う段取りになっていることは知っている。 知っているのだが、例え知らなかったとしてもこの部屋の扉を躊躇なく開けることはためらわれるのではないか、 そう思わせる何かを彼は確かに感じ取っていた。
 ドアのノブに手をかける。その冷たさに、自分の手が異様に汗ばんでいるのを理解した。彼は恐れを振り払う かのように、その扉を開けた。

 部屋の中に設置されているDDRの筐体が目を引いた。長官室には、DDRの筐体が置かれているのだ。 だが、そのようなことはどうでもよい。一人の老人が、杖のようなものに両手を預けて静かに総監を見据えていた。 総監は、目をこらした。老人の持つ『杖のようなもの』がただの杖ではないことに気がついたからだ。 それは杖などではなく、鞘に収まった日本刀であった。

「失礼致します」

 総監は、内心の動揺を抑えながら部屋に一歩を踏み入れた。瞬間、体がいわれなき緊張感にとらわれ、全身から ドッと汗が噴き出すのが感じられた。背後の扉が、スーツの男によって音を立てて閉められた。総監は、その扉の音に あたかも恫喝でもされたかのような錯覚を覚えた。

「用件は何かね。と言っても、君の言いたいことはだいたい分かっているがね」

 この老人、即ちDDR健康管理省長官、が話を切り出した。その話し方は、特に威厳さを装っているわけでは ないように思えた。それどころか、むしろある種の気安い調子すら感じられた。
 警視総監とは、警視庁の長官である。言わば二人は対等の立場にある関係だった。対等のはずなのだが、それに対して この老人の気安い態度はどうであろうか。この一言は、両者の力関係を如実に表していると言えた。

「……再三申し上げております。そろそろ、DDRの時代は終わりに来ているのではないでしょうか」

 総監は、根強いDDR反対派の一人である。いや、本来の意味でDDRに賛同している者など ほとんどいないはずである。警察内部はもちろん、政治家や官僚の一人一人に至るまで、心からDDRに賛同 している者などいるはずがなかった。ただ一つ、DDR健康管理省という狂った牙城の中を除いて。

「説明するまでもありませんが、今現在DDRは経済の回復に何ら貢献しておりません。 国民は、世情に不安を感じて明日をも知れぬ思いで過ごしています。犯罪発生率はDDR法施行前に比べて ほぼ四倍に増大しました。人権を守ることが絶望視された人々の犯行が大多数です。 現場で事件に立ち会った警察官の中には精神的なケアを必要とする者が数多くいると聞いています。 他にも言い出したらキリがありません。 もはやDDRは、百害あって一理なしの制度となっているのではないでしょうか!」

 言葉の最後に怒気が含まれていたのを、総監は隠しはしなかった。悲痛な想いに、全身がワナワナと 震えている。確かに目の前の底の知れない老人に対して恐怖は感じていたが、彼の提言もまた 確固たる決意に支えられていた。

「……君は、人間の価値はどんなところにあるのか、考えたことはあるかね」

 老人は、今の総監の言葉を受けてなお、先程までと変わらぬ平静な態度を崩さなかった。 そして老人は、驚くべき行動を取った。手にしている日本刀の柄を、握り締めたのだ。 いつ抜いてもおかしくはない、という殺気が伝わってきた。老人は、そのままの体勢で総監に向かって ゆっくりと歩き始めた。

「DDRをクリアするための身体能力だけにあるのではないことは確かです」

 総監は、恐怖を感じながらも後ずさることなく答えた。彼もまた、安穏とした日々を過ごして今の地位を 手にしたわけではない。数々の修羅場をくぐってきた胆力が、迫ってくる老人の威圧感に抗っていた。
 老人は、すうっと目を細めた。そして、握り締めた刀をゆっくりと鞘から引き抜いていった。白刃が 鈍い光を放ち、老人の殺気を具現化していた。

