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第二十六回  レッド・セミナー#10 生者

 私がVBの拷問に入ってから、数日が経過していた。たった数日 間のことだというのに、なんと長く苦しい時間を過ごしたのだろう か。だが、それももうすぐ終わるだろう。なぜなら、もはや私は全 てを放棄したからだ。

 朦朧とする意識の中、私はぼんやりとVBの画面を眺めていた。 いつもの幻覚だろうか。プレイヤーキャラクターが勝手に敵を倒し、 次の面へと進んでいた。今更この男は何をやっているのだろうか? 馬鹿馬鹿しいことだ。

 意識が薄れてくると共に、苦痛も感じなくなってきていた。それ は実に心地好い瞬間だった。眠りにつくのとは違う感覚だった。
 思考は限りなく停止に近くなっているというのに、感覚器官はあ る種の広がりを見せていた。あたかも感覚が肉体の束縛を逃れ、一 人歩きを始めたかのようだった。極度に狭かったVBの世界が、異 様なリアルさをもって迫ってきた。

 ようやく思い出したのだが、今現在テレロボクサーをプレイして いるのは、私自身だった。まったく、疑問にも思っていなかった。 しかし、だからどうだというのだろうか? そんなことは、もう大 して意味のあることではないのだ。もはや意味など無用なのだ。

 テレロボクサーは、いつの間にか次の面へと進んでいた。このと きになって私は、私の体内で何かが異様にたぎっているのに気付い た。感覚は澄み渡り、異様な集中力を発揮していた。不意に、意識 が一気に結合し、輝かしい世界が広がった。

 VBの外の世界のことなど、今の私にはまるで感じられなかった。 私は全身でVBをプレイしていた。もはや私はパッドなどというイ ンターフェイスを必要としていなかった。頭脳はVBとリンクし、 ケーブルは神経であり、網膜はディスプレイとなっていた。私の心 臓が脈を打てば、VBの32ビットCPUもまた脈を打つのだ。
 私はかつてない一体感、いや、全能感を体験していた。それは全 ての事象を理解したときにのみ感応する、恍惚の一瞬であった。
 なんということだ! テレロボクサーがこれほどまでに面白いゲ ームだったとは!

 私は何の苦もなくテレロボクサーの敵キャラを倒していった。そ れは何の造作もない作業だった。少し思考を先回りさせるだけで、 敵の攻撃パターンはおろか、ゲームそのもののアルゴリズムまでも が完璧にわかってしまうのだ。
 それだけではない。視覚に至ってはドットの一つ一つを捉えるこ とはもちろん、1秒間のフレーム数を数えることすら可能になって いた。
 私はVBの内部において、紛れもなく最も神に近い存在となって いた。



第二十六回 終


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