いつのまにかマリアもお茶をいれようとする度に同じ事を口ずさむ様になっていた。
確かにそうしてみると自分でいれたお茶でも味が違うようだ。
その後メアリーとの間に信じられない程哀しい出来事があって訣別しなければならなかった。
だけれども彼女がお茶と供に運んでくれたものはあの頃のマリアにとっては掛け替えの無い時間だった。
マリアはポットをケトルの側に持っていくと、お湯を注いだ。
すぐに蓋をしてトレイに乗せるとティーコゼーを被せる。
トレイの上にはラズベリーのジャムが小さなガラスの小鉢に入れられて乗っている。
スプーンと茶漉しもすでに乗せてある。
温まったカップのお湯を流しに捨てると乾いた布巾できれいに水気を拭いソーサーの上に伏せて置く。
さし湯のポットにもお湯を注ぎながらマリアはいつもこの時にサモワールがあれば良いのにと思う。
まだ両親が健在だった子供の頃のお茶の時間は楽しかった。
サモワールで沸かされたお湯を、濃く煮だしたチャーイのカップに注いで何杯もお代りをして飲む。
大人達にジャムを取り分けて貰い半分はティーカップの中に入れ、残りをスプーンで掬ってはゆっくり舐める。
お茶を飲んではジャムを舐めて、お代りをもらっては同じ事を繰り返す。
お茶に入れるジャムは毎年それぞれの家の主婦達が作って保存されているものだ。
ジャム作りの時には母親達が大騒ぎをして庭や山で収穫された果実が集められる。
苺のへた取り、サクランボの種取り、林檎の皮剥き、村中の女子供が総出で下ごしらえをする。
砂糖をまぶされて果汁が滲み出始めた頃合を見計らって大きな鍋で煮詰められる。
家の中に甘く豊かな香りが広がる。
くつくつと煮詰まったジャムの鍋を母親達がヘラでゆっくり掻き混ぜるのを眺めているわくわくとした気持ち。
煮上がったジャムは煮沸消毒された瓶に一つずつ詰められた後、ロウで封をされる。
こうして一年分のジャムが次の年の収穫時期までそれぞれの家庭の食料室にしまわれる。
春の苺摘みから始まって秋の林檎の収穫まで。
マリアは特にマリーナと呼ばれる木いちご、ラズベリーが大好きだった。
マリーナ摘みは『ジャムにするよりあなたのお腹に入る方が多いわね。』と母親に言われながら手伝った。
確かにマリアが摘んでいるマリーナは籠の中に入れられるよりも彼女の口へ運ばれる方が多い。
口の周りを真っ赤にして甘酸っぱい香りをさせながら、母親に抱き着いていくとエプロンの裾でこっそり口を拭う。
そんなマリアの仕種を愛おしそうに見つめ、マリアの小さな身体を抱きしめながら母親が言う。
『一年分のマリーナ食べちゃったからマーニャが風邪をひいてもチャーイに入れる分は無いわよ。』
そう言うとマリアのまあるい頬に軽く唇を寄せてキスをする。
色白のマリアの頬は幼い子らしく血色の良い淡いピンク色に染まっていて、金色の細かな産毛に覆われているので白桃の様に瑞々しい。
『嫌々、マーニャの分も。』
マリアは眉根をよせながら母親の首に細い両腕を巻き付けて甘える。
『ふふふ、嘘よ。マーニャの分もちゃんと作ってあげるわよ。』
『お母さまぁ。』
マリアの顔に満面の笑みが浮かぶ。
もう一度母親はぎゅっとマリアを抱きしめる。
毎年繰り返された光景。
思い出すと胸の奥が疼くけれど、決して忘れる事の出来ない光景。
マリアがそんな事を思い出している間にお茶の葉がティーポットの中で静かに開いていく。
自分がかつて両親から溢れんばかりの愛情を受けて育ってきたのだという事をその後の彼女の人生は忘れさせる出来事ばかり続いていた。
此処、帝劇で暮らし始めてから彼女の心を縛り付けていたしこりが一つずつ解きほぐされていく。
家族の様な花組のメンバーとの日々の暮らしの中で。
そして何よりも彼との出逢いが。
お茶の準備が出来るとマリアは火の確認をしてからトレイを持ち厨房の出口へと歩きだした。
ゆっくりと階段を登り、副司令藤枝かえでの部屋へ向かった。
(続く)