はこだて歴史物語
 
箱館戦争 【はこだて歴史物語】
【蝦夷地領有宣言】
戊辰戦争が始まった1868年(明治元)、旧幕府海軍副総裁榎本武揚率いる艦隊が江戸湾を脱走し、蝦夷地へと向かいます。
同年10月、上陸を果たした旧幕府脱走軍は、大鳥圭介隊・土方歳三隊を先頭に各地で勝利し、10月26日には五稜郭を占拠。
11月には松前藩を全滅させ、蝦夷地南部を占領することとなります。
12月15日、入札(選挙)によって役職を決定、仮政権を樹立しました。

【役職】
【総裁】 榎本武揚 【副総裁】 松平太郎
【海軍奉行】 荒井郁之助 【陸軍奉行】 大鳥圭介
【陸軍奉行並】 土方歳三 【病院長】 高松凌雲

【逆襲の新政府軍】
翌1869年(明治2)4月9日に上陸した新政府軍は3隊に分かれた後、4月17日、松前・福山城を奪回しました。
大野進行隊は13〜29日、二股口にて交戦。旧幕府軍・土方歳三はここを堅守するも、後方隊の敗北により撤退を余儀なくされました。

【戊辰戦争終結】
5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始され、旧幕府軍は各方面で敗北。土方歳三も一本木の地(現若松町)にて戦死しました。
5月18日、旧幕府軍が降伏。五稜郭が明け渡され、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争が終結しました。

  旧幕府軍 新政府軍
参戦した兵士 約3,000人 約1万人
戦死者 約800人 約300人


【参考】
土方歳三最後の地碑
称名寺(新撰組隊士の供養碑)
碧血碑
土方・啄木浪漫館
Back
 
「箱館」から「函館」へ 【はこだて歴史物語】
【改称されたのは…】
蝦夷地を北海道と改称する布告がなされた1869年(明治2)…とされています。

【倉庫業の発展】…金森倉庫の出現
道内-本州間の航路が全て函館発着となったったことから、特に海産物を保管するための倉庫が必要となりました。
渡辺熊四郎が倉庫業を始め、金森倉庫を完成させたのは1887年(明治20)のことです。
末広町港湾沿いの敷地を購入し、倉庫を建設…1895年(明治28)には21棟1,656坪に及ぶ倉庫を所有、断然他の業者を引き離すこととなりました。

【参考】
赤レンガ倉庫群
市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)
Back
 
明治期の大火 【はこだて歴史物語】
1878年(明治11)、1879年(明治12)、1907年(明治40)…など、函館は数度の大火に遭遇しました。
この影響により街区改正事業、耐火構造建築の普及などが進み、近代的都市へと変貌していくことになります。

【1907年(明治40)の大火】…市内の半分が焼失
【焼失後再建されたおもな建築物】 【再建年】
旧北海道庁函館支庁庁舎 1909年(明治42)
旧函館郵便局 1911年(明治44)
函館ハリストス正教会 1916年(大正5)
カトリック元町教会 1924年(大正13)
【類焼を免れた建築物】  
旧金森洋物店 1880年(明治13)建設

二十間坂
1879年(明治12)の大火後、拡幅された
その名の通り道幅が二十間(約36m)ある
Back
 
昭和9年の函館大火 【はこだて歴史物語】
1634年(昭和9)3月21日に出火した火災が強風にあおられ延焼、北東に位置する多くの町が廃墟と化しました。
翌日午前6時頃にようやく鎮火しましたが、全市の3分の1がした大惨事となりました。

【1634年(昭和9)の大火】
焼失区域 146ha 市総面積の約3割
罹災戸数 2万4,000戸 総戸数の約6割
罹災者数 12万5,000人 総人口の約6割
死者 2,166人
行方不明者 662人