「ほほう。まさか、『優しさ』や『思いやり』などという詭弁を抜かすつもりではあるまいな」

 抜き切られた刀の切っ先が、総監の眉間に突きつけられた。驚嘆すべきことに、総監はそれでも 微動だにしなかった。両の目をカッと見開き、拳を握り締めたまま老人と対峙していた。
 だが次の老人の問いに、彼は動揺を誘われた。

「では聞くが、DDR法施行前の国民、特に若者、にそういうものがあったと思うかね」

 総監は、即答することができなかった。『ありました』と答えることが、できなかったのだ。 内心、彼は困窮していた。そんな彼の眉間に、老人の切っ先が迫ってくる。総監が唾を飲み込む音が、 誰の耳にも聞こえた。

「そんなものはありはしなかった。いや、なかったとは言わんがな。ともかく、多くの人心は腐敗していた と言っても異論はあるまい。なぜ、そんなことになっていたと思うかね。社会が、心を必要としていなかった からだ。そんなものがなくても、生きていける社会だったのだ。『思いやりのある人間』だと?  そんなことを言う輩は、何か思い違いをしているのだ。そんなものは、本来改めて口にするような ことではない。そうではないのだ! 本当に価値あるものを持っているのならば、心の豊かさなどは 勝手に付随してくるものなのだ!」

 まさしく刺すような気迫が、総監の眉間に叩きつけられた。さすがの総監も恐怖のあまり表情は歪み、 歯は食いしばられ、両目は切っ先に注意を奪われるばかりに真中寄りになっていた。気がつくと 立ち位置こそ変わっていなかったものの、上体が大きく後方に仰け反っていた。
 総監はあまりのことに、言葉を発することができなかった。

「見せてやろう」

 老人はそう言うと、おもむろに身を翻してDDRの筐体に向かって歩いて行った。傍らに居た 黒服の側近が、筐体の設定を素早く完了させた。老人はDDRのフットパネルの上に立つと 上着を脱ぎ捨て、上半身を肌蹴させた。老人とは思えぬ鍛え上げられた肉体が顔を覗かせ、 刀を握り締めた腕には太く青い血管が隆起していた。

 そして筐体のスピーカーから、ド派手なイントロが流れ出した。総監は、曲名を即座に 思い浮かべた。『ブリリアント2U』、通称『鰤』と呼ばれる、DJの間では人気の高い ナンバーである。

 老人は日本刀を手に、剣舞の如く舞った。筋肉が躍動し、力強くダイナミック、かつ完璧なステップを 総監は目の当たりにした。そこから感じ取られるものはもはや恐怖ではなく、畏怖に近いものがあった。 さきほどまでのやり取りも忘れて、総監は老人の剣舞に見入った。

 ラスト近辺の、キメのフレーズに入ろうとしていたときのことであった。総監は、何時の間にか傍らの 側近が部屋に飾られていた壷を抱えているのに気づいた。曲は終盤で、『鰤』の最後を飾る六連打のフレーズ に差し掛かろうとしているところであった。唐突に、側近が老人の背後に壷を投げつけた。総監は、次の 光景に目を剥いた。

 老人は、振り向きざまに刀を一閃させた。しかもそのタイミングは、六連打の第一打と同時であった。 さらに老人は回転しながら、次々と剣閃を轟かせた。なんとそのタイミングは、全て『鰤』のキメの フレーズに合っていたのだ! しかも、足の動きもDDRの譜面の通りに完璧であった。投げられた壷は 空中で幾つもの破片と化し、落下して澄んだ音を立てて砕け散った。総監は唖然とし、膝が震えるのを 抑えることが出来なかった。

「……失礼致しました」

 総監は、自信を喪失した様子で立ち去って行った。もはや、あの老人に抗う精神力はないことを 証明されたかのような敗北感を感じていたように思われた。

「フフ……」

 老人は刀を鞘に収め、再び杖のように両手を預けて立っていた。震える膝をなんとか抑える老人を見て、 黒服の側近はいわれのない不安を感じていた。



つづく

DDRコーナートップページへ

自作小説集へ

ボイラー室へ