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第五回  敗北の追想(後編)

 男は警戒の色を露にした。無理もない。見知らぬ男がいきなり駆 け寄ってきて、たった今買ったVBを『売ってくれ』と言われて警 戒しないものなどいるだろうか?
 しかし男は、予想以上に素早い反応を示した。

「いくらなら買うというのだ」

 私は彼に店での実売価格を前もって告げていた。だから、その値 段以上での取り引きになることは間違いないはずだった。

「5000円でどうですか?」
「定価だ」
「!」

 その言葉は、我々の心に凄まじい響きを持っていた。
 定価。
 VBを、定価で。
 考えられない。

「…て…定価…」
「そうだ」

 男はあくまでも冷酷だった。男は、彼に購入の意志が弱いことを 見て取ると、すかさず言い放った。

「定価で買う覚悟がないのなら、VBを買おうなどとは考えないこ とだ。ましてや、すでに買った者から買い上げようなどとはな」

 男は毅然とした態度を示して立ち去っていった。帰路に就いた我 々は、一言も発することもできなかった。彼は私と目線を合わせる ことも避けて、ただじっと悔しさをこらえていた。彼の心には、私 とまともに顔を合わせることもできないほどの、敗北感が刻まれて いた。

 だが、私は追想する。もしもあのとき、男からVBを買い上げる ことができていたとしたら、彼は購入の優越感に浸ることができた だろうか? 自宅でVBをプレイして、『買ってよかった』と心の 底から喜ぶことができるのだろうか? いや、そうではあるまい。 もしかしたら、彼がVBを欲しいと思ったそのときに、彼の敗北は 決定していたのかもしれないと、私は思った。



第五回 終


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